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なんだかひさびさだ。
いつもありがとう。



ひとりで生きることなんてできないけれど
ひとりでも幸せと喜びを感じて
満たされながら生かせてもらえるようになった



離婚してから3年
自分ととことん向き合う旅がはじまって
いろんなことあったなぁなんて
最近めずらしく久しぶりに
記憶をたどるなんてことをしてる。
してるとゆうよりも
記憶が蘇ってくるって感じかな。


点と点が線になって
また線と点がつながって。
愛しあって
傷つけあって
笑いあってさ
この3年間で紡いだわたしだけの
だけど大きくみれば、私たちの物語は
微笑んでしまうぐらい美しくて愛おしい。


人と触れあうことでわたしは循環する。
人が好きだけど人が怖かった。
そんな自分が
純粋に人が好きって言えるようになって
毎日、いろんな人のご縁と出合いを
心の底から楽しんで
ひとりひとりのヒカルモノを
見させてもらって
エネルギーを循環しあって
わたしが一番喜んじゃってる。
そんなわたしに変化させてもらった。
変化とゆうか
本来の自分へ還っていってるだけなんだろうけどな。


やっと
いろんな知識が知恵となり
そうゆうことだったのか!と
自分で腑におちて
なによりも
信頼できるようになったよ。
自分のことも。この人生も。


そして
信頼してるからこそ
今までとは違う選択ができるようになったんだけど、それは『待つ』とゆうこと。
もう一つあるんだけど
それは『ゆだねる』とゆうこと。


人って本当に変われちゃう
どこまでもどこまでも
心地よい風にのって
今のちょうどいいわたしになれちゃう


ありがとう。


あたりまえなんてことは
ひとつもない。
これはふたりで生き合うってことを
今学ばせてもらってるからこそ
気づけたこと。


わたしが息してる
あなたが息してる


明日これだって
どうなるかわからない。


誰かを想える
大切だと想える人がいる。
愛したいと想える人がいる。
これだって
大切だとも、愛したいとも
思えない人もいるし
想うことさえゆるされなかった過去もあるから
想えることだって奇跡なんだよな。


自分のリズムと人生のタイミング
相手のリズムと人生のタイミング


これが
心地よく
まじりあって
溶け合って
重なりあう〝今〟がどれだけ尊くて儚いものか。


その〝今〟を大切に愛でながら
ひとつひとつを積み重ねた先に
おまけとして
名前がついたり〝カタチ〟とゆわれるものが
ついてきたりするかもしれない。
だけど
勘違いしちゃってたんだけど
名前もカタチも
本当はどうでもよくてそこがゴールではない。
ぜ〜んぶおまけなんよ。


そこよりも
今ある目の前の一瞬一瞬の煌めきとか
喜びとか愛とかありがとうに
どれだけ気づけるか。
いこーる
どれだけ受けとれるかなんだろうな。


生きることが楽しい
それは
数ヶ月前とはほんの少し
その楽しさのエネルギーが変わって
なんてゆうか
穏やかでまろやでまあるい感じかな。


ここまで
頑張ってきた自分に
おおきくハグをしてる。
誰よりも
乾琴音 のことを愛してるのはこのわたし。


ここからはじまる
クリアなところへ還る旅が
とっても
愛らしくて笑いに溢れてて
まっさらでピュアな感じで
軽やかにふかーくまるーく
ナチュラルなものになってくなぁって
感覚として受けとってます。


安心と信頼のなかで
生かせてもらってる。
今日もありがとう。


わたし
まだこの人生紡ぎたいなってゆう欲は
かろうじてあるんだけど
だけど
今日が人生最期の日になっても
自分の人生ふわっと抱きしめられるぐらい
いつも〝今〟を息してるのかもな。


ありがとう。
みんなきっと今日もいい夢みるね。
おやすみなさい
愛を込めて



ありがとうございます🥰