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青春、とかいうやつ【プロポ】220825

「人生、死ぬまで青春」
みたいな言葉があるが、そんなのイヤだなと思っている。

または、
「自分の青春時代なんてとうに終わってしまった」
と悲観するのも、違うと思っている。

多くの人が思い描く『青春』とは、いわゆる高校生とか大学生とかが、何やら友達とスポーツとか音楽とかその他もろもろの何かに熱中したり、青くさい恋愛に頬をあからめたりする年代、なのではないだろうか。私もそう思っていた。

しかし、どうやら、本来の意味での青春なんて、人生の一部でしかないのだそうだ。

古代中国の思想では、人生を四つの季節で表現した。

青春 せいしゅん
朱夏 しゅか
白秋 はくしゅう
玄冬 げんとう

とても美しい言葉だと思う。
青春なんて、人生のステージの一つにしか過ぎないということだ。

ここからは私自身の解釈を多分に含むが、
青々とした春、若々しい成長の季節があり、
朱(あか)い夏、いわば人生のど真ん中がある。
そして白い秋、多くのことが落ち着いてきた季節をこえて、
玄(くろ)い冬、終わりを見つめ、そして次の春に思いを寄せる。

まさに人生そのものなのではないだろうか。
諸説あるのだろうが、この世に誕生したはじまりの季節を玄冬とする考え方もあるらしい。
なんとも、その解釈の違いすら、輪廻みたいなものを感じておもしろい。

私はと言えば、世間で言うとオジサンという、けっこういい歳になり、もう青春なんて遠い過去の話だと思っていたが、最近、考えを改めた。

もしかしたら、ようやくぼちぼち、春から夏に入るのかもしれない、と。

自分自身が世界そのもので、そんな『自分自身』と向き合う季節が青春なのではないだろうか。

ようやく、自分以外の、『他者』というものを、本当の意味で意識したり、大切にしたりできるようになって初めて、朱い夏が始まるのではないか、そう思いたくなった。

そう考えると、次にまっている季節、白秋は、いろいろな物事が落ち着いて、世界が静けさをまとっていき、もう一度、『自分』と向き合う季節。
そんな予感がしている。

そして、最後に待つ玄い冬には、人生の終わりである、『死』と向き合うのだろう。

こう考えると、冒頭に出てきた「死ぬまで青春」も、あり得るのではないかと思ってくる。
死ぬ瞬間まで、『自分』から抜け出せなかった人生。
『青い』まま終わってしまった人生。

きっと、年齢は関係ないのだと思う。

私は、せっかくなので、青いまま終わりたくない。
そろそろ、夏に入りたいし、ようやっと入れそうな予感がしている。

ちなみに、私にこの思想を教えてくださった、偉大なる作家、五木寛之先生いわく、玄冬における玄(くろ)は、いわゆる黒、真っ暗闇ではない。とのことだ。
ほのかにあたたかさや、遠くからさす光を感じられる、そんなくろ色。

天国とか、生まれ変わるとかを信じているわけではないが、そんな色を見つめながら、この生涯を終えてみたいものだ。

とりあえず、私は、明日も生きてみる。

あなたの人生の季節は、いま何色だろうか。

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