『ゴジラVSメカゴジラ』~自然回帰願望~

1993年公開(日本)
監督、大河原孝夫 特技監督、川北紘一 脚本、三村渉
 

 G対策センターは海から引き上げたメカキングギドラを解析し、対ゴジラ兵器としてメカゴジラを作る。一方、ベーリング海のアドノア島では古代生物の卵が発見される。その卵はゴジラザウルスの卵だった。
 卵から孵ったベビーゴジラを求めてゴジラ・ラドンが日本に襲来する——。

※ネタバレあり

『ゴジラVSメカゴジラ』は、ゴジラシリーズの記念すべき第20作目であり、VSシリーズの5作目です。

 ハリウッド版ゴジラの制作が決定し、当初は今作品でゴジラを一旦、終了させる予定だったそうです。それだけあって、非常にハードな展開・感傷的で郷愁を誘うラストが感動的な作品となっております。

 順番どおりではありませんが「ミレニアム」「スペースゴジラ」「デストロイア」「メカゴジラ」と順番にゴジラを再鑑賞していました。
 こうやって連続してみていると、自分は自然回帰すべき生き物なのかもしれないという気になってきました(えっ)。
 ベビーたちみたいに無人島で自然に囲まれて生活したい。でもパソコンもスマホもテレビもないと生きていけない! 布団とコタツとエアコン完備の家も欲しい!
 せや、無人島開拓したろ!! 
 うーん、業が深い。
 このころの時代はとてもエコロジカルな意識が高かったんだなーと思わせます。自然回帰願望が強いというか。ドラえもんしかり、幼少期にこのような映画ばかり観ていたことが今の自分の価値観に大いなる影響を与えているように感じます。

 作品の印象としては、主人公の男性が「ダメダメなオタク(翼竜オタク)」だったりして、少し現代っぽくなってきたかなと思いました。
 この主人公がなかなかに異常で、常軌を逸した行動をへらへらしながらとるところが面白いです。
 ベビーゴジラの卵を保管している研究所に無断で入り込んだり。
 研究所で保管されている古代植物を勝手に持ち帰ったり。

「まあ、いいじゃないか!」(よくないよ!)
「それでもあなた、大人なんですか」(ほんとにそうだよ!)

 完璧に危ない人です。

 彼に車の窓にさりげなくプテラノドンのぬいぐるみが張り付けてあるところとか、芸が細かいです。
 そして彼の盗んできた植物を誰も返そうと思わないあたり、G対策センターもアブナイ。

 タイトルにある通り、今作ではメカゴジラが登場します。
 人間の作ったロボットと敵が闘うのはワクワクします。しかも、ゴジラを模したメカゴジラ。これはテンションが上がらざるを得ません。
 メカゴジラの凶悪具合はこの映画の見どころの一つです。
「Gクラッシャー」という、ゴジラの足にある弱点「第二の心臓」を攻撃する武器を使い、ゴジラを下半身不随に追い込みます。
 当時は深く考えませんでしたが、下半身不随って……残酷すぎます。
 観ていくうちにゴジラに肩入れして、人間が悪者に見えてくるところもポイントであり、考えさせられます。

「命あるものとなきものの差よ」は名言です。このテーマはラストのみならず作中で一貫されています。

 メカゴジラの他にも注目する相手として、ベビーゴジラとラドンがいます。
「ゴジラ」「メカゴジラ」「ラドン」という大御所ぞろいのうえに、赤ちゃんゴジラまで出てくるという大出血サービスです。さすが、ラストにするつもりだったというだけあって豪華です。
 ベビーゴジラの愛くるしさとラドンさんのけなげさも語るうえで外せません。

 ベビーゴジラは恐怖を感じると目を赤く光らせ、仲間にSOSを送る特殊能力があります。

 ベビーの卵はラドンの巣に托卵されており、ラドンさんとベビーは義理の兄弟(乳母兄弟)にあたります。だからラドンさんはベビーを守るために戦うのです。
 それは同族としての仲間意識を持ったゴジラも同じです。

 ベビーが怯えたらすぐに察知して飛んでくるラドンさん。どんなにボロボロでもベビーのために戦うラドンさん……。
 最初はベビーを守るためにゴジラと闘い、半殺しにされます(ゴジラは仲間としてベビーを迎えに来ただけだった)。その後、ファイアーラドンとなり復活。再びベビーを助けるために今度は日本まで飛んできます。
 そこでは今度はメカゴジラに半殺しにされます。
 それでも、ベビーのSOSを察知して、最後の力を振り絞って立ち上がるラドンさん……最期は、自分を半殺しにしたゴジラさんにエネルギーを与えて死んでいきます。ベビーを守るという同じ目的を持ったゴジラにベビーを託すのです。涙なしには見られません。ゴジラシリーズの中でも一・二を争うけなげな怪獣でした。

 ベビーゴジラはひたすらに可愛いです。愛くるしい大きな目をして、可愛い声で鳴きます。いたずらっ子で母親代わりの五条梓にいたずらしたり甘えたりする姿にはため息が出ます。
 ゴジラをおびき寄せる囮にするためにコンテナに乗せられるシーンがあります。そこでは首輪をつけられリードで引っ張られて、言われるがままにおとなしくコンテナに乗るのですが……怯えを隠せず目が赤く光るところに胸を締め付けられます。梓さんが一緒にコンテナに乗ると言い出すのもわかります。あれを見捨てたら人間じゃないよ。
 梓さんはベビーの幸せを祈って、最後はベビーをゴジラに託します。去っていこうとする梓さんの服を口で引っ張るところは涙を誘います。これを振りほどいていくのは辛い……でも人間のところにいても誰も幸せになれないのです。人間はベビーを利用しようとするし、ゴジラはベビーを迎えに来て街を壊すし。
 一人ぽつんと残されて、去っていくヘリコプターを見上げる姿や、ゴジラにおびえてコンテナに隠れようとするところは心が痛みます。ここで途中の設定が活かされて、ベビーが本能に目覚めてゴジラについていく展開には心底安心しました。
 ゴジラについて海を渡って去っていく姿は感動的です。ゴジラのベビーを見る目の優しさや、海を歩くときもベビーを気遣うように振り返りながら歩くところが素敵です。

 本能に目覚めてゴジラについていったベビーですが、続く『ゴジラVSスペースゴジラ』や、『ゴジラVSデストロイア』では三枝未希のことを覚えていてなついています。人間に対しての胸中がどのようなものだったのか気になります。
 ベビーゴジラの親代わりだった梓は、次の作品からは姿を見せません。ベビーとの再会はありません。それが梓の「けじめ」なのかなと思いました(大人の事情もあったでしょうが)。

 この作品で本当にラストになっていたら、ゴジラとベビーが幸せに暮らせて、今後の受難もなかったんだよな——と思うと複雑な気持ちになります。

「ベビーは私たちと同じ地球に住む仲間です。人類の財産でもペットでもありません」

 は名台詞です。

 以下、細かい感想。

 メカキングギドラの首を海から引き上げるところはゴジラ映画の中でも名シーンです。

「今度こそ、奴の息の根を止めてやる」

 冒頭から不穏です。ていうかこれ、普通は悪い奴の言う台詞だろ(笑)。

 VSシリーズはどれもですが、タイトルの出方が格好いいです。

 主人公が新しい配属先で履歴書を読み上げられるシーン。
 趣味に「翼竜」とあったことで、隊長が激高。「恐竜坊や」と馬鹿にされ罵られます。なぜ恐竜が好きなだけでここまで言われないといけないの……。

 アドノア島で赤く光る卵発見(ベビーゴジラの卵)。そこにラドン登場!

「ラドンだ」

 しれっと言ったよこの博士! 何で名前知ってるんだよ、絶対、今自分でつけただろ!

 ラドンさん、つつくと火花が散ります。どういう仕組みなのでしょうか。
 そして卵に惹かれてゴジラ登場! 弟(ベビーゴジラ)のために必死に闘うラドンがけなげです。

 調査隊はベビーゴジラの卵を持ち帰ります。

 超能力者の三枝未希登場。ビオランテから登場する、VSシリーズのヒロインです。
 精神科センターの様子は、今見るとちょっと異様です。うさん臭い宗教施設みたいです。
 未希の能力で、島から持ち帰った古代植物が歌う(音楽を奏でる)ことが判明。植物の歌を聴いて卵が刺激を受け、ベビーが誕生します。突然現れた身の丈ほどもある恐竜に驚きながらも、冷静に電話をかけて博士たちを呼ぶ梓に感心します。

 主人公の恐竜坊やもやってきます。

「翼竜の赤ちゃんなんかじゃない」

 「なんか」って。なぜかちょっと怒っているあたりがオタククオリティ。
梓は逃げずに手元にあった花を与えます。むしゃむしゃ食べるベビーが可愛いです。眠そうな目つきが、生まれたばかりの雰囲気を表現していて素敵だと思いました。

 そしてメカゴジラが登場!
 外国人搭乗員がいるからか、英語で会話しています。
 ゴジラを模してつくられたメカゴジラ。
 しかし、鳴き声のギミックは必要だったのか!? そこまで真似る必要があったのか!?

「観たか、メカゴジラの力を」

 いい笑顔だ……。

 攻撃されるゴジラが痛そうです。血がリアルで、こちらまでゾワゾワします。ついに泡を吹くゴジラ。こんな過激な演出だったかと驚きました。可哀想になってきます。
 しかし、機械には限界があります。メカゴジラはショート(?)して動けなくなってしまいます。
 こういうところも「命あるものとなきものの差」を感じさせます。

 ゴジラが京都に向かっていること、それはベビーゴジラがいるからであることがわかります。ゴジラはただ、ベビーに会いたいだけなのです。

 京都に来ることは「なんとしても阻止せねば」。
 歴史的建造物も多いですしね。ゴジラにとっては壊しがいがありそうですが。
 しかし、ゴジラ、清水寺までやってきます。京都の町が壊されていく……。

 ゴジラがベビーの場所に気づかないように、ベビーを気密性の高い地下室に隠してしまいます。目が赤く光るベビーに寄り添う梓が素敵です。
 今作品は全体的に梓さんがよい味を出しています。

 ベビーを探し回るゴジラ。諦めて帰っていきます。可哀想に……。

 ベビーゴジラと梓さんの交流になごみます。尻尾で梓さんをつついたり、ハンバーガーを欲しがったり。ベビーの大きな口に食べ物が飲み込まれていく様は大変キュートです。

 ベビーについて偉い人が言う、

「我々にとっても大事な生き物」

 という言葉に恐ろしさを感じます。この「大事な」というのは、梓がベビーに向ける感情とはまったく別の所から来ているものだろうから。

藁の中から顔を出すベビーが可愛いです。

 そして、ロボット部門に復帰したと喜びながら梓の前に現れる主人公。
「あっちゃん」呼びにドン引きです。梓さん、まんざらでもなさそう、だと?

 自作の翼竜ロボットでベビーゴジラの前で二人乗りで飛ぶシーンには夢とロマンを感じます。久しく忘れていた子供の頃の気持ちに戻らせてくれます。

 そこに三枝未希が超能力少年少女たちを連れて現れます。
「植物の歌」をコーラスにしたと。そしてベビーや梓たちの前で披露。
 あんな何が起こるかわからない音楽を使って何してくれるんじゃ!

 この歌を聴き、倒れていたラドンが目覚め、ファイアーラドンになります。
 また、ベビーは暴れ始めます。
 この歌は古代の本能を呼び覚ますものですが、同じ時代の生物たちにとっては「絆の歌」なのかもしれません。

 そしてベビーを囮にする作戦が持ち上がります。
 何も知らず、寝ているベビーは愛らしいですが、同時に切なさを覚えます。

 ベビー以外にも言えることですが、ちゃんと瞼があってまばたきするところが芸の細かいところです。

「ベビーの傍にいます。それが私のせめてもの……」

 コンテナで囮として運ばれるベビーに付き添う梓。作戦を止められない以上、(育ての)親としてできることといえばこれだけだもんね……。

そこに若干空気の読めないラドンさんが、ベビーを助けに現れます。
 主人公、出陣。

「ガルーダは僕じゃなきゃダメなんだから」

 オタク気質が表れていてとてもよい台詞だと思います(ガルーダとは彼が開発した翼型のメカで、メカゴジラと合体します)。

メカゴジラが降り立った時のラドンの「え、なに?」って感じの鳴き声と表情が面白いです。     
 翼竜オタクの主人公、躊躇もなくラドンを攻撃します。趣味よりもあっちゃんのほうが大事なのでしょう。
 ラドンはただベビーを助けたいだけなのに、気の毒になります。ここでも泡を吹く表現が使われます。
大人の男性たちの表情がみんな険しいから、人間側が非常に怖く見えます。
 もしかしたら梓が乗っていなかったら、ここまで人間もラドンを攻撃しなかったのではないかと思ってしまいました。もちろん、梓さんの立場としてはついていくしかありませんけども。

 さらにベビーを求めたゴジラも登場。ゴジラさん、さすがの貫禄です。
 こんにゃろうが、おら、おら! という感じで攻撃を繰り広げます。

 ガルーダ復活!
 仲の悪かった上司と軽口をたたくところが素敵です。

 そしてゴジラの第二の脳を攻撃することにします。これは未希の超能力がなければ成功しません。ベビーとの触れ合いでゴジラへの気持ちが変わってきている未希はとまどいます。

「頼む。三枝君」

 じいさんの目の必死さが何とも言えません。この映画は役者さんの細かいところの演技が光っています。

 そしてとまどいつつも攻撃。
 Gクラッシャーは残酷すぎてみていられません。未希のつらそうな表情がイイです。本当につらい感情が伝わります。

 ベビー、ゴジラのピンチに暴れはじめます。同族の気配をやはり感じるのでしょう。
 そして、ベビーの怯えに反応してラドンが起き上がります。ボロボロのラドンの姿に、「やめて、もう起き上がらないで」と思ってしまいます。
 ベビー! お前が怖がるから(`;ω;´)

 最後の力を振り絞り、ゴジラのところまで飛んでいくラドン。瀕死のゴジラに覆いかぶさり、自らのエネルギーを与えます。ラドンの体は光になってゴジラに吸収されます。最初は敵だったゴジラに、ベビーを託す展開が熱いです。

 なぜラドンが溶けてゴジラのエネルギーになるのか?
 もうこれは科学の世界の話じゃない、観念の世界なんだ!!

 そして、ゴジラ復活。ゴジラのテーマが流れるところがにくいです。

 放射熱線が赤いのはラドンの魂なのでしょうか。このゴジラはゴジラだけじゃない、ラドンも入っているのだと思うと胸が熱くなります。

 ここからのゴジラ無双はスカッとしますが、メカゴジラの立場でみるとマジ怖いと思います。
 しかし、ゴジラは痛めつけられているから、ここまでやるか! ってくらいやらないとすっきりしません。

「生存者なし」と表示するメカゴジラさんも空気を読んでいます。
「誰も死んじゃいないよ」というツッコミが面白いです。

 メカゴジラを完膚なきまでに撃破すると、ゴジラはすぐにベビーのところに向かいます。
 梓はベビーをゴジラのところに返すことを決意。
 これだけ死ぬ思いをして助けに来たゴジラを間近で観ているのです。気持ちが揺るがないわけがありません。
 それに、ベビーをゴジラに返さないと、ゴジラは日本に何度でも来るでしょう。そしたらベビーもゴジラも人間もみんな不幸になってしまいます。
 これしか選択肢はないのです。

 怯えて逃げるベビーに、梓に頼まれた未希がテレパシーで音楽を送ります。帰るべきところを示されたベビーは、ゴジラについていきます。

「勝負を決めたのはやはり命だったな」
「命あるものとないものの差よ」
「奴には何としても守らなければならないものがあったんだ」

 メカゴジラに乗っていた人たちが素直にそう思えるのは素晴らしいことだと思います。
 ゴジラたちと人間の気持ちが通じ合えたのでしょう。

 海に帰っていくゴジラとベビーの姿は非常に郷愁を誘います。帰っていく。

 どうでもいいですが、大前博士ってだいぶ梓さんのこと好きだよね。
 ベビーと遭遇した時にさりげなく腕を引っ張ったり。ラドンから奪還したコンテナを開けようと必死になったり。
 こういうところに人物像がさりげなく出ているところが興味深いです。

 この作品以降のゴジラは、ラドンの魂も入っているゴジラなのだと思うと感慨深いです。だから余計にベビー(リトル・ジュニア)に優しいのかもしれません。
 
『ゴジラVSデストロイア』が過酷で試練を残すラストだとすれば、『ゴジラVSメカゴジラ』は優しさに満ちたラストだと思いました。『スペースゴジラ』『デストロイア』は並行世界のことだと思いたいくらい、この後にゴジラ親子に降りかかる現実は厳しいです——。

『ゴジラVSメカゴジラ』にはイメージソングとして『悲しみのゴジラ』があります。無敵の怪獣王のイメージとはかけ離れた悲しい歌なようで、このころの制作陣のゴジラへのスタンスがわかるものとなっています。それは映画を通してこのころの子供たちにしっかりと伝わっていることでしょう。

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