わが家の食卓、優等生をやめました。
母は専業主婦で料理上手だったので、
実家の食卓には、いつも一汁三菜。
色鮮やかな季節の食材が、生き生きと並んでいました。
それが当たり前だと思って育った私は、
結婚して大きな壁にぶつかったのです。
そしてその壁は、厚く覆われた固定概念とともに
いとも簡単に破壊されました。
* * *
結婚して一緒に暮らし始めた頃。
食卓に家庭料理を並べて、喜んで食べてもらえる
ことが嬉しくて、張り切って料理を作っていました。
休日になると献立用に買った100均の小さな
スケジュール帳や料理アプリとにらめっこ。
次の休日までの献立を考えます。
優柔不断な性格が手伝って、なかなか献立が決まりません。
スーパーのチラシも参考にしながら
あれこれ悩むこと小一時間。
必要な食材を書き出して、
ようやく近くのスーパーへ買い出しに。
お買い得品やおやつなど、つい予定外のものも
買ってしまい、帰りの自転車のカゴには荷物が山盛り。
あまりの重さに自転車も、なんだかつらそう。
(重くて、ごめんね…)
急な坂道をえっちらおっちら登って帰ります。
帰る頃にはもう正午近くに。
簡単にお昼ごはんをすませて家事をして
少しお昼寝をしたらあっという間に夕方。
急いで作り置きおかずの調理に取りかかります。
2時間かけて作った料理をテーブルに並べると、
ちょっとした満足感と安心感がわいてきます。
(これで晩ごはんもお弁当も助かる!)
ほっとするのも束の間。
その日の晩ごはんの仕上げをしてご飯を食べて
後片付け… と続き。
録画していたドラマも見れず、
ゆっくり本を読むこともできず。
“やらなきゃ”という重い責任感に追われる
あっという間の休日なのでした。
そうして疲れが積み木のように重なっていく
お疲れモードの私を見かねた旦那さん。
「家事がんばりすぎてない?」
「うん、なんか疲れた。」
「仕事は手伝えないけど、家事は任せて!」
と、疲れの積み木がバランスを崩して倒れる前に
手を差し伸べてくれました。
それからというもの、旦那さんがお休みの日は
晩ごはんをお任せすることにしました。
そして作ってくれたのが…
焼そば。
しかも目玉焼き付きです。
仕事から帰ると食欲をそそるソースのいい匂い。
「焼そばだけだと芸がないから…」
とのせてくれた半熟の目玉焼き。
とろける黄身に焼そばをからめると、
まろやかなコクが加わっておいしいこと!
疲れは吹っ飛んで元気になりました。
(一汁三菜じゃなくてもいいんだ。)
私の固定概念は打ち砕かれたのです。
たまには一品勝負でもいい。
家族が笑顔でいられるのなら。
それまでの私は、自分で自分を追い込んでいました。
「家族の健康を守るために、
バランスのよい食事を作らなきゃ。」
義務のような責任のようなものを、
無意識のうちに自分に課していたのです。
そこには、立派に家庭の台所を守ってきた
料理上手な母の存在がありました。
でも、フルタイムで働き、料理の手際が悪い
私にとって、母と同じことなんて、
できるはずがなかったのです。
もちろん栄養を考えたバランスのいい食事は
大切だけど、もっと大切なことがある。
どんなに手の込んだ料理を作ることより、
家族みんなが笑顔でいられること。
それが、一番大切なこと。
これからは無理せずマイペースで料理を作り、
笑顔ふれる食卓を愉しみたいと思います。