わらびに筍、日本に伝わる春の味で毒抜きを。
子どもの頃から、私の舌は大人だった。
好きなものといえば、わらび、筍、奈良漬け、いちじく、なまこ…。
周りの子と違った味覚が、なぜか誇らしかった。
今思うと、私の大人びた味覚は祖母の影響だったのかもしれない。
* * * * *
子どもの頃、この時期になると祖母がわらびや筍を送ってくれました。
わらびはお揚げさんとくたくたに煮て。
筍はお出汁のきいた煮汁でぐつぐつ。
たまに、庭から木の芽を摘んできて、筍の木の芽あえにして食べるのがわが家流。
木の芽は調理する前に、両手で挟んで「パンッ」とひと叩き。
一気に青々しい春の香りが広がります。
春が来た。
食卓に並んだ春の味覚を前に、母はいつも口癖のように言います。
「山菜は冬に溜まった体の中の毒をだしてくれるんだよ。旬のものを食べるのは理にかなってるんよね。すごいねえ。」
(そうか、旬って大事なんだ。)
子どもながらに“旬”を意識したのは、季節が始まる“春”でした。
そういえば、一度だけ春休みに祖母と山へわらびをとりに行きました。
おぼろげにしか覚えていないけど、ニョキニョキと生えているわらびを探しては、夢中になって収穫しました。
周りの草花に関心をもたず、ただただ一心不乱に。
「たくさんとれたね。」と微笑む祖父母。
山から帰ると祖母はどこからか灰をもってきて、わらびにかけました。せっかく収穫したわらびは一気に灰だらけ。
(食べ物に灰をかけるなんて!)
灰でアクを抜く、ということを知らない私は目を丸くして祖母のようすを眺めていました。
いつもちゃんとアク抜きをして送ってくれていた祖母。収穫から下処理までかかる手間を思うと頭が下がる思いです。
祖母が体調を崩してから、わらびを食べる機会がなくなりました。
あの山には今もたくさんのわらびが顔を出しているのかな。
春の到来とともに、去年も、今年も、来年も。
冬に溜まった毒を出せていない私の身体は、ずっと季節が冬のまま止まっているよう。
ああ、そろそろ毒をださなきゃ。
わらび、筍、食べよ。
最近イライラしているあの人も、毒を溜め込んだままなのかも。
あの人には「たけのこの里」をあげましょう。
身体の毒は出せなくても、心の毒は少し薄まると思いますよ。