小さい時、学校がイヤでたまりませんでした。
今日は僕がどうしてうつになってしまったか。
そしてどのように自分の中のうつを消して復活したかを
数回にわけてその経験をお話させていただきます。
ちょっとくらめの話になりますが、なるべくコミカルに語りますね。
僕は宮城県で産まれ、小さい時は岩手県の田舎町で育ちました。
父は医者で4人兄弟の長男。裕福な家庭に育ち、いわゆる“おぼっちゃま”でした。
本来活発な子だったのですが、身体が小さく顔が可愛かった(女の子みたいい)だったので、よくいじめられてました(;^ω^)住んでいた場所も田舎特有の排他的差別がひどい地域で、医者の息子ということでも目立っていたのもあるかもしれません。
当時は女の子と話すだけでも、先生に注意されるようなガチガチの校風だったので、よく注意されていました。
話すだけでもダメなんて、監獄か!って思いますよ。
ダメな理由もわからず
ただダメなルールばかりが多い。
みんながやっているんだから同じことをしろ。
ほかの生徒と違うことはするな。
それがあなたたちのためなの。
出る杭は打たれるの。
そうならないために
ただ目立たないように
与えらたことに疑問ももたず、
ただ言われた通りにやればいい。
ひっそりと自分を押し殺す生き方を教えるのが
学校というところなんだと思いました。
私の特技は、「人のいうことを聞くことです。自分の頭では考えません。言われたことを素直に聞きます。」
学校がイヤでイヤでたまりませんでした。
唯一の救いはいまでも弾いているピアノ。習い始めたのが3歳。早い時期にピアノに出会えたのは両親に感謝してます。音楽のすばらしさに触れることができたのが、ピカピカの宝物です。ピアノを弾いている時は異次元の美しい世界に触れているようなワクワク感がありました。
でも、ピアノは女の子がするもの
そんな周りの目がイヤで、人前では弾きたくなくなっていきました。
その時に他人の目線なんか関係ない、自分がやりたいことだけする!って強さがあればよかったのだけど、結局何をやっても他人からの目線が怖くなって、自分をだすことを徐々にしなくなっていきました。
ピアノが自分がやりたいことから、人にやらされていることになってしまったのです。
自分を押し殺すと、ほんとうにやりたいこともわからなくなってしまう、、
“他人に心を開くのはむだに傷つくだけだから、心には入れないようにしよう”心ガード全開モードON。
仲のいい子は何人かいたけど、あまりにも学校の雰囲気になじめず、父の転勤も重なり、小5で仙台に引っ越しをしました。
引っ越した仙台は開放的だったので、学校にもなじめ友達もたくさんできました。
中学に入るとやはり受験勉強のため、毎日怒られながら父に勉強をみられました。ほんとつらかったですね。両親からは大人になったら医者になるのよ!と育てられ、自分でも他にやりたいこともなかったので、そうなるんだろうな…ぐらいに思っていました。
おかげで成績はよかったものの、なんのために勉強なんかしなければいけないのか?はわかりませんでした。
成績
偏差値
数字
それでお前たちの一生が決まる
いい高校に入って、いい大学に進み、一流の企業に勤めることがお前たちの幸せ。ひたすら勉強の3年間でした。
お読みいただきありがとうございました。
いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。