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「居心地のいい闇」を抜け出したら、超カッコ悪い自分がいた。

今日は「居心地のいい闇」について書かせていただきます。



僕は過去に鬱で薬を大量に飲んでいました。その苦しさを誰かにわかってほしくて、迷える子羊のように迷いに迷っていた時期があります。当時はmixiをやっていましたが、発信する内容は苦しいとか悲しいばかり。ほんとのことではあるのですが、一言で言うと「可哀想な自分」に酔っていたんです。 



誰かこんな可哀想な自分を慰めてよ…という歪んだ自己顕示欲の塊でした。

被害者を演じている自分が心地よくて、居心地のいい闇にいることにも気づいていませんでした。可哀想な自分に共感してくれる人たちを集め、傷を舐め合う。そりゃ抜けるの難しいはずです。



この「居心地のいい闇」は、自分のことを見つめて、それを「カッコ悪い。」と認めないと、まず抜け出すことができません。




薬をやめ、
新たな環境に飛び込み、
付き合う人が変わる。
ちょっと未来を想像して、この自分で生きた先には何もないと悟った時、そこから抜けることができました。



だからわかるんです、この居心地のよさが。僕はこの居心地の良さを「居心地のいい闇」と呼んでいるのですが、カッコ悪い自分を客観的に見なきゃいけなかったので、まあ大変でした。

いままでのアイデンティティーが崩れて、自分というものがわからなくなりました。自分が惨めで、情けなく、いままで何をやっていたんだろうと後悔してもしきれない。



自分の中で、もういらなくなった殻がガラガラと崩れたんです。

僕はこの「居心地のいい闇」には決して戻らないです。精神的どん底、闇の底を見た時何もなかったからです。


居心地のいい闇にいる時は気づかなかったけど、抜け出したあとに思うのは、あの時は苦しみを自分で選んでしまっていたことと、自分から逃げていたことです。不器用だったので、それしか知らなかったんですね。




人生は選択の連続だと言われますが、生き方を選択するというのは、強い意志とともに、もうそこには戻らないと決めることでもあると思います。



自己顕示欲、嫉妬、人間にはいろいろな感情と欲があります。ですが、周りに向けても心の奥の葛藤は消えません。



誰かを批判する、愚痴ばかり言う、相手の足を引っ張る、嫉妬、こういう葛藤ががゼロになることはありませんが、それに気づいた時、自分にフォーカスしてつなげることはできます。




自分にフォーカスして行動に変えた時、その葛藤は自分の人生を変えるパワーに変わります。


自分の人生どのように生きたいか。日々に追われているとなかなか自分に問いかけることはできませんが、人生を変えようとした時、苦しみと共に生きるか、ワクワクと共に生きるかは選択できます。

僕には、死ぬ時に後悔したくないという思いがあります。めっちゃ楽しい人生、やりたいことをやりつくして生きていきたいんです。これを叶えるための努力だったら、いくらでもします。

こんな経験があったから、いまの自分があって、困難だとしても挑戦できる自分になれたのかもしれません。どんな経験も捨てたものではないですね。

いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。