占星術から教えられた「産まれてからの自分を、自分の全てだと思わないで」
人は産まれた時に、大声をあげて泣きます。もし精神体としての自分がいるなら、肉体にヒュッと入った瞬間、あまりの身体の狭さ(不自由さ)と、五感から感じる刺激にビックリして泣いているのかもしれないと考えてしまう時があります。
今日は産まれる前の、自分の精神体があるという前提で書きます。
前世の記憶を持つ子供たち。
僕がこんなことを考えたのは、前世の記憶を持つ子供たちの話を聞いてからです。まだ6歳ぐらいで前世で兵士だった時の記憶を持つ子供のドキュメンタリーをしていたのですが、その時の記憶を細かに話していました。
名前も死に方も覚えていて、子供の作り話にしては出来すぎている。その話が本当なのか調査を始めました。そうしたら、子供が話すその人物と一致する人が見つかって、細かい状況までピッタリと一致したそうです。
不思議な話で、真実なのか偶然なのか、捉え方は違うと思いますが、自分というのは、肉体を持ってからの自分だけではなく、肉体を持つ前から精神体としても存在していたのかもしれないということですね。
僕には、こんな前世の鮮明な記憶などおぼえていませんが、肉体を持つ前の感覚は持っているのかもしれません。
冒頭で書いた話も、産まれる前の精神体は、サイズも大きく身体という概念がないため自由だったと思うのです。
移動するにしても、ヒュッとどこでも行けてしまう自由さがあったはずなのに、肉体と精神が繋がった瞬間、肉体の器のあまりの狭さと不自由さに、「こんなに狭かったのか!」と泣いてしまったと本気で思っています。
仕事をして肩こりがひどくなったりすると、「肉体は不便だな、肉体を持っていない時はこんな苦労はなかったのに」と、ちょっと変わった感覚から思ってしまいます。
お風呂に入らないとすぐに身体は汚れてしまい、不便だとも思います。
よくよく考えると、変な視点から考えていますね。
なんで、そんな不自由な思いまでして、人間として生まれてきたかったのか?
僕は占星術をしますが、占星術ではホロスコープを読み解きます。星占いではなく、統計学に基づいたデーターから読み解くんです。
面白いのが、このホロスコープは生まれて来る前の自分が計画してきた人生の設計図だということです。神ではなく、自分で決めてきている。
緻密に計画されたホロスコープを見ると、
なんとなく生まれてきた人は1人もいなくて、生まれてきたくて生まれてきている。
と感じます。
人生でこんなことをしたい、あんなこともしたい、こんな人と出逢いたい。みんな人生のテーマが違います。
やはり精神体としての自分はいるのかもしれません。そして、人生を緻密に計画する知恵とスケールの大きさを持っています。生まれた瞬間、今まで持っていた記憶を全て忘れしまい、覚えていないだけなのかもしれません。
今日はなんでこんなことを書いたのかと言うと、産まれてからの自分を、自分の全てだと思わない方がいいということを言いたかったんです。
苦しむために生まれてきたのではなく、自分に制限をかけて、そこから自由を取り戻していくために人生の旅をしている、そう思えるんです。
なぜ肉体を持って生まれてきたんだろう?
楽しいこともたくさんしたいし、
苦しさから這い上がる経験もしたい。
誰かを本気で愛して、
「愛」とは何かを知りたい。
情熱を持って何かに打ち込みたい。
家庭を持ちたい。
有名になりたい。
お金持ちになりたい。
幸せになりたい。
ムダなこともしてみたい。
精神体の自分は、好奇心旺盛でいろんな経験を積みたいと思ってきているのかもしれませんね。
産まれる前の自分に思いを馳せてみると、もしかしたら記憶や感覚の断片が自分の中から見つかるかもしれません。もし自分だけの感覚を持っていたとしたら、それは真実です。他の誰にも理解されなくても、その感覚に従ってほしい。
今日の記事は前提が違います。産まれる前の精神体の自分がいるという前提で考えてみた時に、いまの自分を少し違う角度から見ることができます。
また、もし苦しみの中にいたとしても、客観的に自分を見れて、抜け出しやすくなるはずです。
自分も、人生もスケールでかくいきたいですね。
僕が在籍しているヒーリングサロンカミュのHPです。
お問合せ、ご質問がありましたらLINEからお願いいたします。
いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。