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自責思考の止め方~荒療治編~


「なんて自分はダメなんだろう」


「こんな自分に生きる価値などない」


 自分を責め続けた果てに、自己否定的な考えに至ったことはあるだろうか。私はある。眠る直前まで自分を否定して責めて追い込み「今日もダメだった」とダメ人間の烙印を押し、失意の中眠りに就く毎日を送っていた。

 今思い返すと「只の阿呆だな」と思うが、そんな今でも稀に自己否定と自責と自己嫌悪の波にのまれそうになる。つい先日も闇の中に放りだされそうになったとき、不意に自分の中に天啓とも呼べる思考が降ってきた。直後、自分を責めて終わることの馬鹿馬鹿しさに気付き、考え方を変えることに成功した。

 もしかしたら万人に使える手法なのではないか。得意になった私は筆を執ったのだった。
※以下の文章の中で気分を害するような表現があっても、それは私のことを言っているのでありあなたのことを謗っている訳ではないので悪しからず。



 結論から話そう。私の闇を切り裂く天啓の中身はこちら。

「そうやって自分を責めるだけで何か解決するか? しねぇだろ。良いから解決策考えろ」

「傷付いて反省した気になって不出来な自分から目を背けて逃げてんじゃねぇ。向き合え」


 いかがだろうか。

 たったこれだけでかっぱえびせん状態だった自責思考を止めることが出来た素晴らしい言葉たちである。あなたも自責思考が止まらなくなったら、一度試してみてはいかがだろうか。



 ここからは自責についての深堀をしてみようと思う。既に本題は終了したので、興味が無い方は立ち去って頂いて構わない。
 
 そもそもの話、どうして自分を責め続けてしまうのだろうか?
 数多ある理由の中から一つ、「原因を見つけて安心したい」という欲求に焦点を当てて考えてみたい。

 問題の原因を割り出すことは重要だ。咳の原因が風邪なのか気管支系の疾患なのか胃酸の逆流によるものなのかで対処が変わるように、原因が分からぬまま適切な対策は望めない。そのため我々は問題が起きればそれを振り返り、検討し、再発を防ぐために出来ることをする。正常なサイクルだ。
 
 ところが自責が止まらない人は、どういう訳か振り返りの際に過ちを犯す。原因を見つけ、安心して攻撃出来る材料――つまりは過去の自分の行いを見つけ、嬉々として攻撃行動に走り始める。社会的に問題のある行動をとったからといって、問題を起こした人を、全く無関係の人間が、嬉々として袋叩きにしている様からも察しがつくように、我々は安心して攻撃出来る材料を探している。その秘めたる残虐性が、間違いを犯させる。

 何故自分を攻撃してしまうのかは後で語るとして、残虐性に流され自分を攻撃した後のことを考えてみよう。必要以上に自分を追い詰めれば、当然気分は落ち込む。そして気分が沈んだことを、反省と捉えてしまう。

 意味の無い「たられば」が加わるとより厄介なことになる。車を運転中、青信号だからと動き出したところに信号無視の車両が突っ込んできて「青信号でも信号無視してくる人のことを考えなかったのがいけないんだ、ちゃんと全ての可能性を考えていれば」といったような意味不明な後悔を「次に繋がる解決策」と錯覚してしまうのだ。

 周りを巻き込むミスの場合、自責思考が抜けない人は全て自分が悪いと思っているのですぐ謝罪する。すぐ謝れるのはいいことだが、これもよくない影響を及ぼす可能性がある。「どこがどう悪かった、次はこのように改善する」と本人の口から言わせず、とにかく謝罪すればよし、という環境だと、「誤ったからいいか」と許してしまう。許された当人は安堵してようやく自責思考を止めるか、いやでも、とくよくよ悩み続けるかのどちらかとなる。どちらの場合も、解決への道は開かれていない。

 こうして自らを傷付けることを「反省」、スーパーヒーローですら実現不可能な超能力じみた先読み行動を自分に課すことを「改善策」と誤認し、落ち込んでいる様を反省とみなして許してしまう環境が揃っていると、自責思考のループが発生しやすいように思われる。


 負のループが発生するサイクルを考察したところで、今度は自責思考の発生に視点を移そう。

 なぜ自分を攻撃し、必要以上に自分を追い詰めてしまうようになるのか。
 やはり環境が大きな原因となるだろう。何か間違いを犯した際、共に原因を考えて解決策を導いてくれる人が周囲に居らず、代わりに「お前のせいだ」「申し訳ないと思わないのか」と責任を押し付け形ばかりの「反省」を要求する人間が周りに居ると、自責思考に陥りやすい。「ミスの改善を図る」「失敗を成功に転ずる」思考ではなく、「ミスを責める」「反省した素振りを見せる」という対症療法しか学習出来ないからだ。

 思考様式も習慣の一種である。幼少の頃にこのような環境に置かれているほど、自責思考は根強く、切り離し難くなっていく。習慣というのは繰り返せば繰り返すほど、アイデンティティと深く結びつきやすいからだ。「自分はダメな人間だ」「自分は何度も失敗して成功出来ない人間だ」というアイデンティティをどんどん強めてしまう。

 この状態が続くと、どうせ失敗するからと挑戦を避けたり、何に対しても自信が持てなくなったりして、より「ダメな人間」というレッテルを貼り、何も無いのに自分を責め始める。

 失敗を良しとする環境であれば「失敗から学ぶことが出来る人間」「失敗を乗り越え成長出来る人間」というアイデンティティが身につくはずだったし、失敗を恐れず、自信に満ち溢れた人になっていただろうことを考えると、なんだかやるせない。


 自責思考に対して、「他人を責めるよりはマシ」という感想を発する人を見かける。確かに他人ばかり責める人は存在だけで不快だし、パフォーマンスを下げるだけで何の意味も無いどころかマイナスの存在である。加えて、他人を自責ループの地獄に導きかねない。これら多数のデメリットを考えれば、確かに他責思考よりはマシなように感じる。

 しかし、「他者を傷付けないだけ相対的に見てよい」というだけの話で、推奨するという訳ではない。どちらか選ばねばならないのならば選ぶが、実際その二者択一に迫られたのなら、絶対に他の選択肢を探す。「マシ」とはそういうものだ。ねちねちと自分を虐め続ける様を見せられるのもそれはそれで気分が悪いし、何のパフォーマンスにも繋がらないという点では同様である。何より、自責思考から抜け出せないあなたは傷つき続けている。他でもない、あなた自身の手によって。


 あんなにも辛かった時間を、今度は今、自分から生み出している。怒りや悔しさといった正当な感情さえも剥奪される屈辱的な時間を、今、あなたが自分に与えている。



 地獄を生み出した人間は他の誰かかもしれない。けれど「今」地獄を生み出しているのは、他でもないあなただ。



 あなたはきっと、優しい人なのだろう。あなたはきっと否定するだろうが、自分がされて嫌だったことを平気で他人相手に行う人も居る中で、あなたは自分にその矛先を向けている。その時点で、あなたには「他人に同じ想いをしてほしくない」という計り知れない程深い愛と優しさがある。非常に立派な心がけだ。

 ではあなたは何故、自分にその優しさを向けられないでいる?

 あなたが自分自身に対して行っていることは、過去あなたが死ぬほど嫌だった行いと同じである。
 あなたが今抱えている傷は、他の誰かにつけられた傷かもしれないが、そんな大きさにまで成長させたのはあなた自身である。
 あなたは心の底から忌み嫌った人間と、同じ存在になってしまっている。

「他責思考よりはマシ」などという逃げ口上を今すぐ捨てて、自分と向き合って欲しい。

  • 本当に、あなたはダメ人間なのか?

  • 本当に、あなたは失敗してばかりいるのか?

  • 本当に、あなただけが全て悪いのか?


 最初の内は、何度考えても同じ答えに辿り着いてしまうだろう。自分を責める言葉ばかりが脳内を埋め尽くすだろう。

 それでも、自分と向き合うことを止めてはいけない。

 自責だけしていれば、「ダメな自分」という漠然としたフィルター越しに見ることになるので、欠点を直視する必要はない。ある種の逃げ道になっている。他人からダメな点を指摘されても、「まあ自分ダメ人間ですし」と我が身を守る盾ともなってくれる。辛いだけのはずの自責が止められないのは、こういうところにもある。

 しかしそれは、自分と向き合っているとは言えない。自分と向き合うということは、自分の欠点をつぶさに把握した上で、それをどのようにして潰すか、どうすれば強みに変換出来るか考えることである。当然、ダメ人間フィルターは役に立たないし、他者から指摘されたことは正面から受け止める必要がある。言うまでもなく、辛く苦しい行為である。

 それでも、一度向き合ってしまえば後は楽なものだ。よく分からないからこそ、人は恐れ、戸惑い、怒りに我を忘れる。自分と向き合い自分を知ることが出来れば、あなたはこうした感情に振り回される日々から解放される。


 あなたはあなたの失敗や、あなたの欠点から向き合う術を教えて貰えなかっただけだ。ダメ人間などではない。

 何かが起こるたび、あなただけが悪者になる必要も無い。問題とは大きなものになればなるほど、原因は複雑に絡み合うものだ。あなたが悪いところもあるし、他の人が悪いところもある。完全な偶然、時の運ということすらある。もう、自分の悪かったところをあげつらうのは止めにしていい。

 あなたは少しばかり運が悪かったかもしれないが、遠回りをした分だけ、より深く自分の扱い方を知ることが出来るようになる。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず、という言葉がある。自分と向き合うだけで、いくつもの戦いを潜り抜ける秘策の半分を手にすることが出来るのだ。あなたは自身の欠点を数多く知っている事だろう。全て網羅しているかもしれない。であれば、その欠点に対し、こう問いかけてみてほしい。

「なら、どう改善する?」


 この一言があるだけで、辛い毎日が少しはマシになるかもしれない。
 マシにならなかったら、あなた自身の代わりに、私を責めればいい。甘言で誑かしたとして、心行くまで責めてくれていい。
 あなたを責めるあなたが居なくなるのであれば、私はどんな謗りでも喜んで受け容れようではないか。





 とはいえ私も人間なので、お手柔らかにお願いします。







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