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苦しみから抜けた先の景色を見たいね【毒親】

今日の記事は、今のありのままを綴る。

今月の11日からうつ状態に突入した。希死念慮と自傷衝動が唐突にやってきた。なんとか耐えながら生活するものの、次第に食事の準備もままならなくなり、寝たきりに。読書は文字が頭に入ってこず、塗り絵は色が思い浮かばず、点つなぎは頭が混乱するという、普段のリラックス方法もできなくなった。主治医からは「入院してほしい」とも告げられた。

それから1週間経ち、私はようやくベットから起きれる時間も増え、こうやって記事が書けるまでに回復した。もちろん調子が完全に戻ったわけではない。だが「今」言葉にしたいことがあったから、こうしてパソコンに向かっている。

11日。うつ状態に入ったその日、私は母に電話した。電話越しに、父と妹の楽しそうな会話が聞こえた。それだけのことだ。しかし、私をうつ状態に引っ張るには、十分すぎることだった。

私は、私がいるから「家族」は成り立っていると思い込んでいた。
「父」と「母」を仲介するため。「妹」を守るため。「母」を安定させるため。
実際、幼い頃はそのような役割を担っていたと思う。だが、あの頃から月日は経ち、今や「家族」は「私」がいなくても機能するようになっていた。そのことに、自分でも驚くくらいショックを受けた。今まで必死に「家族」を支えてきたのは、なんだったのか。そうやって作られた「私」は何者なのか。自分の存在意義が崩れていって、「生きる意味」を見失った。

私自身が、「家族」というものに想像以上に寄りかかっていたのだ。同時に、きっとここまで必死にしがみついていたから、ずっと苦しかったのだろう。
「しろくろさんは、しろくろさんの人生を送れなかったから、ここまで問題が拗れてしまったように思います。」
いつかの元主治医の言葉を思い出す。

今こうやって冷静に言語化していても、私は自分の「生きる意味」を見出せない。

上記のような記事を書いたこともあるが、実際に自分が苦しんでいるときは、なかなかそうは思えない。だからこそ、今はこの問題について考えることを「後回し」にしている。とりあえず「今日を生き抜く」。それだけで十分だと思っている。

だが、1つわかることがある。このうつ状態は、双極性障害のうつというより、トラウマに関わるうつだ。そしてこの暗闇から抜けた時、きっと想像以上の景色が見えるのだろう。

その景色を見ることを、今の生きる理由にしてもいいかな。

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