恋愛依存者と恋愛回避者
今回はタイトルどおりの話なのだけど、「恋愛依存症」「恋愛中毒」「好き避け」などの言いまわしは使わず、「恋愛依存者」「恋愛回避者」という言葉を使って書く。
恋愛回避者は、恋愛を望みながら、同時に恐れてもいる。
恋愛回避者は、恋愛的に好きな人ができると、「想い人以外との」活動を増やす傾向がある。
無理やり、他の何かに集中しようとするとも言える。さまざまな方法で、その人物と距離を置こうとする。物理的にも精神的にも。
自分の気持ちを薄れさせようと、努力しているのだ。自分の想いに気づくと、途端に、そのような行動をしはじめてしまう。
恋愛回避者は、好きになった人に飲みこまれることから自分を守るため、そのような行動に出ているのだ。
彼ら彼女らは、幼少期に、親との関係でひどく精神を消耗した。その可能性が極めて高い。自分に関心をもってほしいと強く願えば、相手が自分を煙たがって、最悪は放棄すると信じている(覚えこんでいる)。
人に見捨てられることへの恐怖は、多かれ少なかれ、誰にでもあるもの。だが、恋愛回避者は、その解決策や対処法を知らない。知識的に知っていても、経験的には解っていない。つまり、いくら意識しても無意識の恐怖が拭えない。
その恐怖心を緩和するには、相手との関わりを繰り返していけばよいのだが、幼少期にそれをほとんど練習できなかったせいだ。
恋愛回避者は、恋愛依存者を利用しがちである。
恋愛依存者は、相手が自分から離れることを強く恐れる。恋愛回避者は、そのことをよくわかっていて利用する。
自分から好きになった人とは違い、(恋愛的に好きなわけではない)恋愛依存者が相手だと、自分が支配側になれる。それなら、飲みこまれない。精神を消耗することもない。
恋愛回避者は、恋愛依存者の注意をひくため、恋愛依存者に暗にメッセージを送る。「私の人生にはあなたよりも大切なものがある」と。すると、恋愛依存者は、恋愛回避者の心をつかもうと、躍起になって挑戦し続ける。恋愛回避者は、恋愛依存者の関心の中心であり続けることに成功する。
恋愛回避者は、恋愛依存者との関係で安心感を得るが、恋愛依存者に惚れこんだりはしない。この方法で手に入れたいのは、安心材料である。浅く広く。「本命」と距離をはかりたい気持ちとも両立し、色々とちょうどよいのだ。
恋愛依存者も恋愛回避者も、適切な絆について知らない。人を好きになったら、その人に「適度な好意を示す」という普通の行動ができない。恋愛依存者は、相手との距離を一気に縮めようとしすぎる。恋愛回避者は、本人やまわりに自分の想いを悟られることを極端に嫌がる。
誰かにとっては簡単なことでも、彼ら彼女らにとってはとても困難なことなのだ。
余談
同様の原理で、恋愛回避者は、大人になってから、原家族(親や兄弟姉妹)の面倒を見ることをあまり嫌がらない。それには、金銭的な援助も含まれる。自分が必要とされている・自分側にパワーがあると感じることができ、安心感を得れるからだ。
何の解決策も書けなかった。どうしたら改善できるかは、何も知らない。勇気を出すとか、素直になるとか。そのくらいしかわからない。