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認知行動療法の勧め3。信頼出来る人の総数を増やしていく(2020年)

過去記事は、


以前に思った事で以前に何かの記事で似たような事を書いていたかも知れないです。
虐待や虐めを受けた人は人間不信に陥りやすく、全ての人間が自分に危害を加える存在と誤認してしまうケースが多い事と思います。その気持ちが行き過ぎると時に無差別殺人や自殺を招いてしまう事もあります。
世の中の事象自体は客観的には一つの形でしかないのですが、それを観る人によって個々に主観が異なる為に観え方に千差万別が起きてしまいます。よく例えられるものとして、コップに水が半分入っているのを「まだ半分もある」と思うか「もう半分しかない」と思うか。

ウィンストン・チャーチルさんの名言として「悲観主義者は全ての好機の中に困難を見付けるが、楽観主義者は全ての困難の中に好機を見い出す」と発言されていたようです(好機が機会として、困難が問題として紹介されている場合もあります)
この言葉を元にして僕も「鬱の時は全ての好機の中に困難を見付けるが、躁の時は全ての困難の中に好機を見い出す」や「陰気な時は全ての善意の中に悪意を感じるが、陽気な時は全ての悪意の中に善意を感じる」や「虐げられたと捉えれば悲観的である、鍛えてくれたと捉えれば楽観的である」などの言葉を思い付きました。
より深く考えると悲観主義者は慎重な人とも言えるし、楽観主義者はお調子者とも言えますね。

僕自身も過去に全ての人間が自分に危害を加える存在という心境に陥ってしまっていた事がありまして、その影響でシャア(逆襲のシャア)、黒カトル(ガンダムW)、仙水忍(幽遊白書) 、バラン(ダイの大冒険)、ヒュンケル(ダイの大冒険)、瀬田宗次郎(るろうに剣心)、ロイエンタール(銀河英雄伝説)、ヨハン(MONSTER)、沢木晃(サイコメトラーEIJI)、高遠遙一(金田一少年の事件簿)、とかに共感してもいました 笑。
年齢を重ね、その分様々な人との出逢いも経て思う事は、パレートの法則みたいに理不尽な人って2割程度なのかも?と。自分は奇人変人な面もあるけど丁寧に接すれば良くしてくれる人が多いですね。
肩書きや地位をあまり気にしないから人柄や能力重視で人を観ていて、肩書きや地位があっても中身が薄い人は軽蔑するし、バイトの店員さんとかにも「ありがとうございます」や「ごちそうさま」や些細なミスがあっても「大丈夫ですよ」って伝えている。
以前に思った事で「理不尽な人÷接する人数=世の中を嫌に思う度合%」みたいなところがあるなと。
「理不尽な人8人÷接する人数10人=世の中を嫌に思う度合80%」ってなると世の中の大半を嫌なイメージで自己洗脳してしまう。
けれどもその理不尽な人8人は「理不尽な人8人÷接する人数100人=世の中を嫌に思う度合8%」みたいに8%だけの存在かも知れない?

成長していく過程で交流する人をより吟味して選択するようになった事や、理不尽な仕打ちを受けた場合の返しが上達した事や、自分から理不尽な事をしないように強く気を付けるようになって、世の中は良い人や無害な人の方が割合的には多いのかも?と思う気持ちが強くなった。だからといっても、全くの無警戒にはならないけども。
虐待や虐めを受けて人間不信に陥っている人は、少しの勇気が持てたら信頼出来る人を増やす試みをして欲しく思う。それが結果的にあなた自身の人生を好転させる機会の一つになると思う。
一方的に依存したり頼ったりは好ましくないです。各個人可能な範囲で礼儀やお礼を示した方が良く、それが不足すると理不尽な人認定をされて切り捨てられてしまう事もあります。
いきなり人間相手が難しく感じる人は、人間以外の動物とか植物とかもお勧めですね。
人間みたいに複雑な心理が無いので、良い事も悪い事も自分のした事に対して素直に反応してくれます。

何かしらの好ましい視点が見付かりますように。
(=^・▽・^=)ノシ ~♪


旧ブログにて2020年12月26日に記載していたもの

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