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障害者支援学校を卒業してからの自分を振り返ってみた。


今年も春の卒業シーズンが来た。(私も卒業してから10年以上の月日が経ってしまったんだな)っと、今の職場から見る青い空を眺めてそう思っていた。学生時代の自分は、卒業してからの人生において、生きる理由なんて全くないと言っても過言ではなかった。今でもたまにそう思う。これは私が高校を卒業後の話だ。


卒業してからは、とある段ボール企業の製造に”正社員”として働き始めた。作業内容は単純で、段ボールをひたすらビニールの紐で結束をして、パレットの上に積んでいく…、誰でもできるお手軽作業だった。そこで3年程働いたが躁鬱病になって…

退職してやった。

何故?辞めてやったと上から目線で言っているのか、それはその会社が散々私を蔑ろ(ないがしろ)にしたからである。私は3年間で色んな機械がある部署にたらい回しに仕事をさせられた。おかげでどこでも誰かが休んでも穴埋めができる補欠要員に成り果てた。だが、現場の人間は誰も私のことを見てくれなかった。皆が定時に帰る時には、作業が遅れている場所の仕事を強要され、若かった自分は断ることもできず、イヤイヤ残業をした。遅い残業の日は深夜3時に帰ったこともあった。

おかげで精神も身体もボロボロになってしまった。だからそんな断れない自分に対して、奴隷をやめる計画を企てた。その内容は単純明快だった。キレる事だった。人が感情的に怒っているとなれば、「冷静な判断が出来ていない!」と周りに人たちに思わせる為の偽装ができると踏んだ。…結果は、望んだ結果になった。具体的には、4日間無欠勤をしてやった。そして無事、辞めることに成功したのであった。と言うわけでもなく、時すでに、手遅れな程に精神も身体も崩壊していた。

わずかな貯金と失業保険で1年間、ずっとゲームをして過ごした。何もやる気が起きなかった。ただ自分にあったのはゲームだけだった。私はその時知った。私は何も能力がないんだと…。何も知らなかった。何もなかった。『自分は何の為に生きているんだ?』そんなことを忘れる為に引きこもりになり、ひたすらに、ゲームをやり続けた。そして……

そうな20代…。あれから10年の月日が流れた。今の私は精神科で調整した精神安定剤と障害者年金をもらいながら、A型継続支援事業所に通いながら、趣味の動画編集と小説を書いて安定した生活を歩んでいる。最近は、動画編集を身につけたおかげでYouTuberの収益化を目指して頑張っている。

何が言いたいかと言うと、私は生きる理由と目標ができたのだ。

そしてこの記事を通して言いたいことを言う!

自分のペースで生きていいんだよ!そして、生きる理由を見つけろ!


ってことです。会社の社員なんて、所詮は他人、利用される側と利用する側だけの中だ。体調が悪くなろうが、精神が崩壊していようが他人だから助けてはもらえないのだ!だから辞めたくなったら一旦辞めるのも一つの逃げ道であり、選択肢でもあるから、自分の成長が見込めなくなったら、その仕事を辞めて、どんどん転職して新しい技術と勉強をすることをオススメするぞ!!!見たいな軽い感じで生きていくとメンタルには優しいと思うし、明るい人生が歩めると思いますよ!私の人生は何とも言えないけどね。


以上が現在の私の人生放浪の旅の日記だ!

最後まで、読んでいただきありがとうございました!

コメントとかしてくれると凄く喜びますのでよろしくお願いします!


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