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変わ「れない」のか?ー自分を「変える」ための考え方:目的論

感情を含むすべての行動には「目的」が存在するーそう説いたのは、フロイトとユングに並ぶ心理学の三代巨頭の1人、アドラーである。

私は、初めてこの理論を聞いた時、たいへん驚いたものである。なにせ、感情は理性的なものではなく、本人の意思とは別に生じるのが当然であると思っていたからだ。

しかし一方で、自分の思考に痛烈な一撃を与えたのも事実であった。

 「目的論」は、人間の行動すべてに「目的」が存在するとしているが、この「すべて」というのは、私達がそんなわけはないだろうと思うような行動ももれなく含む。例えば、よく挙げられる例として、「対人恐怖症になった人」がある。

一般的に、人が対人恐怖症になるには、それ相応の理由があったものと考えるのが普通である。例えば学校などでいじめられた、過去に他人から攻撃を受け、それがトラウマになった・・・など、様々な原因が考えられる。このような考えの進め方は、原因があって物事が生じるという意味で「原因論」と呼ばれており、多くの人がこの考え方を持っている。

一方、目的論では、前述の例で考えると、「その人に何か目的があるから、対人恐怖症という症状を利用している」という構造になる。

ここで考えられる「目的」とは、対人恐怖症という症状を選択することで得られる利益である。対人恐怖症という症状を利用すれば、例えば家から出ないことに対し、周りの人達になぜ家から出ないのか?に対する真っ当な理由を示すことができる。また、家から出ない自分、人とうまく話せない自分に対して、対人恐怖症があるからだ、という理由を付けて、克服できない自分を納得させることができる。つまり、改善のためにしなければならない積極的な努力をすることを避けることができるのだ。このように、感情等の自分の行動を、何かの目的を達成するための手段として利用しているとしたのが、アドラーの目的論である。

 これは、ものすごく厳しい理論である。どんな行動・感情も、自分の目的に沿って自分が選択しているものとするので、要するにすべての行動は自分が選択した結果であって、他人や環境などの外側の要因に原因を求めるのは責任転嫁である、ということなのである。

厳しい理論であるがゆえに、これは万人にとって実現可能な考え方ではない。これが正しい考え方であると言って、実際に対人恐怖症を患う人に対して自己責任だ、言い訳だ、というように非難するのは妥当ではないだろう。

 しかし一方で、この目的論というのは、人間に対して、積極的な未来を自発的に切り拓かせることができる理論である。

すべての行動が「過去の原因」ではなく「現在の自分の選択」に依拠するならば、「現在の自分の目的とそれに沿ってした選択」を変えることができれば、未来も変わっていくからだ。

例えば先の対人恐怖症の例で言えば、今まで対人恐怖症のせいで私はうまくしゃべれない、家から出られないという原因論で考えていたものが、私は現実的な努力をしたくないから対人恐怖症を利用しているんだ、対人恐怖症を利用することをやめよう、というように目的論で考えるものになり、これは積極的な未来の行動につながる。

「過去は変えられない」「今の私は過去が規定するものだ」、この二つの条件が揃ってしまえば、「変えられない過去が今の私を規定する」となり、将来に対する何らの有効な手立てを打つことができなくなる。過去というものは、現在の自分がいくらあがこうと、それが過去である限り、変えられるはずがない。

「過去」を嘆くことをやめ、変えられる「現在」について考える。目的論は厳しい理論であるように映るが、人間が積極的な未来を生きていくためには必要不可欠な「考え方」であると言える。

目的が変われば、すべての行動が変わる。