ノルウェイの森
珍しくそのままのタイトルを書いた通り、今回はノルウェイの森の話をする。親切なあらすじは割愛しネタバレもする。内容を少しでも知っている人でないと全くついて来られないタイプの感想文になるのだと思う。
今回は、自分だけのために書きたいのでいつも読んでくださっている皆さんもここで読むのを諦めていただいて構わない。
ただし文章として成立するように誰かの目に触れるかもしれないと頭の片隅には置いておきながら書き進めるつもりだし、公開するのは許していただきたい。
経緯
この本を初めて読んだのは確か分高校二年生のとき。国語の教科書で読んだ村上春樹の短編小説『鏡』が思いのほか読みやすくて、奇妙な感じの面白さがあったので彼の作品に興味を持った。そのことをきっと母親に話したのだと思う。唯一話題作だからと母が買って一度読んだきりずっと眠らせていた『ノルウェイの森』を授かった。母は「よくわからない」と言った。
タイトルの由来であるThe BeatlesのNorwegian Woodもほどなくしてやはり家に眠っていたCDに収録されていたと知り聴くこととなった。
そして今日、松山ケンイチ主演の映画『ノルウェイの森』を見た。
一言目の感想は鬱。
ストーリーもキャストもある程度知っていたのに思っていた以上に何かが心に刺さった。心に柔らかく治りにくい傷を負った感じがする。苦しい。わざわざ文字にすることもないのだけれど、少し向き合ってみる。
映画の感想
学生運動が盛んだった何十年も前の話を今から10年も前(映画公開は2010年)に映像化したのだから当然のことだが、人々の衣服が、街が、纏った空気が古い。むせ返るような古さではないのだけれどもどこか淀んでいてじんわりと息苦しい。
物語本体にそこまで影響を与えないシーンでは、主人公のワタナベが手のひらに切り傷を負ったところは特に印象に残った。瘡蓋をめくりながら静止画的に映し出された棘のある植物、直子と走り出した草原の緑、そして直子を失った後に訪れた海、こうした景色が人物たちの表情以上に彼らの心情を運んできた。小説では描き出せないものをこうしたところに感じられた。
しかし私の心を蝕んだのは視覚より、聴覚であったと思う。壮大な音楽が、直子の泣き声が、荒れた波が、重い。
重いという他どうにもならない自分の語彙を恨むが映画の音楽というものがこんなにも力を持っていることを私は初めて知った。
作品の中で、何人もが自殺する。
しかしミステリー・サスペンス作品ではないので全体としてゆったりしたテンポで進む。場合によっては少々退屈するくらいの速度感だ。
だから彼らの死はもちろん人物たちに傷を負わせるわけではあるものの、観ている人が思わず「息を忘れる」とか、「息が止まる」ような衝撃としてはもたらされない。(こう考えてしまうのは一つには彼らが死ぬことを知っていたためかもしれないが。)
また、「私たち普通じゃないの」といって笑ったレイコさんや直子はわからないが、主人公のワタナベを始めミドリ、永沢さんといった人々は閉塞感に苛まれはしない。あくまでワタナベの目線で語られる以上作品全体を通して閉塞感に満ちていたということはない。
衝撃と閉塞感がない、ゆったりとした作品。それなのに観ていてどうしようもなく息苦しくなった。これが一言目にでてきた鬱なのだと思う。
これ以上の感覚的な言及は後に回すとして、映画で印象に残った台詞をいくつかメモしておきたい。
『孤独が好きな人なんていないさ』(ワタナベ・松山ケンイチ)
『死んだ人は死んだままだけど、私たちはこれからも生きていかなくちゃいけないから。』(直子・菊地凛子)
『私たち普通じゃないのよ』(レイコさん・霧島れいか)
『自分に同情するのは下劣な人間のすることだ』(永沢さん・玉山鉄二)
『でも、私をとるときは私だけをとってね。言ってることわかる?』(ミドリ・水原希子)
対比①主人公の年齢
小説(原作)の冒頭は37歳の主人公ワタナベがドイツの空港に着陸したシーンから始まる。機内にNorwegian Woodが流れそれは彼の頭を混乱させる。37歳になったワタナベが当時の出来事を文章にしながら整理していく形をとっている。映画はこの整理された当時の出来事のみを映像化した形だ。つまり、映画の主人公はあくまで20歳やそこらのままだ。
何か別の媒体の原作を映画化した作品ではどこかを削らなければならないし、この回顧の構造をなくしてしまうのは仕方のないことだと同意する。しかし、数回しか読んだことがないものの深く印象に残っているフレーズがあるのはこの箇所である。(本当に印象的であったか、冒頭なので読み方が丁寧であったためかは自信がないが。)
東京で偶然再会を果たして以来彼らはいくらかの時間を共に過ごす。恋人のような関係に見える。しかしそれから18年が経ってワタナベがその時のことを振り返ると「直子は僕のことを愛してさえいなかった」のだと考える。当時の出来事(映画の内容)を知っていく上でこの考えを知っているのと知らないのでは全く意味が違ってくる。
また、同様に冒頭で展開される「どこにあるかわからない大きな井戸」の話。巨大な修飾部(なくても全く問題のない箇所)ともいえるが、ここに私は村上春樹の面白さを感じる。直子は常にこの井戸の恐怖に怯えていたし、井戸に飲み込まれてしまったとも考えられるだろう。
対比②答え合わせ
ノルウェイの森冒頭のシーン。主人公が飛行機でついた場所はドイツである。ノルウェーじゃないんかーい。ひどく印象的であった。
ドイツという地名は心に残っていたもののそれが何を表しているのかは、最後に読んで以来すっかり忘れていた。映画で「永沢さんがドイツに赴任して二年後にハツミさんは別の男と結婚した。そしてその二年後にハツミさんは手首を切って死んだ。」と語られている。ワタナベは永沢さんを訪ねてドイツへ何度も足を運んでいたのだ。納得。
対比③Norwegian Wood
ワタナベが療養所を初めて訪ねたとき、直子の同居人レイコさんが弾き語りで披露してくれる。映画でもその弾き語りの途中直子が泣いて取り乱してしまい、気を落ち着けるためレイコがワタナベにしばらく席を外すように指示する場面がある。
原作通りの表現であるが原作ではこの曲に関してもう少し制約がある。
ワタナベの存在の有無に関わらずこの曲は特別で、好きだけれどもいつも簡単には聴けないのだ。
作品の余韻で映画を観た後何度も聴いたら私もしっかり哀しい気持ちになった。涙
ちなみによく知った人もいるかもしれないがNorwegian Woodをノルウェイの森としたのは誤訳だという。ノルウェー産の木で作った家具を指すらしい。この曲は「女を引っかけたと思ったら相手にされず腹いせに火をつけてやった」(30字)という一夜の物語だ。バンドミュージックにアジア系の弦楽器を調和させた、何度も繰り返される旋律が印象的。
この誤用タイトルからもわかる通り、ノルウェーは目的地のような地名を指すのではない。ノルウェーではなくドイツが場所として選ばれたことに対する違和感はここからも払拭される。(かといってドイツである必要もないけれども。)
小説がどれだけ曲の影響を濃く現しているか定かではないが、ミドリは曲の中の女性みたいなことやりそう。
まとめ
帯やあとがきで大々的に宣言されている通りノルウェイの森は「恋愛小説」である。
また、主題についても小説では序盤に太字で示されている。
村上春樹の作品はいくつか読んだが、案外ファンタジーというかフィクションというか、現実的でない奇妙な物語が多い。そう考えるとノルウェイの森はかなりまともな方だったような気がする。
彼の作品には同じモチーフが多く登場する。女と寝た話ばかり、よく本を読み、プールで泳ぐ。何かが「損なわれる」人々。
療養所へ入った直子とレイコさんは『普通じゃなく』て、恐らくその他の人物(少なくともワタナベと永沢さん、ミドリ)は普通なのだろう。
では同じく過去の出来事で何かが損なわれてしまった直子とレイコさんだが、直子は死んでしまいレイコさんは生き続ける。
この差が何によって生じるのか、結論としてはよくわからない。(私が賢くないからわからないのかもしれない)
こう言い残した直子は後に自殺してしまった。一方ワタナベは親友キズキに続き恋をした直子を失い絶叫した喪失感を抱えつつもきちんと生きていこうとする。何によってワタナベは死の哀しみを克服できたのか、あまり明示的には与えられていない。
死は生の一部として存在すると認知できたこと自体がその答えなのかもしれない。(映画ではどこが肝なのかわからなかったけれども。)
この物語を見守って同じように私のなかで何かが失われ、ぽっかりと開いた空間に息苦しい空気が今も詰まっている。そしてそれはうっすらとしかし確実に私の身体全体に拡散して蝕んでいる。これが死が生のなかに存在するということなのだろうか。
今回映画を観て何となく余韻に浸るだけでなく感情や思ったことを綴っておこうと思ったのは私もワタナベと同様に『何ごとによらず文章にして書いてみないとには物事を理解できないというタイプの人間』だからだ。
そして直子が『私を忘れないで』と訴えてきたのにも関わらず37歳のワタナベがだんだん彼女の着ていた服や、彼女の顔を忘れてしまい思い出すのにかかる時間が長くなるのと同じように、感情は時間をおくと風化してしまうからだ。
記事を完成させて今、映画を観た後にあった鬱、満足感と喪失感をいくらか受け止められた気がしている。死が生の一部として存在するように、この作品のもたらした息苦しくさせるぬるい空気は生きる私の中に留めおくべきものなのだ。
ここまで書いてきて結局、ノルウェイの森をおすすめは特にしない。女と寝てばかりだし、結論はよくわからないから。
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