読書の記録・1月
最近noteからご無沙汰だったが、他の方の書き物を見て私もインプットにアウトプットを添えなくては、と思った。
一言くらい残しておかないともったいないかなと。
あらすじ(盛大なネタバレを含む)、引用、手に取ったきっかけや感想などを雑多に綴っている。
天地明察/冲方丁
ご紹介いただいていた本をやっと読んだ。
全くこの説明通りの本。ただし夜は寝た。笑
序盤、世継ぎや職業の件で曖昧な立場にありながら、それを気楽に受け止めている主人公に好感を持てた。
解説にもあった通りかなりあっさりとした文章で出来事を辿る。
にもかかわらず、主人公が事業に懸ける熱意がだんだんと伝わってくる。
何か一つのことに熱意を傾ける人の格好よさ、美しさが眩しくなる。
『風が強く吹いている』を敬愛する(と思う)きょうさんが紹介してくれたのも納得の作品だった。
(これは私の勝手な妄想なのできょうさんが感じているこの本のよさは、聞いてみないとわからない。)
*
暦は約束だった。泰平の世における無言の誓いと言ってよかった。
"明日も生きている"
"明日もこの世はある"
天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦なのだ。
明日がわからぬとは言わずとも、非常に不安定な時代になってしまった今、読むことができてよかった。
時計じかけのオレンジ/アンソニー・バージェス
好きな歌手(Mili)のString Theocracyという曲にこのような歌詞があった。
Like clockwork orange
Keep your eyes buttered till the end
意味がわからないので調べたところ、時計じかけのオレンジという作品があることを知った。(はじめは歌手オリジナルの比喩なのかと思っていた)。
映画、原作の小説があるがどうやら相当な「問題作」と知られているようで手にとるのを迷っていたが、結果として読んでよかったと感じる。
実に昔(というほど古くはないが)の海外らしい暴力に満ちた始まり方。仲間と暴力に明け暮れ、ついに逮捕された主人公。しかし2週間の教育を受けることによって刑期満了を待たずして自由を手に入れることとなる。
「君は罪を犯したね、しかしだ、その刑罰はまったくのまとはずれだ。当局のものは、君を人間でない、何か別のものにしてしまったんだよ。君にはもはや選択をする能力がない。」―p.249
機械との違い、人間性のようなテーマを扱っておりただの暴力、サイコな作品という印象を取り下げねばならなくなった。
しかし今後の人生で映画を見ることはないだろう。
個人的には以下の歌詞もこの作品のオマージュであったと気づいたのが大発見。
So I leaped
Down, down, and down I go
...
And end up on your bed
フラニーとズーイ/サリンジャー
本の紹介は裏表紙より抜粋。
エゴだらけの世界に欺瞞を覚え、小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー(妹)。ズーイ(兄)は、才気とユーモアに富む渾身の言葉で自分の殻に閉じこもる妹を救い出す。ナイーヴで優しい魂を持ったサリンジャー文学の傑作。
オレンジのせいで暴力に疲れたから、多分優しい小説を求めていて本屋で目にとめた。笑
「フラニー」と「ズーイ」の二部構成。フラニーは読みながら共感性羞恥心を覚えてしまうほどの、斜に構えた生意気大学生だった。
俳優であるズーイは皮肉の利かせ方がすごい。機知に富むといえばそうなのだろう。
滔々と語っているようでストンと心に入ってきた。
最後全部聖書に持っていかれるところがいかにも海外小説。
私の夢は国立科学博物館に脳切片を収め100年後までありがたがられることなので(信じるか信じないかはあなた次第)、終盤のズーイの言葉がとても気に入った。
僕が死んだときには、立派な頭蓋骨を持ちたいものだ。(中略)もし君が今でもまだ、自分が死んだときにどんな頭蓋骨を持ちたいかわかっていないとしたら、そしてそれを手に入れるためにどんなことをしなくてはならないかわかっていないとしたら―(略)、こんあことを話しまくって、いったい何の意味があるっていうんだ?―p.286
『罪と罰』を読まない/三浦しをんら
名著『罪と罰』(ドストエフスキー)を読んだことがないという四人が集まり、「未読読書会」を行った際の議事録がメインの書籍である。
多くの人にとっていくら有名で不朽の名作だろうとあんなに長く古い本を読んだことがなくても何ら問題はない。
しかし、ここで集まった四人は「小説家」でありながらこの世界的小説を読んだことがない。いささかの後ろめたさを抱えていた。
この「読んだことがない」自慢を逆手に取り、断片的に持っている情報を寄せ集めあらすじを推測(妄想)するという会の開催が決まった。
会の始めに上下巻全6部に渡る長編のうち、本編最初と最後の1ページのみを読み、途中『罪と罰』を読んだことがある「立会人」にヒント(数ページの朗読、人物紹介)をもらいながら進めていく。
*
小説家たちがヒントから「この場面の前にはこの展開が必要じゃない?」「このシーンには何ページは割きたいなぁ。」と呼んでいない小説を紐解いていく。
この本を読み((未読読書会、やってみたい、、、。))と思ったものの、高い読解力なり構成力なりがある人でないとこうは読めないのではないかと感じた。
ちなみに私は『罪と罰』を高校生のとき(3~4年前?)に読んだものの、覚えていた内容はこの四人と大差なかった。
・主人公の名前はラスコーなんとか
(三分の一程度を読み終えてやっとラスコーリニコフという名前を見た目の文字列でなく音のある名前として憶えられた記憶があった)
・主人公が老婆を殺す話
結局彼らは『罪と罰』を読むことになるのだが、私も読み返したい気持ちになった。(どうせあれだけ長い本を読むなら再読よりカラマーゾフが先かな…)
ちなみに私が主人公ラスコーリニコフ青年に抱き、覚えていた印象は「これまでに見たことがない程歪んだ陰キャ、社会不適合者」だ。小説家たちの言葉で彼の言動がこき下ろされる様子も中々見ものだった。
スプートニクの恋人/村上春樹 (再読)
一年半ほど前に読み、「好きだなぁ」と思った。しかし、物語の詳細やストーリーは覚えていないので、確かめる気持ちで再読。
登場人物の回想で猫の話が出てきた。そのせいか今朝の夢には猫がでた。それもたくさん。
(どうでもよい)(サムネイルは上野公園にいた猫)
村上春樹の本にしては珍しく終わり方がすっきりした。
決して楽しい話ではないのだけれども、異国情緒が心地よかった。
でもあえて凡庸な一般論を言わせてもらえるなら、我々の不完全な人生には、むだなことだっていくぶんは必要なのだ。
「でもどうしてロシア人は、人工衛星にそんな奇妙な名前をつけたのかしら。ひとりぼっちでぐるぐると地球のまわりをまわっている、気の毒な金属のかたまりに過ぎないのにね」
あとがき
聞き古した話やどこか腑に落ちない記事を読み漁るのに飽き、ここ最近は読書に没頭していた。
五冊を読んだ話を一気にまとめようとしたせいか、単に語彙力の問題か。非常に小並感、というべき感想文に仕上がった。
この記事でもいくつか引用を示したように、小説を読みながら私は好きな一節のメモをとる。
『罪と罰』、『スプートニクの恋人』の覚えていない具合に驚く。
私は話の大筋よりも何か心に残る一文との出会いを求めて本を読み続けているのかもしれない、というのは発見だった。
立派な主題を持って手をかけ時間をかけ執筆してきた作家には申し訳のないことだが、仕方がない。(あほだから)
それでも美しい言葉と出会い、繰り返して読んで心に落とし込むうちに気づけることはあると思う。
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