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海のまちに暮らす vol.3|個性的であるということ

〈前回までのあらすじ〉
真鶴で僕が見つけたのは、海の見える平屋だった。いよいよ、入居の日。

 入居の日。僕は初めて車を運転した。鎌倉から真鶴まで。これは神奈川の右端から左端までということになる。思い返すと免許を取ったのは3ヶ月も前だった。「免許ってのは普通、マニュアルだから」と車狂の友人が言うものだから、何も知らない僕はマニュアルで免許教習へ行き、教官は僕を見てこう言った。「マニュアル取るやつなんて今どきいないぜ」

 ちなみにレンタカーはATだった。それでもしばらく車に乗らないうちに、運転するうえでの感覚的なものがすっかり抜け落ちているのがわかる。絶え間ない緊張に挟まれ通しで、ハンドルを握りながら嫌な汗をかいた。天気はものすごくいい。助手席側の窓から輝く海が見える。太陽が海の上に浮かんでいるんじゃないかと思うくらい眩しい。西湘バイパス沿いに車を走らせる。水平線が本当に長い。遮るものがないからだ。こんなにたくさんの水が地球にあるのだということを不意に想う。もし巨大な誰かが、湯船に浸かるみたいに相模湾に肩まで浸かったら、今走っている有料道路は海中にざぶん、木っ端微塵だ。大変だ。まったく車を走らせている場合ではない。途中で国府津のニトリに寄って、足りないものをいくらか買った。立体駐車場は一度入ったらなかなか抜け出せず、教習所で習った縦列駐車は試験に受かるために付け焼き刃で覚えたものだったから、まったく使い物にならなかった。親が助手席に座っていなかったら、きっと相模湾に車ごと沈んでいたにちがいない。昼過ぎに、合計3時間にわたる僕の初ドライブは終了した。

 僕の住む家の近くには、同じ形をした平屋がいくつか建っていて、そのうちの1棟には大家さん夫婦が住んでいた。荷下ろしが済んだ後で挨拶をした。人柄の良い明るい人たちでほっとする。こういう時、自分の側ばかり心配とか安心とか考えてしまうけれど、たぶん相手も同じくらい心配している。世間一般の多くの人たちにとって、大学生の男が隣に越してくるのは往々にしてロクでもない出来事である(少なくとも東京の集合住宅ではそうだった)。やっぱり多少の心配を伴う出来事であるはずだろうから、こうして顔を合わせて挨拶をするのは大切かもしれない。向こうも安心したようで「何かあったらなんでもきいてね」と言ってくれた。

 長らく閉めっぱなしだった雨戸をガラガラと開けながら、以前の東京のアパートのことを思い出した。あそこでは隣に住む人と言葉を交わしたことは結局一度もなかった。3年も住んでいたのにだ。僕はそのアパートの3階に住んでいた。3階の廊下を挟んだ向かいの部屋のおじさんが、階下の家族が夜な夜な大騒ぎするのに激怒して、深夜3時に2階へ突撃しに行って、そのいざこざでしょっちゅう警察が来ていた。それを僕は毎回ドアの内側から寝巻き姿で覗き見していた。だってむちゃくちゃ面白いんだもの。飽きたらまた布団に戻って眠った。右隣の部屋のおじさんは風呂の時間になると大声で演歌を歌うのだった。やたらこぶしを効かせていて、そこそこ上手かった。左隣の女の人の部屋からは、いつも薄い壁越しに韓国ドラマの台詞が聞こえてきた。そういえば向かいの家の庭によく猫が出入りしていた。夜になると決まってアパートの前を通る野良の雄。タヌキみたいなあいつのしっぽ。たぶん喧嘩したからちょん切れたんだと思う。元気かな、あいつ。最後に見たのは昼間、神社の入り口の階段の脇だったかな。まあいいや。あいつは僕のことなんて毛ほども気にかけていないのだ。

 当面の関心ごとは部屋をどのように居心地の良いものにしていくかというテーマだった。正直あまり予算はないから、なるべく安いもので済ませるしかない。それでも作業机はちゃんとしたものが欲しかったから、IKEAで長く使えそうな木製のテーブルを手に入れた。自分でつくろうかとも一瞬考えたけれど、そもそも手先が器用でない僕がつくると肝心の脚の部分がガタガタしてしまいそうだからやめた。本棚も手に入れた。今度の家には本がたくさん置ける。とても嬉しい。前の家は狭くてほとんど本を置けなかったから、多くなりすぎたぶんは実家に運んで置かせてもらっていた。昔、本は裕福な家しか買い揃えられなかったというから、ある意味本は物質的な豊かさの象徴なのかもしれないけれど、本がないとどんどん心が貧しくなっていくような気がする。立派な書斎とまではいかなくても、読みたいときに読めるだけの本は暮らしにとって必要で、精神的な貧しさを補うためなら経済的に多少貧しくてもいいかもしれない。そのくらいに本は大切。

 休学して移住することをSNSに書いた。いろいろな反応があった。反応している人の数もいつもより多いような気がした。みんなもしかしたら、そういうことをやりたいんじゃないかな、と思う。やりたいけれど、すぐにはできない理由もあるのだと思う。立場や仕事があったり、人間関係があったりするのだと思う。僕の友人は「自分には特に住みたいと思う場所もないし、どこに住もうが関係ない」と言う。「だから都会でも田舎でもいいし、部屋に窓がなくたっていい」と言う。そういう人間もいる。でも僕は生まれつき住む場所に強く影響を受ける体質みたいだ。天候や湿度、人の数、植物の量、匂い。ちょっとした気圧の変化で身体の調子が悪くなったり、反対にやる気が出たりする。人間だって生き物だし、自分の身体だけで体調が完結するはずもないのだと思う。馬だって月の満ち欠けで大勢死んだりするみたいだし(たしか、村上春樹の小説にそんな文言があった)。

 敏感だったり繊細すぎると生きづらくない? と指摘してくる人もいると思う。僕と同じようなことで困っています、という人もいるのかもしれない。だけど僕は短所でも長所でも、わりとどちらでもいいと思っている。そういうイキモノとしてどう生きていくか今から考えていこうかな、くらいには前向きでいる。ある種の図太さみたいなものがあるのだと思う。だから、新しい場所に行って自分がどんな風に場所を受け入れ、変化していくのかが僕は気になっている。結局気になるのは自分のことだ。オーストリアへ行こうが南極へ行こうが、僕は僕自身から出ていくことはできないから仕方がない。

 この日記のような連載を書き続けているのも、結果的に僕が僕に起きる変化をしっかりと観察するためなのかもしれない。そのために身の回りで起きたことや出会った人のことを文章に起こしているのかもしれない。僕は絵も描くし写真も撮るけれど、きっとすべてはそういう方向へ向かっている。自分へと向かう旅のようなものだ。こういう風に書くと、この人、めっちゃ自分好きじゃんと思われそうなのだけれど、作家と呼ばれる人のほとんどはこれをやっていると思う。外の世界を通して感じることを書いてみると、最後に浮かび上がってくるのは自分自身だったりする。

 僕もはじめから自分のことを書くつもりで文章を書いているわけではない。でも文章を読んだ人が、「これどう見てもあなたの書いた文ですよね」とわかってしまう。そういう避けられない結果みたいなものが、個性なのかもしれない。だから、よく言われる「個性だしていきましょう」「個性的なことやっていこう」とかいう言葉は、なんかヘンだと思う。はじめから個性を狙っていくって、なんかおかしいから。何かを始める時に、どういうやり方でやるかはあまり考えなくていいと思う。夢中でやっていて、全部終わった後に「あれは個性だったかもしれないね」と振り返るくらいでいい。目をあけてスイカ割りしても楽しくないのと一緒で、とにかく目をつぶって思いっきり棒を振ってみる。不格好な割れかたをしたり、グシャグシャになってしまっても全然大丈夫。最後に美味しく食べられたらそれで良し。食べてみたらめっちゃマズい、とかでもいいと思う。後の祭りで結構。最後の最後で「あ、これ個性かも」と振り返るのが僕の考え方なので、とにかくどんどん外の世界のことを書く。流れるように躊躇なく書くことが僕の使命になっている。流れを止めないことを何よりも大切にしているので、いろいろな方向へ蛇行するのだけれど、このほうが書いていて面白い。川だってうねうねしてる方が面白いでしょう。僕は面白いことのために手を動かしたい。

 そういえば、僕が真鶴に惹かれた大きな理由をまだ書いていなかった。大事なことも書かずに連載3回目が終わろうとしている。仕事の原稿だったらたぶん怒られるけれど、この連載は誰に頼まれたわけでもなく、僕が勝手に書いているだけなのでいるだけなので大丈夫。勝手にやっていると、どんどん原稿ができていくし、勝手にやっているだけの僕のことを観に来てくれる優しい人もいたりして、ますます勝手にやるのがはかどっていく。みなさん何事も勝手にやっていきましょう。僕は勝手につくって、どんどん取りこぼしていくスタイルでやっていく。

 海の向こうに日が沈んで、慌ただしい1日が終わった。





 次の日。僕はある建物の扉を叩いていた。扉の前には小さな木の看板が立て掛けられている。

「真鶴出版」

 マナヅルシュッパン。木製の看板には白い字でそう書いてあった。


vol.4につづく








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