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海のまちに暮らす vol.5|この町には脇役がいない

〈前回までのあらすじ〉
「泊まれる出版社」真鶴出版へ挨拶に行った僕は、ここに置いてほしいと頼みこんだ。カワグチさんとトモミさんは、そんな僕の処遇について考えてくれるという。翌日の朝。

  目が覚めてすぐに寝室の雨戸を開けると、町は青かった。早朝の色をしている。台所へ歩いていって、湯を沸かす。3月末とはいえ、朝晩はまだ冷える。真鶴に住みはじめて2日目の朝。

 今日は仕事で東京へ行く用事がある。11時に出るから、それまでに洗濯物を干しておく。帰ってくるまでに太陽が乾かしてくれるだろう。こっちに住んでから、太陽の光のありがたさをより一層実感するようになった。暖かい日は布団やマットを干しておけるし、日中は部屋の電気をつけなくても十分明るい。ありがたい。太陽の活動時間に合わせて、僕自身のスケジュールを調整するようになった。いつか誰かが太陽の光にまで税金をかけだしたりしたら、たまったものではないな、と思う。

 東海道線で小田原まで行き、途中で小田急線に乗り換えて渋谷に向かう。小田急線のほうが座席が柔らかい。久しぶりに東京へ出る。本当に大勢の人がいる。スクランブル交差点を行き来する人を見下ろすと、それは1つの巨大な塊に見えた。でもその塊は厳密には塊ではない。塊を構しているように見えるのは1人1人の人間だ。人間たちはそれぞれ別の目的地を目指している。だからその塊は姿をとどめることなく、ずっと動き続けている。その動きの連続によって塊として存在し続けている。その不規則な動きを僕は見つめている。波みたいだと思った。東京の人混みは海面の複雑な揺らめきのような動きをする。見ているだけで吸い込まれそうな、不思議な引力がある。交差点の歩行者信号が赤に変わると、塊は解散し、再びアスファルトの地肌が現れた。家に帰ろう。小田原方面行きの電車に乗り、真鶴駅に降り立つと、あたりはもう真っ暗だった。

 眠る前にスマホを開くとカワグチさんから連絡が来ていた。なんと真鶴出版に僕を置いてくれることになったという。インターンのようなかたちで週数回、決められた時間に真鶴出版の運営を手伝い、他の時間は自由に出入りしてかまわないそうだ。そしてその過程で、カワグチさんが普段、真鶴出版でやっていることや考えていることをシェアしてくれるという。飛び込みで入ってきた若者を置いてくれる真鶴出版の懐の深さと、カワグチさんとトモミさんの心意気に深く感謝するよりほかなかった。忙しいなか時間を取って、僕にどのように真鶴出版に関わってもらうかを思案してくれたのだと思う。メッセージの最後には「明日は1階の漆喰(しっくい)塗りとかやる予定です」と書いてあった。そういうわけで、珍妙なプロセスを辿りながらも、僕は真鶴出版の一員になった。

 翌日、11時に真鶴出版に行った。漆喰塗りを手伝うのだ。漆喰って、沖縄の伝統的な建物に使われているイメージがある。赤と白が基調になった琉球の瓦屋根。白くてザラザラとした質感の漆喰。そういえば沖縄には高校の修学旅行以来いっていない。国際通りで一目惚れした小さなシーサーを買って帰り、それは今も実家の玄関に置いてある。あれはけっこう高かった。海に向かう下り坂を早足で歩く。この先に真鶴出版がある。

 カワグチさんいわく、どうやら真鶴出版1階客室の壁をおしゃれにして、客室兼ギャラリーとして使える空間にしようという計画らしい。たしかに白い壁には作品が映えるものね。木の壁にそのまま漆喰(しっくい)を塗るとアクが浮いてきてしまうから、先に下地としてモルタルを薄く塗るのがいいんだとか。モルタルが乾いた後で、その上に漆喰を塗ろうということになった。

 バケツに水と混ぜたちょうどいい粘り気のモルタルをつくって、金属のヘラで薄く伸ばしながら垂直の壁に塗り広げていく。これが簡単そうで意外と難しい。見るのとやるのとは全然違う。サッカー日本代表戦なんかをTVで観てると、「なんであそこで打たないんだよ」って叫びたくなるけど、実際あそこで打つのけっこう難しいだろうな、とも思う。それにだいたい、その道のプロの人間は難しいことを簡単にこなすので、こっちは簡単だと思ってしまう。そういうことが世界にはたくさんあるだろうなと思う。事実、モルタルはヘラに均等に力をかけないと塗れていない箇所ができてしまうし、同じ場所に何度も塗ってしまうとそこだけ分厚くなってしまう。もたもたしていると乾いてくる。左官屋って、こんなに難しいことをいとも簡単にこなすのだ。

 壁塗り担当はスタッフのヤマナカさんとジュンコさん、それから僕。壁を同時に塗れるのは2人までだ。この3人で交代しながら代わる代わる下地を塗っていく。モルタルを壁一面に塗っていると自然と無口になってしまう。黙々と金ヘラを壁に押し当てて、公園の砂に水を混ぜてつくったような灰色のドロドロを塗りたくっていく。不思議と集中してしまう。時間はどんどん過ぎて、腕がパンパンになった。慣れないことをやると、普段使わない筋肉を使う。そうやっていくうちに新しい筋肉が成長していって、気がついたら新しい人間に進化しているのかな。それもいいかもしれない。

 作業をしていると当然、お腹も空く。その日はみんなでお昼を食べにいこうということになり、真鶴出版のみんなで駅前の「福寿司」まで歩いた。歩く道すがら、それぞれが何を注文するか決めた。「ここは海鮮丼か天丼がおいしいよ」と教えてもらったので、僕は海鮮丼を頼んだ。初めて行く店では、まず最もオーソドックスかつ代表的なものを注文することに決めている。それに僕は寿司が好きなのだ。小さい頃は、寿司が好きといいながら、かんぴょう巻きばかり食べていた偏食で、我ながら寿司好きの風上にも置けないなと思う。ちなみに今はエンガワが好き。これでも少しは大人になった。

 月曜の昼時。刺身はとても美味しかった。魚なのに不思議と甘い味がした。聞くと、福寿司は店主の旦那さんが目利きをして、いい魚を自分で仕入れてきているという。真鶴にも小さな漁港がある。真鶴の港の水揚げだけでは足りないという時は網代の方へも行くのだそうだ。今日の昼ごはんは、この間まで真鶴出版でやっていた展示『ランプの会』が無事終了した記念と、突如として真鶴出版に飛び込んできた僕のささやかな歓迎会らしかった。僕はここで初めて、真鶴の魚を口にした。

 昼食後に、ぶらりと歩いて〈ORIBAR(オリバー)〉へ。ここは織り物や編み物、染め物ができる集いの場で、真鶴町内の手仕事好きが集まってくる家なのだとか。ここで今、刺繍作家のカナイヅカさんが展示をやってるよ、と教えてもらった。「旅の思い出」展という展示。カナイヅカさんは真鶴に移住してきた作家の1人で、オリーブ園で畑仕事をしながら制作をやっている。この間までルーマニアのトランシルヴァニア地方という所にホームステイのようなかたちで滞在していて、そこから帰ってきて真鶴で展示をしている。ルーマニアでは刺繍が娯楽かつ生業でもあるらしく、観光客を相手にものすごいスピードで絵柄を刺繍して売り捌いていくおばあさんもいるんだとか。展示ギャラリーには向こうで入手した素敵な柄布や、カナイヅカさんの刺繍作品も置いてあった。現地のビーズ刺繍職人のおばあさんとの暮らしの様子を、記録した写真作品も置いてあった。真鶴には生活しながらものづくりをしている人があちこちにいるらしい。帰りがけにカナイヅカさんの名刺をもらった。金の箔押しがされた、柔らかな手触りの名刺。「苗字が金井塚だから、金なんです」と言って笑っていた。

 夕方、若い男女のグループが真鶴出版にぞろぞろやってきた。なんと僕と同じ、東京藝大の学生らしく、全員彫刻をやっているという。真鶴で展示をしているのだそうだ。ここにもまた「つくる人」たちがやってきた。すごい。まだ真鶴に来たばかりなのに、登場人物が多すぎる。なんでも、真鶴は小松岩という有名な岩の産地で、石を彫る人にとっては魅力的な場所らしい。背の高い眼鏡をかけた男の人は、この夏に真鶴で滞在制作のようなことをやると言っていた。それで今日、真鶴出版へ顔を出したのだという。その他の人たちも並べられた本を手に取って、興味津々にパラパラとめくったりしていた。特に『美の基準』という冊子が気に入ったらしく、何人かがそれをほしいと言い、あとは各自が思い思いの本を買って帰っていった。それで店にある『美の基準』の在庫はすっかりなくなってしまった。「また買付けにいかなくちゃ」とヤマナカさんが言う。

 時計をみると18時。空が暗い。帰り道、スーパーで豆苗と豚肉とピーマンを買って、炒めて食べた。壁塗りで体を動かしつづけた1日だったから、ご飯3杯しっかり食べた。

 翌日もまた朝から作業開始。昨日せっせと塗った下地はすっかり乾いていた。この上から漆喰を塗る。昨日モルタルを塗った時と比べて、漆喰のほうが塗った時の伸びがいいから、いくぶん楽に塗っていけた。客室の壁が白くなっていく。もう少し。

 夕方、あらかた壁を塗り終わった。少し凸凹している箇所は、目の粗い紙やすりでやすって平らにしたりした。日中に来店した2人組のお客さんが差し入れをくれた。檸檬堂の缶チューハイ。差し入れでお酒をもらったのは初めてだ。漆喰塗りの様子を見に来て、「まだ終わんないの?」と覗き込み、店の前で自分たちもにぎやかにお酒を飲んで帰っていった。その後、また別の人がツワブキの煮物を持ってきてくれた。ビニール袋に人数分、小分けにされている。どちらも持ち帰って、その日の夜に食べた。乾杯。体を動かした後のお酒は素晴らしいし、ツワブキはもうじきやって来る初夏の味がした。もう夏が待ち遠しい。

 真鶴出版からの帰りの夜道。弱い雨に桜がうたれていた。この町に来てからまだ4日しか経っていないけれど、いろいろな人に会っている。真鶴出版にいるだけで、あちこちからいろいろな人が出たり入ったり、忙しい。
「この町には脇役がいないからね」とカワグチさんが言っていた意味が、少しわかってきた。はじめまして、という新しい出会いが次から次へと押し寄せる。

 真鶴に住みはじめてから、水の流れに巻き込まれた落ち葉のように、僕は軽やかに流されはじめている。今までとはまったく違う方向へ。急激に。人の名前はすぐに覚えられないし、わからないことも多いけれど、僕の中に新しい流れが生まれはじめているのを確かに感じる。流される。とにかく今は流されてみる。しっかり目を開けて、いろいろなものを見ながら流されてみる。

vol.6へつづく

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