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愛するということ 書評#01

アウトプット苦手男子の初の読書レビューが、こんな難しい本だなんてものすごく荷が重い気がするけれどもどうせ誰も見ていないので気楽に感想文チックに書いていこう。

なぜこの本を手に取ったのか

普段は小説好き、たまに堅苦しい本も読むが仕事に関するものが多い私がなぜこんな一見アンニュイ?そうな本を読むことになったのか。

答えはもちろん自分が恋愛関係に悩んだからだ。

昔の話だが、当時付き合っていた人がいて、もちろんその人のことが好きだったが相手に不満を抱かせてしまうことが何度もあり、考えてみると自分が原因であることが多かった(気遣いができていない、相手を肯定しない、自分本位で行動してしまうetc...)。

やはり原因は自分に合ったと今でもそう思う。その時に「気遣う、相手を想うってなんやろう?」とか考えるようになったり、昨年ではいよいよ「人を好きになる、とか付き合うとかってなんやろう?」とか恋愛ひねくれ末期症状みたいなことを考えてしまうようになった。改めてこう文字に起こすと、気持ちの悪い悩みを持ったなと悲しくなる。まあ、仕方ない。

それで前から気になっていて、実家に兄が置きぱなっしにしていたこの本を手に取り、読むことにした。

どんな本?

具体的な中身はググったりヤフってもらえば分かると思うので簡単に紹介する。

一言で言うなれば、「愛する技術」について理論的に説明された本。

「愛」と聞けば、「愛される」ことであるとか、愛ではないが「恋に”落ちる”」など自然発生的に愛が生まれる印象を持っているが(私自身もそうだった)、それは全くの逆で「愛することの重要性」や「”愛する”ことができるようになるための技術」がこの本には書かれている。

何気なくエッセイ的なものかなと思って手に取った自分に激しく後悔が押し寄せてきた。本を読むパワーもつけたいところだしということでめげずにページを進めていくことにした。

書評なるものをどのように書いていけばよいかわからないので、まずは読んでいて頭に残った内容を基に広げていくことにする。

①たくさん持っていることが豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ(P45)

愛について語るとき、「誰かに愛されたい」と言う人は大勢いるが、「誰かを愛したい」と言う人は少ない気がする。

例に洩れず自分も同じで、どちらかと言えば、愛されたい、何かを与えてもらいたいと考えることが多い気がする。過去を振り返るとそれが顕著だったりもする。

本書では物質的にモノを与えられる人が豊かであるということに加えて、自分の生命(喜び・悲しみ・興味関心など)を与えられる人が豊かであるということを述べている。

まさにその通りで、精神が貧弱な時期は何かをもらうことばかり求めていた気がする。一方で何かを与えて喜んでもらうことで自分も満足する、自分に余裕がないとできないが、そういう行動をしている時は徳を積んでいる感覚というか、もらって喜ぶのとは別の充足感があるのは言うまでもない。

②一人でいられるようになるということは、愛することができるようになるための一つの必須条件である(P167)

本書の最終章で「愛の習練」について述べられている箇所があり、愛の習練のために必要なことの1つに「集中の技術」の習得が挙げられている。

そこで「一人でいる」ためには集中力が必要で、一人でいられることが出来れば、自立し、正しく人と愛の関係を築くことができると書かれている。

自立していないときは、一人でいる時間を作れない。常に誰かと連絡を取っていたい。空白の時間を埋めるために何かをする。誰か(何か)に依存する。

何かに夢中な人は手軽に誰かと繋がっていたい、何かにアクセスしておきたいと思うことは少ないだろう。

かくいう私も何かに依存している時期を経験した。特別挑戦したいこともなく、かといって自分に耽る時間を持てるほどメンタルが整っていない。
そんな時は決まって脳みそを使わなくて良いことに手が伸びてしまう。

こんな状態では到底自分を好きにはなれない。

自分を好きになっている状態はきっと、やりたいことをやっていたり、なりたい自分に向かっていってる時だったりする。今自分はほんの少しだけその状態になっている気がする。

引き続き頑張りたいものだが、そんなことに関わらず「何をしててもそんな自分が好き!」みたいな状態まで自分自身を認めてあげられるように、いつかはなりたい。

書評ってこんな感じ?
読書感想文みたいになってる気もするけど。まぁ、気にせずいこう。

③ 客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。(P178)

善く生きるために必要な姿勢であることは間違いないが、もちろん愛する技術の習得のためにも必要なことらしい。

簡単に言えば、愛するためにはナルシシズムの克服が必要で、そのためにはナルシシズムの性質である自分が体験したものを判断軸に物事を捉えてしまう考え方から脱却するために、一人でいる時間を作り客観的に物事を捉える訓練をしていかなければならない。

というようなことが書かれていたはず。

最後に


最終章には、愛の技術の習練に必要なこととして、①規律②集中③忍耐、そして最高の関心を抱くことが必要であると書かれている。

単純にあらゆる「技術」なるものを習得する際に必ず必要とされる要素で、「なんだ、当たり前のことしか書かれていないじゃないか」を一瞬思いそうになった。

しかし重要なことを忘れてないけない。これは「愛する」ということについて書かれたものであり、他の技術と同じように手順を踏み訓練すれば愛する技術も向上させられるということである。

この本から私は何を得ることができるのだろうと多少不安になりながら読んではいたがそれは杞憂だった。

人を好きになるとか、愛とか、すごく精神的で論理を一切感じ取れない分野であったものが、少し手近に感じるものへと認識が変わった。

年齢を重ねるごとに人を好きになりにくくなっている気がしていたが、そんなことはなかった。愛する人に運命的に出会うのではなく、自分の日々の行動や姿勢を正していくことが周りの人をより愛せるようになっていくのだろう。

難しく読み進めにくい一面もあったが、人間関係、特に恋愛関連でもやもやとしている人がいればぜひ本書を手に取ってみてほしい。

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星の王子様のように、5年後、10年後にもう一度読んでみて自分がどう感じるのかも興味が湧いてきた。



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