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映画評 私ときどきレッサーパンダ🇺🇸

(C)2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

2022年、パンデミックによって劇場公開されず、ディズニープラスにて配信スルーされていた本作が、『インサイド・ヘッド 2』公開に先立ち、2週間限定で劇場初上映。思春期ならではの悩みを描けてる一方で、ラスト主人公の選択に疑問が残る内容であった。

伝統を重んじる家庭に生まれ、両親を敬い、親の期待に応えようと頑張るティーンエイジャーの少女メイ。本当は流行りの音楽やアイドルが大好きで、恋をしたり、友達とハメをはずして遊んだりと、やりたいこともたくさんある。母親の前で本当の自分を隠す日々を送るメイは、本当の自分がわからなくなり、感情をコントロールすることができなくなってしまう。悩んだまま眠りについた彼女は、翌朝目を覚ますと、なんとレッサーパンダになっていた。その変身の裏にはとある秘密があった。

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思春期という子供から大人への階段を登る人生において最も曖昧な時期を上手く表現できている。イケてるボーイズアイドルグループに熱中したり、友達同士での独特な挨拶などのやり取りは、羞恥心を芽生えさせるほどのいい意味で痛さが全開だ。また、友達同士で恋愛話になると急に空かした態度を取るのも観客が意識的に潜めてきた記憶の断片が蘇る。

友達付き合いを大事にしたい想いとは裏腹に、母親の期待に応えたい想いがジレンマする描写も、親を取るか友達を取るかという思春期ならではだ。ふとした瞬間に発してしまう親に対する悪口や言い返しも思春期を思い起こさせられる。親の描き方は、少々過剰表現が目立つものの、友達や学校に無駄に干渉したり、人目を気にせず子供を守ろうとする行動に、気持ちや想いは理解できる一方で「勘弁してくれ」と言いたくなるメイに対して感情移入できる。また母親にとって13歳の子供は、まだまだ子供という認識も理解できるからこそ、メイの気持ちと母親の気持ち両者の想いや感情のぶつけ合いに大いに共感と感動を覚えることになる。

レッサーパンダは抑えきれず爆発してしまう感情の具現化であろう。メイがレッサーパンダになる要因は、喜怒哀楽をはじめ、羞恥心や心配の感情の起伏が激しくなり、コントロールしきれなくなったからだ。学校でレッサーパンダに変身してしまったシーンは、精神的に不安定になりストレスが爆発したからで、学校の男子生徒に馬鹿にされた際に、レッサーパンダで反撃するシーンは、怒りに任せたから。思春期ならではの感情的起伏をレッサーパンダを通じて激しく描かれる。

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ラストシーンでメイは、一族にまつわる呪いを解くために、レッサーパンダを封印しない選択をとるのだが、この点がどうにも納得しにくい。メイ曰く理由は2つ。レッサーパンダを出し入れできるくらいの感情コントロールが巧みになったことと、レッサーパンダとしての自分が一番自分らしいからである。

一つずつ整理していくと、感情コントロールができる人間はこの世にはいない。大の大人でも感情に任せて暴言を吐いてしまったり、手を出してしまう。どれだけ感情コントロールに気をつけていても「ついカッとなって」暴行や殺人に及んでしまう可能性が人間誰しもある以上、メイの言葉は信用できない。また、レッサーパンダは人に危害を加えられるほど恐ろしい力を持ち合わせてる。カッとなって、大きい腕で殴られるものなら、気づいた時には三途の川だ。

もう一つ、自分らしさについてだが、メイはあくまでも両親に対して解放できてないだけで友達同士では一種の自分らしさは出せている。レッサーパンダはあくまでもメイの人生における楽しみの一つが増えただけで、自分らしさとは無関係だ。そして、レッサーパンダとしての人生は、フリークスとして世間から見られる新たな宿命を背負うことを意味する。街を壊し人を殺せるほどの力を持ち合わせてる人が町に住んでいては、世間が黙っていない。『ウォッチメン』のヒーローたちのように、世間からは怖い視線で見られ、迫害されるのがオチだ。

ラストでメイが取るべき選択は、レッサーパンダから卒業することだ。メイの人生においてプラスに働くこともあったが、マイナスの方が相対的に大きい。思い出として、これからの人生の糧として前向きに切り離す方が綺麗な終わり方ではないだろうか。

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