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映画評 オッペンハイマー🇺🇸

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

原子爆弾を発明したアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの栄光と没落の生涯を『ダークナイト』『TENET テネット』のクリストファー・ノーラン監督で映画化。第96回アカデミー賞で作品賞を含む計7部門受賞した本作は、クリストファー・ノーラン監督の集大成とも言える作品であった。

第2次世界大戦中、物理学者のロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命され、優秀な科学者らを率いて世界初の原子爆弾の開発に成功する。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが、赤狩りの波が迫ってくる。

本作で描かれるオッペンハイマー博士の苦悩は原子爆弾という、人類が世界を変えるほどの脅威を持ってしまったことだ。物理学者として原子爆弾を完成させることは一種のロマンもあったかもしれない。しかし、一度使い始めて仕舞えば後戻りできない。広島と長崎で証明された惨劇とソ連との冷戦をはじめ世界各国で繰り広げられる核開発。戦争を終わらせるために開発された原子爆弾が皮肉にも新たな戦争への引き金となる。

思えばノーラン映画には、オッペンハイマーと同じように、思いもよらない強大な力を手に入れる登場人物が多い。そして力をコントロールし正しく用いる者もいれば、飲み込まれる者も然り。オッペンハイマーが苦悩する姿は『インセプション』のコブと重なる。”インセプション”の虜になったが故の悲劇と苦悩は、原子爆弾を完成させた後々悲劇と苦悩と重なる。また『ダークナイト』のブルース・ウェイのようにバットマンとしての力をコントロールしきれなくなっている点でもオッペンハイマーとの共通点が見えてくる。

原子爆弾を巡っては、開発から完成、戦後の原子爆弾との向き合い方において、全員がそれぞれの思惑で利用しようとする姿に『メメント』の登場人物らを放物とさせられる。また『インターステラー』のマン博士と『TENET テネット』のセイターのように、権力や債権を持った人が人類の破滅に繋がる行動は、原子爆弾の魅力に取り憑かれた物理学者や政府の役人にも同じと言えよう。ノーラン監督作品に見えてくる共通点及び本作と照らし合わせてみると、オッペンハイマーの苦悩や「手が血まみれ」の発言の意味が重くのしかかる。

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本作はオッペンハイマーが理論物理学に没頭する大学時代から英雄として名誉が回復するまでの生涯を二つの視点と三つの時系列を入れ替えながら巧みに掘り下げ切れていると言えよう。同種であるユダヤ系人種の迫害や大学時代に出会った同志たちが亡命する現実。共産党に代わって新たに世界を変えていかなければならない使命感など、オッペンハイマーが原子力爆弾を作ることになる動機がテンポ良く描かれる。

マンハッタン計画をはじめ物理学者が徹底的に議論し、実験を重ねるシーンは、これから不吉なものを生み出してしまう結末がわかっていながらも、画面をくぎいるように見入ってしまい、不謹慎ながらも期待感と高揚感が煽られる。だが、これからエモーショナルの最高到達点に至るまでの壮大な前振りは、原子力爆弾完成を決定づける最終テストの成功で、一気に「恐ろしいものを生み出した」恐怖へと変わり、期待感と高揚感に浸っていたことに罪悪感を覚える。

終戦に導いた英雄としてスピーチをするオッペンハイマーの表情は絶望感漂うだけでなく、場を盛り上げる足音は恐怖が差し迫ってくる圧力に、祝福の悲鳴は被害者の悲鳴に聞こえる幻覚を見え始める。物理学者と一般市民との間に生まれる認識の違いと事の重要さを巡る分断を象徴しているかのようだ。さらに、日本への投下の反対や「原爆の父」の影響力を用いて反対運動をこなっているシーンがあることから、本作は決起して原爆賛辞の内容ではないことは明らかであろう。

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オッペンハイマーは共産党との関わりを持っていたことから、赤狩りの対象として、共産党員の疑念を持ちかけられる。狭い部屋で複数人の大人たちからの厳しい視線と結論ありきで人の粗を探すかのような容赦ない質問を浴びせられる聴聞会は『シカゴ7裁判』を放物とさせられる。

また『落下の解剖学』で何度も不快に感じた人格否定と共産党であるかのような脚色と誘導。さらにはかつての仲間が裏切る展開や妻の前で不倫していたことを暴かれる気まずい展開にオッペンハイマーは次第に追い詰められていく。

聴聞会の結果次第では人生を棒に振りかねないだけでなく、原子爆弾を開発したことによる二重苦に押しつぶされそうになっており、心情を吐露する回答や目の前が爆発のフラッシュのように真っ白になる幻覚は、オッペンハイマーが何に苦悩しているか答え合わせとなる。そして裸で映るシーンは、完全に丸裸にされるメタファーとして、聴聞会を通じた彼の内面と共産党員としての疑いを掘り下げる。

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フォロウィング』や『メメント』を放物とさせられるモノクロ映像と時系列シャッフルは、米原子力委員会委員長を務めたルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)視点の映像だ。オッペンハイマーと初対面の会話やソ連が核を保有している疑いと水素爆弾開発を巡る議論、商務長官任命に向けた公聴会が描かれ、オッペンハイマーを危険視した理由や原子爆弾を巡るストローズの野望が明かされる。

プリストン高等研究所での初対面や議論のシーンでは、一見仲睦まじそうに、言いたいことを遠慮なく言えるような関係性に見えるが、政治家として元ビジネスマンとしてのプライドを傷つけられた煮えたぎる怒りと復讐心を募らせることになる。議論シーンや公聴会、ストローズの復讐は濃密な政治ドラマとして描かれ「策士でないとやっていけない」台詞は、幾度となくのし上がってきた強者としての貫禄を見せつける。ロバート・ダウニー・Jrという『アイアンマン』を演じたとは到底思えないほど、明かされる振る舞いの数々には巧みにミスリードさせられた。

オッペンハイマーとストローズの対立は、危険性をを熟知している物理学者と危険な物をコントロールしようとする政治家との対立・分断の構造だ。水素爆弾開発を巡って対立した議論、公聴会での召喚尋問、アインシュタイン博士との関係性は、埋めることのできない対立・分断の象徴かつ映画全体を通じて描かれることになる。

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ノーラン監督集大成作品として素晴らしい内容であったと同時に、アカデミー賞作品賞としても相応しい映画であると断言できる。一度は原爆の歴史から見送られた本作ではあるが、決して原爆賛辞でもなければ、それ以前の反戦映画でもあるため、見て損をするこは決して無い。

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