ねずみの中には人がいる.1
夢やファンタジーを愛するすべての人へ、テーマパークに存在するキャラクターには、中の人がいる。
僕は中の人。世界中で知らない人がいない、あるキャラクターの中に僕はいる。僕の存在は誰にも知られてはいけないし、僕の存在に関する情報はもちろん、絶対に残してはいけない。
でも、僕は、僕の毎日を、日常を書き記すことにした。これはある意味、夢の労働環境の告発。誰にも知られてはいけない世界の話。中の人がどんな一日を過ごし、テーマパークにはどんな秘密があるのか、コテコテのファンタジー作品よりも、よっぽど面白いと思うよ。
じゃぁ、何から振り返っていこうかな。
「朝」
「…チリリリリリ!」
「うーん…。」
「ピっ」
中の人の1日は早い。毎朝五時半に起き、歯を磨き、顔を洗い、髭を剃る。朝食は栄養バランスを意識した食事にしたいけど、毎朝そこまで頑張れない。食パンとヨーグルト、少し余裕があれば、目玉焼きとコーヒーを用意するかな。でも、最近は食パンを焼く余裕すらなくなっている。つらい。
朝食を食べ終わると、靴を履いて、家を出る。昔は靴にはこだわりがあったんだけど、今は同じ種類、同じ色のスニーカーを四足買って履き回している。この仕事を始めてからずっと、何かが違うと、怖くなってしまうようになった。だから、パーカーも同じ種類。
さすがにパーカーの色だけは変えて数種類持っているけど、パーカー以外のものを着て、通勤すると、途中で違和感を感じて気持ち悪くなってしまう。いつからこうなってしまったのか、もう忘れてしまった。
家を出て徒歩七、八分のところに最寄駅がある。駅に着く前にコンビニによって、Mサイズのコーヒーを買う。これもルーティンで、コーヒーを飲まないと、気持ち悪くなってしまう。このコンビニは、早朝だと、若い大学生くらいの人が働いていて、たぶんこのスタッフには顔を覚えられている気がする。まさか、僕があのキャラクターの中の人だなんて、絶対思わないだろうな。時々こう考えることがあるんだよね。
「ぼく、あのキャラクターの中に入っているんですよ」
て、言ってしまったらどうなるのかと。引かれるよね。やばいやつって思われるよね。それに絶対信じないよね。
だからこそ、言っちゃって良いんじゃないかって思ってしまう。こんなことを、コンビニを出てすぐのところで、コーヒーを飲みながら考えている。本当にだれにも言えない秘密ってやっぱり言いたくなる。言わないけどね。でも、言いたくなる。やってみればわかる。
コーヒーを飲み終わると、駅に向かい、改札を通って電車を待つ。ちなみにこの仕事をしている人は、会社から知人にも、どこに住んでいるのか?とか、自宅の最寄駅などの情報をなるべく誰かに公開しないように、と言われる。
この会社で働く人、特に僕のように“何かの中に入る人”は、少しでも情報が漏れると大変なことになる。たしか、不注意で情報が漏れてしまったら、訴訟沙汰になることもある。しょうがないよね。世界的なキャラクターの権利を持つ会社は、人の夢を徹底して守らなくてはならない。だから夢を与える側の人間にとても厳しい。そう、厳しすぎる。僕らの気持ちなんて、どうでもいいと思っている。
なんて、会社への不満を考えていたら、電車が来た。まだ、早朝の時間なのに、この電車はとても混雑する。なぜなら、この電車に乗る人は、たいてい僕と行き先が同じだから。
みんな、あの“テーマパーク”に行く。すごいよね。まだ朝の六時すぎだっていうのに。
あのテーマパークには、世界中に熱狂的なファンがいる。朝イチから、人気アトラクションに乗るためなら、オープン数時間前でも入場口に行列をつくり、待つことに何の躊躇もない。えらいよね。えらいって何目線だよってなるけど。
電車の中には老若男女が、それぞれ自分が大好きな“作品”や“キャラクター”のデザインが施された服装や、バッグなどを持って
楽しそうに会話している。
「今日◯◯◯◯と撮れるかな?」
「この前は◯◯◯◯に会えなかったよね…」
若い女性の二人組から、世界的に有名なあのキャラクターの名前が聞こえる。
ぼくの職場での“外見”だ。僕が担当するキャラクターは、テーマパーク内でいう主役だ。このキャラ以外にも世界的な知名度を誇るキャラはいるけど、群を抜いて人気。
いまだになんで僕なのかわからない。毎日のプレッシャーがえげつない。“彼”に会いに海外から来る人もいる。やりがいなんて最初から感じたこともない。毎日が吐き気との闘い。今日も、そんな1日が始まる。逃げられない1日が。
でも、この若い女性の二人組からしたら、今とんでもない状況じゃないだろうか?彼女らの半径2メートル以内に「○○○○」がいるのだから。嘘、実際には「○○○○」ではない、その中の人だけど。
言いたい。「○○○○」だよって。言った瞬間、この若い女性二人組はどんな反応をするのだろうか?なんて、よく考えるんだけど、さすがにやばいよな。人の夢を壊したいのかな。そんな衝動に駆られている人間を“中の人”なんかに選んじゃだめだろ。
…。
実は通勤中は電車の中で、こんなことしか考えていない。病んでいると言われたら、返す言葉はないけど、身体はとても健康なんだ。というか、僕の会社ではスタッフの健康管理を徹底している。もしも、働いている途中に倒れたら、見かけ上は、そのキャラクターの
体調が悪いみたいに見られてしまう。僕らは、どうなってもいいが、キャラクターのブランドが傷つくことは、あってはならない。
これは本当の話だよ。絶対、外には言えないけど。だから、定期の健康診断が普通の会社と比べて、異常に多い。働いて良い「体温」も明確に決められていて、規定の体温より0.1℃高いと、強制的に帰宅命令が出る。これは、他のスタッフに、病気をうつさないためでもあるんだけどね。
「◯◯◯◯駅〜。◯◯◯◯駅〜。」
着いた。今日も、着いてしまった。僕の職場に。
「夢の裏側」
電車が駅に着いた瞬間、戦争が始まる。車内にいた、テーマパーク目当てのお客さんが、電車を一斉に走って飛び出す。オープン前に少しでも良い位置に行くために、大の大人たちが一斉に走る。駅構内で走ってはいけないなんて、社会の一般常識は、この駅に限っては存在しない。
実はこの駅、改札は一つしかないので、混雑でしばらく改札を通ることができない。ぼくはゆっくり電車を降りて、そっとパーカーをかぶる。別に僕の顔が割れたって、何の問題もないけど、なんていうのかな?ちょっと、気を使ってしまう。無意識の防衛反応かも。
電車を降りて、二十分くらいすると、ようやく改札付近が落ちつく。僕は、このタイミングでしれっと改札を通って駅を出る。駅の外は、テーマパークの敷地がすぐ近くにあり、すでに大行列ができている。まだ、オープンまで三、四時間もあるのに。その行列を横目にぼくは、テーマパークの敷地を一旦通り過ぎる。敷地の裏側まで歩くと、厳重に警備されている建物がある。それがぼくの職場だ。
建物の入り口にいる警備員に、社員証を見せる。警備員は軽い会釈をして僕を通す。この警備員は、僕が中の人であることを知らない。
実は、中の人を知っているのは、社内でも、ごくわずかの限られた人だけだ。そりゃそう。どこから、情報が漏れるか分からない。リスクは防ぎたい。
だから、ぼく自身も会社ですれ違う人が本当は何をしている人なのか知らない。秘密結社みたいな会社だよね。あとはスパイ映画の本部みたいな感じ。社内でいろんな人とすれ違うけど、会釈するだけで会話はない。それは、暗黙の了解みたいなもので、互いを詮索しないように過ごすため。
このテーマパークの規模になると、“知らない方が幸せ”なこともたくさんある。「自分の情報は自分で守る」それがこの会社の掟なんだよね。
社内は至って普通のオフィスって感じ。男性は一般企業に勤める営業マンのようなスーツで、女性は事務員の制服を着ている。ぼくのようなテーマパーク内で働くスタッフは、カジュアルな服装であることが多い。だから、分かりやすくはある。
ロビーから、ずっと奥にまっすぐ進んでいくと「スタッフ専用エリア“」に繋がる扉がある。ぼくはその扉を通ると、パーカーのフードをとる。ようやく、自分たちのホームについた感覚。安心の地。いや、そうでもないか。
「おはようございます。○○さん。」
「おはよ。○○くん。」
社内でも数少ないぼくの名前を覚えている同僚が挨拶してくれる。名前は書けない。彼もぼく同様、“大きなもの”を背負っているんだ。強いて言うなら、「鳥の彼」とでもしておこう。いや、この呼び方だけでも、気づく人がいそうだな。うーん。ま、いいか。バレたら、ぼくだけが罰せられる状況なら。
鳥の彼は、とても気さくだ。ぼくより、二年後に入社してきた後輩で、ほとんどのぼくのシフトで、一緒になることが多いんだ。
「◯◯さん、また痩せたでしょ?」
彼はこうやっていつもぼくを気遣ってくれる。
「うーん、食パンとヨーグルトしか食べてなくてね。」
「だめですよ。お肉とかも食べないと」
こんなふうに、いつも同じ会話をしながら、医務室で社内医に健康状態をみてもらうというルーティーンをこなす。
「顔色よし、目の充血もなし、体温も異常なし。はーい、次の方」
診断自体はシンプルだが、少しでも顔色が悪いと、社内医に徹底して問い詰められる。健康診断が終わると、今日のスタッフ会議がある。マネージャーと1日のスケジュールを確認しながら、注意点や、最近のテーマパーク内での傾向を確認しあう会。
「◯◯さん、知ってます?」
「んー?」
「◯◯さん、辞表出したらしいです。」
「…そろそろだよなって思ってた。」
辞表を出したのは…、そうだな「虎の彼」と呼ぼうか。虎の彼もぼくの後輩で、精力的に働くタイプだったんだけど、ああいう真面目なタイプは経験上、すぐに潰れる。このテーマパークで働くというだけで、七つ星のホテルマンくらい、高い仕事のクオリティを求められる。できて当たり前という社風のうちの会社では、基本褒められることはない。だから、上のダメ出しを真正面から受けてしまうと、メンタルをすぐに持っていかれる。
「大丈夫ですかね??スタッフ」
「人数でしょ?厳しいよね?」
ま、いつものことなんだけどね。鳥の彼とそんな話をしながら、会議室へ向かう。
会議室の中はだいたい二十人から三十人ほどいるから、入りきらないのでリモートでも繋ぐ。会議室には入るのは、主要なスタッフ、言わば、演じる系の人たちが多い。だから、中の人も結構多いんだ。中の人会議とでもいうのかな。この会社の最重要秘密の話し合いをする場でもあるね。
すると、厳格そうで背が高く高級そうなスーツを着た男性が入ってきた。
彼が全ての中の人を取り仕切るマネージャー、そしてボス。そうだな、「夢の頭脳」とでも呼ぼうかな。
「とりあえず注意点だけ、さっと伝えとく。最近入れ変わりのタイミングミス”が多
発している。」
いきなり、えげつない話題からきた。これについて説明をすると、一つのキャラクターには、“何人か中の人”がいる。そう、ぼくが担当するキャラにも、他にも複数の担当がいる。
そして、ぼくらの会社には死んでも守らないといけないルールがある。
一テーマパーク、一キャラクター。同じ世界に同一のキャラが二人存在してはいけない。だから、入れ替わるタイミングは厳格に決められている。それが最近、ずれているよ、という重大な指摘だ。お客さんに知れたらなかなか大変な問題だ。
「◯◯◯◯エリアでは、お客様への対応が長引き、規定の時間の入れ替わりができなかった。」
我々スタッフは全てのお客さんに夢を与える存在。だから、ひとたび声をかけられたら、誠心誠意対応しなければならない。しかし、夢の頭脳の言うとおり、入れ変わりの時間は厳格に決められているので、お客さんへの対応が続けば続くほど、他のスタッフのスケジュールにも大きな影響を及ぼしてしまう。
実はお客様への対応を切り上げるには、技術というかテクニックを求められる。不快にさせず、再会をお客さんに匂わせ立ち去る。まぁ、経験値が必要な技だね。
「確かにお客様への対応は一切手を抜いてはいけない。しかし、プロなら時間を守ってほしい。」
夢の頭脳はこのように厳しく、そしてアドバイスは0だ。だからテーマパークのすべての中の人に嫌われている。
「ところで、◯◯くん、“◯◯◯◯の調子はどうだ?”」
この夢の頭脳の発言も、説明するのが大変だ。今から、少しだけおかしな話をするね。今、夢の頭脳が言った「○○くん」と「○○○○」は実質同一人物なんだ。何を言っているか分からないよね。
この会社の基本的な大前提として、自分の会社のキャラクターは全て生きている、という考え方なんだ。だから、中の人は存在しない、という姿勢を一貫している。つまり、夢の頭脳が今確認しているのは、
「◯◯くん、体調は大丈夫か?」
ということを恐ろしく遠回しに聞いている。テーマパーク内に出る時は、“キャラ”として出るので、このような聞き方になる。もはや宗教とか信仰の領域だよね。でも、ここまで徹底された考え方が、世界的に親しまれるテーマパークの運営に繋がっているのも事実。ぼくたちのスタッフの基本理念でもある。
「それでは、今日のキャラクターたちのスケジュールを伝える。みんな、ちゃんとお友達に伝えてあげるように」
お友達とは、中の人の担当キャラのこと。複雑だよね。ぼくらはもう、慣れたから大丈夫だけど、一般企業に勤める人からみると異常だよね。
「あ、今日は昼過ぎからかぁ」
鳥の彼は少し残念そう。早く帰りたかったのかな。ぼくのスケジュールはどうだろう?んー、お、ぼくも昼過ぎだ。ちょっと、時間の余裕がある。スタッフのスケジュールは、いつも直前に発表される。なぜなら、当日の体調不良のスタッフがいた場合、直ちに入れ替われるよう、大半のスタッフが朝からスタンバイさせられている。迷惑な話だよね。ほんとにこの会社には夢もかけらもない。
あ、ちょっと待てよ。今日、夕方一回抜けて、夜のパレードで再登板か。まじかよ。パレードはこのテーマパークの最大の見どころ。会社の力の入れ具合もはんぱなく、大きな飛行船みたいな車の上で、アクションしたり、魔法をかけたり、場合によっては火花にさらされることもある。
ましてや、ぼくが担当するキャラクターは、このテーマパークの主役。出番しかない。中の人の仕事の中では、最も嫌な仕事と言わざるを得ない。
「まじかよ…。」
思わず本音が漏れてしまった。
「おつかれです笑」
鳥の彼がにやりとしている。彼の悪いところだ。彼は、中の人として、トップクラスのお客様対応ができる男。でも、その実態はちょっと人の不幸を見るのが好きらしい。人のことを言えないが、どうしてこんな奴がこの仕事を任せられるのか。会社の選定基準は常になぞだ。
「ぼくはパレード前に先に失礼しまーす。笑」
パレードを任せられる人間には言って良いことと、悪いことがある。これは悪いことだとぼくは思う。
「まぁまぁ笑これいつものです。」
鳥の彼はぼくが好きなエナジードリンクをくれた。ぼくはこれがないとやっていけない身体になってしまった。こういうあざといところがあるから、鳥の彼は憎めない。
「最後に言い忘れていた。」
おもむろに夢の頭脳が語る。
「今週から、修学旅行シーズンに入った。各位、学生への対応が増えるから、念頭に入れておくように。」
最悪だ。テーマパークで最も厄介な客“学生”だ。彼らは社会を知らなすぎる。キャラクターにノリで触れてきたり、他の客が待っているのに、撮影の順番を守らなかったり。何もしても、許されると思っている。同じ理由で海外のお客さんも、あんまり好きじゃないけど、学生の比ではない。
一言だけ言わせてほしい。テーマパークに学生が好きなスタッフは存在しない。これは本当の話。
「ありえねぇ…。何かされたら蹴りいれてやろうかな。」
「こらこら。」
鳥の彼の気持ちもわかる。蹴りはいけないけど。蹴りはね。
「では、ミーティングはこれまで」
夢の頭脳は、足早に会議室を去っていった。さぁ、ここから先は昼過ぎまでスタンバイ。束の間の休憩の時間が始まる。