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ねずみの中には人がいる.4

 「PK合戦」

 社員専用口をトシさんと二人で歩きながら、更衣室エリアへ向かう。ぼくは、歩いている途中、今日あった出来事をトシさんに話していた。お城でのシゲさんのひどい仕打ち、フードコートであった学生に手をあげたこと、そしてその問題が夢の頭脳、貘狩によって、おそらく揉み消されたであろうこと、を伝えた。

 「そうかぁ。よく、そいつのこと殴ってくれたな。おれ、スッとしたよ。」
 トシさんから、そう言われて泣きそうになってしまった。お前はこの仕事の風上にも置けないって言われるかもしれないと思った。
 続けて、トシさんが話す。
 「俺も昔、学生に記念撮影するって騙されて噴水に落とされたことあったなぁ」
 「前に言っていましたよね。」
 「ああ。あの時はキレる前に、水に浸かった影響で息すらできなくなったんだよ。」
 「まじですか?」
 「まじまじ。死にかけた。頭取って、早く息を吸いたい。そう思ってた」
 
 この人も、本当に苦労している。ぼくたちって、狙われるけど、守ってくれる人もそんなにいないんだよね。自己防衛は基本自分自身でなんとかしなくてはいけない。中の人の辛いところだよね。
 「結局、どうなったんですか?」
 「慌てて駆けつけたスタッフに担ぎ上げられて、医務室に連れて行かれたよ。」
 「うわぁ。」
 「担ぎ上げられた時もさ、息ができないから、早く頭を取って欲しかったんだけど、テーマパーク内では脱がせるなって言われて」
 「え、頭は放置ですか?」
 「ああ。俺の命よりも、キャラの命を最優先にされたよ。」
 結局のところそうだ。この会社は、社員の命よりも、夢の世界でしか会えないキャラクターの方がはるかに大事なんだ。本当に人が命の危機に瀕しても、その考え方は徹底されている。今日、様々なことを経験して、ますますそう思った。

 ちなみにこう話している間も、ぼくらはスキップしている。トシさんはスキップできないから足を引きずっている。職業病だ。たとえ、社員専用口内であっても、姿形は世界的キャラ。そうであるうちは、彼を演じなければいけない。割とシビアな話をしているが、実はずっとスキップしながら話をしている。

 トシさんと話しているうちに、更衣室エリアについた。いろんなスタッフの注目がぼくとトシさんに集まった。少しの静寂。
 「最高だよ、あんたら」
 一人のスタッフがそう言うと、みんな拍手したり、指笛を鳴らしたりして、ぼくらに抱きついてきた。
 「ニュースみてみろよ。とんでもないことになってるぜ」
 一人のスタッフがぼくにスマホで、今トレンドになっているニュースを見せてくれた。
あらゆるニュースのトップには、

 「夢崩壊!二人の◯◯◯◯大乱闘」
 「ブチギレ◯◯◯◯!春の大暴れ」
 「どっちが本物?二人の◯◯◯◯の邂逅」

 など、書かれ放題である。日本のニューストレンドのトップテンが、ぼくとトシさんのニュースで埋め尽くされている。騒動から一時間たつか、たたないかくらいなのに、この情報の広まり方、やはり、SNSは恐ろしい。
 「お前ら、すげーな!」
 こいつら、冷やかしで言っているのか?でも、目がはラキラしながら語りかけてくる。ふざけているわけではないようだ。
 「こんな騒動、テーマパーク開演以来、初めてじゃないか?すげーよ。ほんとにスッキリした」
 
 この後、厳罰が待っているぼくらの、何がすごいのか分からないが、こいつらスタッフもよほどストレスが溜まっているらしい。
 ぼくたち中の人は自分を殺してキャラを演じるから、色々思うところがあるんだと思う。もし、ぼくらが彼らの立場なら、騒動を起こした人たちにハイタッチしに行ったかもしれない。それに、彼らスタッフたちの鬱憤を晴らせた、と思うと、少し気が楽になる気がした。トシさんも、まんざらでもない顔をしている。
 「トシさん、笑っていません?」
 「だってさ、俺たち英雄みたいな扱い受けているんだぜ?笑うだろ」
 確かに。英雄か、そんなこと言われるなんて、初めてのことだな。
 「なぁお前ら、これからどうなるんだ?」
 スタッフの一人に聞かれた。せっかく少しいい気分になっていたのに、水を差さないでほしい。

 「それは、こっちが知りたい。」
 ぼくたちは夢の頭脳のひとことで、一瞬でクビになってしまう。まぁ、ぼくはそれでもそんなに悪くないと正直思っている。でも、トシさんは、家族もいる。特殊な仕事の上、五十で再就職ってかなり厳しい。大丈夫かなトシさん。
 
 ぼくも人の心配をしてはいられない。中の人という特殊な仕事をしているので、同業界だと働ける場所は限られる。しかも、世界的に有名なテーマパークで不祥事を起こし、クビになった人間をよそが欲しがるだろうか。まず、同業界での転職は無理だろうな。
 「トシさん、おれ更衣室戻ってます」
 「おう。おれはシャワー浴びてくるわ。ファスなーだけ開けてくれる?」
 ぼくはトシさんの頭のファスナーを開き、自分の更衣室に戻った。更衣室には誰もいなかった。めずらしい、誰かしらいつもスタンバイしているんだけど。
 ぼくは、とりあえず暑苦しいので顔を取り、上半身だけ脱ぎたいと思ったが、人がいない。
このキャラは指が一つ一つまんまるで大きいので、自分では頭のファスナーを開けることができない。いつも、他の誰かにやってもらっている。トシさんまだかな。
 
 トシさんが帰ってくるまで、自分のスマホも見れない。ふぅ、ミカに早く連絡したい。ミカは、最近ぼくが通っている「美女と巨乳」というマッサージ店で、よく指名するマッサージ嬢だ。
 美女と巨乳は、チャージ料二千円で、この手のお店ではわりと良心的なんだ。お店の名の通りで、美人と巨乳しかいない、僕にとっては本当の夢の国。仕事の疲れもここに行くことで、すっかり、癒される。
 
 ミカはこのお店では、なかなか人気で指名できないところもある。ミカはいわゆるサディスティックなところがあり、よくマッサージにムチを使う。彼女曰く、強張った筋肉にムチで刺激を与えることで、筋肉を強制的に収縮させて、実質ほぐすという手法らしい。
 冗談だと思うだろうが、これが意外と効く。ムチで叩かれる度に声が少し漏れるが、叩かれる瞬間に自然に力が入り、叩かれた後に筋肉が楽になる感覚がするので、この感覚が忘れられなくて病みつきになる。ちなみに、ミカは蝋燭も使う。これも最高なのだが、話が長くなるので割愛する。
 ぼくは、ミカに仕事の愚痴を聞いてもらっている。嫌なお客さんの対応をしたときなんかは、ほぼ必ずお店に通って、ミカに話を聞いてもらっている。ミカは、ぼくの愚痴を聞くと、優しく頷いてくれる。うんうんと頷いた後にムチで僕の背中を打ちのめす。
 「お前がだらしねぇだけだろ!」
 それは、そう。その通りなんだよな。ぼくがしっかりプロ意識を持っていれば、こんなことに悩まなくていいはず。ミカは、いつでもぼくが言ってほしいことを嘘偽りなくいってくれるんだ。うちの会社には嘘をつくやつが多い。夢の頭脳も、シゲさんも。みんな嘘をつく。ぼくは、嘘のない世界に行きたいんだ。早くこれを脱いで、美女と巨乳に行きたい。ミカに会いたい。
 
 「おつ、おつ〜」
 ぼくがミカに会いたがっていたら、トシさんが帰ってきた。さっそく、トシさんにぼくの顔のファスナーを開いてもらい、ぼくは頭を脱ぎ捨てた。
 「お前、何で泣いているんだ?」
 トシさんに聞かれたけど、ぼくは答えなかった。泣きたくて泣いているんじゃない。おれは、ミカに会いたいんだ。上半身のファスナーも開けぼくの上半身はやっと解放された。解放されたと同時にもっと涙が溢れてきた。今日1日、色々ありすぎた。
 
 「おいおい、どうした?」
 トシさんがぼくを心配している。でも、自分でも、どうしても涙を抑えることができない。この1ヶ月分くらいは、涙が出ている。とりあえずぼくは、更衣室の冷蔵庫の中から、フルーツ牛乳を取り出し、泣きながら一気飲みした。甘い果実はぼくの疲れ切った精神にまで染み渡ってきた。
 「やっと、おちついたか」
 トシさんが隣に座ってくれた。ぼくは、少し落ち着いてきた。
 「トシさん、好きな風俗嬢います?」
 
ぼくは、現実を忘れたくて、ぼくらの仕事とはかけ離れた世界の質問をした。
 「実は、この近場に美女と巨乳っていう
店があってな…」
 「ええええ!!ぼく常連客です!!」
 「まじか!おれゴールド会員だよ」
 大先輩だ。ゴールド会員なんて、うん百万と貢がないと、決して届かない世界だ。まさか、知らなかった。トシさんも同じお店に通っていたなんて。中の人はみんな「美女と巨乳」に通っているんだろうか。心がすっと楽になった。ぼくはトシさんと、他愛のない話をずっとしていた。楽しかった。
他愛のない話をしていたらトシさんから
 「待っているだけじゃ暇だし、みんなでPKやる?」
 「まじすか?」

 PKというのは、ぼくら中の人だけでやる悪ふざけ中の悪ふざけだ。この悪ふざけは、ぼくが演じる世界的キャラクターの頭を、サッカーボールの見立て、中の人が蹴る。ルールはサッカーのPKと同じで、キッカーとキーパーに分かれて、倉庫の余り物でつくられた簡易ゴールに、頭をつきさせばキッカーの勝ち。止めればキーパーの勝ち、というシンプルなルールだ。この悪ふざけはぼくが入社前から存在していて、ときどき夢の頭脳などの上司がいないのを確認して、仲間内で秘密裏に行われている。最初に思いついたやつは、本当に頭がどうかしていると思う。
 「お〜い!いまからPKやるぞ〜」
 トシさんが、更衣室エリア中に響く声でよびかける。
 「賭けだよな?」
 
 一人のスタッフがトシさんに話しかける。当然、トシさんがやることだ。賭けに決まっている。みんなどっちが勝つかに、給料の手取り数%を賭ける。トシさんは賭け金の元締めになるというわけだ。
 奥の方から一人トシさんに近づいてくる。
 「ちょっと、今月ピンチでよ。俺にやらせてくれねぇか?」
 まさか、お前は。シゲさんだ。そうか、シゲさんも今休憩中だったのか。
 トシさんがニヤッと笑う。
 「おい、お前いけよ。こいつには負けらんねぇだろ?」
 うわ。消しかけてきた。確かにぼくはシゲさんと因縁がある。けど、それはぼくを使って、賭け金を集めるために盛り上げたいだけだ。魂胆が見え見えなんだよな。

 「トシさん、ぼくは見る側で…」
 「もしかして負けるのが怖い?」
 トシさん悪い人だなぁ。ぼくが負けるのが怖い?このくそ性癖じじいに?
 「上等だよ。やってやろうじゃねぇか。」
 「なに?勝つ気でいるの?」
 
 シゲさんが俺を煽ってきた。シゲさんは、中の人界隈では、トシさんに次ぐギャンブル狂だ。一月分の手取りすべてを賭けて、小道具の空砲中を使った、ロシアンルーレットをやったこともあるとか。だか、くそ性癖じじい、お前は今日ここで終わせてやるよ。
 「トシさん、ぼくは今月分の手取りすべて賭けます。」
「俺も同じで」
シゲさんもすかさず勝負に乗ってきた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
盛り上がるスタッフの群衆。更衣室エリアが一瞬で、博徒が集まる、賭場と化した。
「さぁ、どっちに賭ける!四万、あいよ。五万?おっけい!」
トシさんがスタッフを煽りたくって、金をかき集める。まったく、この人は。でも、ついにシゲさんを黙らせるチャンスだ。勝負には暗黙のルールがある。
「わかっていますよね?シゲさん」
「もちろん。お前おわるよ?」

 ギャンブルの敗者は、勝者の言うことをゲーム後から1ヶ月間、聞き続けなければいけない。ボロ雑巾のほうに使い倒してやるよ。
互いの心の準備はいつでも大丈夫。さぁ、誇りを賭けた勝負が始まるぞ。
 周囲のスタッフの協力で、更衣室エリアに簡易のゴールが設けられた。蹴る位置には、ビニールテープで印が残されている。
 「勝負は5本。交互に蹴る方と、守る方を交代。失敗した方が、成功している人に、ゴール数で上まれなくなった時点で決着だ。」
 
 トシさんがルールを説明してくれた。選考はぼくだ。世界的キャラの頭を蹴る位置に置く、なんとなくキャラの顔がぼくの方を見るように置いた。その方がぼくの憎悪を掻き立て、キック力を高めてくれると思ったからだ。
「ピっー」
トシさんが一本目開始のホイッスルを吹く。ぼくは、四メートルほど女装をつけて、ゴール右隅を狙い、思いっきり世界的キャラの頭を蹴った。
「ゴーーーーールっ!!」
「くっそ!!!」
 悔しがるシゲさん。危なかった、シゲさんに少しだけ触られた。コースが良くてなんとか決まった。さぁ、次はぼくが守る番だ。シゲさんは世界的ヒロインの頭を蹴る位置に置く、シゲさんも自分の方を世界的キャラが見つめるように頭を置いた。考えることは同じだ。
 今、ぼくは成功している。先行は有利だ。シゲさんはプレッシャーを感じているはず。
右だ。右に来る気がする。そう思い、僕の重心が右に寄るのをシゲさんは見逃さなかた。
 「そこだっ!」
 「ゴーーーール!!」
 なんだと。コロコロPKだと?シゲさんは、ぼくの重心の傾きを見て、狙い澄ましたかのように頭を転がすようにゴール左隅に流し込んだ。なんて冷静なんだ、シゲさん。
 次は、僕の番だ。さっきのシゲさんを見る限り、失敗したらぼくが不利になるのは、間違いない。ここはくらいつかなければ。
 ぼくは先ほどと同じように、世界的キャラが自分を見つめるように頭を置いた。シゲさんは、歴戦のゴールキーパーのごどく、カニのようにふにゃふにゃ動いて、プレッシャーをかけてきた。むかつく、むかつくぜ、シゲさん。ぼくは、さっきは右に蹴った。次は、悩んだが、もう一度右を蹴ることにした。なんとなく、左はシゲさんに張られている気がした。
 
 ふぅ、と息を吸って、四メートルほど助走をつけて、つま先の左側で世界的キャラの頭を蹴る。
 「ゴーーーーール!!」
 「よしっ!!」
 思わず声が漏れた。シゲさんは微動だにできなかったみたいだ。ぼくの予想通り、左に山を張っていたんだろう。ここを止めたらでかい。ぼくはゴール前で準備を始める。
 シゲさんは、顔の向きを変えて置いた。どうした?揺さぶりか。なんと世界的ヒロインはぼくの方を向いている。こっちを見るな○◯◯◯、これから蹴られる世界的ヒロインを見て、少しむなしくなった。彼女はこんなことをされるために生まれたわけではないのに。だめだ、だめだ。もう一度、引き締めなければ。
 
 シゲさんは助走を初めた、右か、左か…。頭は蹴られた瞬間、左に外れてゴールから外れた。
「ああああ…」
頭を抱えるシゲさん。ざまぁみろ。シゲさんの右足は、世界的ヒロインの耳をかすめてしまい、思ったコースに飛ばなかった。向きを変えた罰だ。よし、これでリードだ。ここを決めたら、確実に有利だ。更衣室エリアのボルテージは最高潮に上がった。
ぼくは、ゆっくりぼくの相棒の頭を、同じように自分を見るようにして置いた。しっかり助走をつける。深呼吸をする。

「さぁ、ここを決めたらでかいぞ!」
「外すなよ!!あんたに六万賭けてんだ。」
周りのガヤが騒ぎ倒している。お前らのことは知ったことではないが、この勝負、負けるわけにはいかない。悪いな、勝たせてもらうよ、シゲさん。ぼくは、ゆっくり相棒の頭から助走をつけるために離れた。
その時だった。
「一体、これは何をしているんだ?」
聞こえてしまった。威厳のある、よく聞き覚えのある声が。

「トシ、散る」

ぼくは、声が聞こえた方向を見ないことにした。見たところで、決して良いことなんてないからだ。
「なぁ、説明してくれよ、これは何?」
声の主は、明らかにトシさんに聞いていた。トシさんは黙ったままだ。トシさんどころか、つい先程までヤジを飛ばしていたガヤまでも一言も言葉を発しない。

「私は、君に聞いているんだ。」
 声の主、夢の頭脳はやけに冷静な口調だ。まるで、怒らないから本当のことを言いなさい、という母親のようだ。ぼくはこれで、母親が怒らなかったケースを一例でも、聞いたことがない。
トシさんは、左手にホイッスル、右手にスタッフを煽りかき集めた札束を持っている。耳には赤ペンをかけて、足元にその赤ペンで誰が誰にいくら賭けたのか記録したメモ書きらしきものが、落ちている。トシさんにこの状況を打開する手段は残されているのだろうか。トシさんは、ようやく口を開けた。

「私は何も知りません。」
 それは無理だ、トシさん。今、夢の頭脳の目の前には、サッカーゴールらしきものが更衣室になぜか設置されている。そして、床に置いてあるこのテーマパークの主人公の顔は、どう考えてもサッカーのように蹴られる位置に置いてある。わかるでしょ、トシさん。あなたは今、目の前の死体が転がっていて、返り血を全身に浴びた状態、かつ、包丁を手に持った状態で警察の前にいる。この死体とは私は無関係です、というのは絶対に通るわけがない。

「言いたいことは、それだけか?」
冷徹な目でトシさんを睨みながら、聞く夢の頭脳。トシさんは、絞り出すように喋った。
「娘を助けたいんです」
確かにトシさんは今年大学に進学する娘さんがいる。その学費を稼ぐにしても、はたしてギャンブルで稼ごうと思うだろうか。今、トシさんは喋れば喋るほど、自分の首を絞めている。

「私は、この状況を説明してくれと言っているんだ。」
 夢の頭脳、それは見てわかってほしい。この状況を嘘、偽りなく説明できる人などいるだろうか。世界的キャラの頭をボールにしてPK戦をしていた、なんて、ぼくの口からはとても言えない。どうする、トシさん。
「P…」
 「なんだ、聞こえないぞ」
 言うのか。トシさん、言ったら終わるぞ。言わなくても、終わるけど。
 「ぼくたちはPK戦をしていました。」
 「そうか。ひとつ聞いていいか?仕事中にPK戦ってしていいものか?」
 今、1+1はなんですか?と我々は問われている。
 「今、その目の前に置いてあるものを蹴ったりしていいのか?」
 
 夢の頭脳、気づいてほしい。我々には算数ができない。いや、国語も、社会も、一般常識も怪しい。そんなやばい奴の集団なんだ。それを雇っているのは、あんたらだぜ。この仕事は普通の精神力じゃ務まらない。相当タフか、もともと危険なメンタリティを持つ、異端のものじゃないとね。って思ったが発言できる空気ではない。
 「まぁ、いい。聞いても無駄か。これを早く片付けてくれ。」
 スタッフたちは簡易ゴールを片付け始めた。
シゲさんはどうやら、どさくさに紛れていなくなっている。ずるい、だけどああいうのがこの会社では長生きするんだ。引き時を知っている。
 「君は私の執務室に来なさい。私が行くまで待つように」
 「娘の学費を稼ぐために仕方なく…」
 トシさんは泣き始めた。おれは、最後までトシさんにはかっこよくいてほしかった。娘の学費を稼ぐために、他のスタッフから金を巻き上げたというのか。
 「分かったから、執務室に行っていなさい。」
 夢の頭脳は意にも返さなかた。トシさんは、一瞬ぼくの方を見た。ぼくは、思わず目を逸らしてしまった。トシさんの表情は本当に切なかった。仕方ないよ。でも、ぼくもそのうち、そっち側に行くから安心して。
 トシさんは、ぼくが目を逸らした後に、更衣室エリアを出て行った。ぼくがトシさんを見るのは、もうこれが最後かもしれない。こうして、トシさんは、娘の学費を稼ぐために、社内で世界的キャラの頭部を使ってPK戦を主催する、という伝説を残し、更衣室エリアから去って行った。
 「君。こっちきて」
 夢の頭脳によばれた。俺の番か。まぁ、ぼくもPK戦をしていたプレーヤーだし、さすがに何らかの罰、免職もありえるだろうな。
 「選べるならどちらがいい?」
 なんだ、いきなり。読めない。
 「このまま、何も言わずにパレードに出る。もしくは、私の執務室にくる。」
 なるほど、何も言わず働けってことか?
 「ぼく、今日だけでもかなり問題起こしましたよ?」
 少し、揺さぶってみた。
 「ふぅ。そうだよ。本音をいうとね。人材不足なんだ。うちの主役を演じられる人は、世界的にも限られている。さっきのやつは首にするけど、一気に人数は減らせない。」
 とても、リアルな本音だ。だから、ぼくがフートコートで少年を平手打ちした件も、揉み消したのか。
 「うちも苦しいんだ。頼むよ」
 「どうして、トシさんではなく、ぼくなんですか?」
 素直に聞いてみた。
 「年齢だ。彼は五十を超えている。どのみち時間の問題だ。」

 とても、シンプルで残酷な回答が返ってきた。でも、夢の頭脳の言う通り、このテーマパークの主役を演じるには、この国だけでなく“本国”の会社の審査・承認が必要だ。だから、一人が辞めたから、人を補充するか、のようなことが簡単にできない。それだけ、こだわり抜かれた動きを、しっかり表現できる人にしか演じられない。夢の頭脳は、現実的な判断で、ぼくのような問題を起こしそうな人物でも、仕事を任せざるを得ない。
 
そう考えると、悪くないかもしれない。夢の頭脳の足元を見て、わがままがこれまで以上に通るかもしれない。トシさんには悪いけど、ぼくのキャラを演じる中の人が一人少なくなった以上、ますます、ぼくの立場は強くなる。うん、悪いことじゃない。
 「わかりました。いいですよ、パレードには出ます。ただ、今度、賃金の相談をさせていただけないでしょうか。」
 
 夢の頭脳はしぶい表情をして、
 「相談には乗るが、あまり調子にのるなよ。こっちも何もできないわけじゃない。」
 さすがに、少し釘を刺されてしまった。
 「では、パレードのことよろしく頼むよ」
 そういうと、夢の頭脳は足早に去って行った。今日はいろいろ問題がたくさんあったけど、最後の最後で、いい話が聞けた。今日を機に、自分の労働環境や賃金をより改善できるかもしれない。そう思うと、普段は嫌なパレードもモチベーションが湧いてくる。ぼくは、パレード前にコンディションを整えようと、シャワー室へ向かった。
 
 更衣室エリアにシャワー室はある。ぼくは服を脱いでシャワー室に入る。そこには、鳥の彼がいた。
 「あ、お疲れっす!さっきのPK戦、最後まで見たかったです笑」
 なんだ、鳥の彼も見ていたのか。
 「シゲさん助かったな、ほんとに」
 シゲさんには逃げられた気分だ。
 「君もパレードの準備?」
 「いや、今日はこれで上りっす!」
 
 そういえば、そうだった。鳥の彼は今日これで上がりだ。ずるい。だかそういうシフトだから仕方がない。
 「お疲れ。フードコートでは最悪だったね。」
 「あれ、口外禁止になってるとか」
 「そう、上がもみ消したらしい」
 「え、そうなんすか…。やっぱりうち何でもするんですね」
 「ああ。獏狩も動いたらしいよ」
 一体、どんな奴らが動いているのか。
 「ああ、例の。でもあんまり詮索しない方方がいいみたいですね、彼らのこと。」
 
 鳥の彼の言うとおり、あんまり獏狩のことは詮索しない方がいい。裏の仕事をする連中だ、ぼくらが知らない方がいいことをずっとしている。このテーマパークで長生きしたいなら、あんまり彼らを意識しないようにしよう。
 「噂によると、元ぼくらと同じ仕事している人もいるとか」
 「獏狩に?」
 「ええ。」
 人がせっかく、関わらないでおこうと思っているのに、鳥の彼はおしゃべりがすぎる。

 でも、漠狩に元中の人がいるって話本当ならすごいな。まぁ、元々影武者みたいな仕事だからな、闇との相性はいいかもしれない。あれ?ひょっとしたら、トシさんも、夢の頭脳に獏狩に勧誘されているかも。うーん、闇に生きる仕事。ちょっと興味あるかも。
 「じゃ、お先失礼します!パレードがんばってください!」
 そういって、鳥の彼はシャワー室から出て行った。呑気な奴だ。ぼくは、もう少しだけシャワーを浴びて気持ちを落ち着かせてから出ることにした。パレードは最後の重労働だ、気持ちを引き締めないといけない。
 シャワー室を出ると、自分の更衣室に一旦戻る。スマホを見ると、メッセージが届いていた。ミカだ。
 「今日はくる?」
 「行くに決まってる!」
 返信したら、すぐにまた返ってきた。
 「蝋燭がいい?ムチがいい?」
 うーん、少し悩むな。
 「今日はロープにしてくれないかな?」
 「おけ。念の為手錠も用意しとくね」
 
 ありがたい。ミカは本当に気が利く。ぼくはミカにありがとうと返事をして、準備を続ける。パレードさえ頑張れば、ミカがロープを使ってぼくをほぐしてくれる。これは、ものすごいモチベーションを高めてくれる。がんばるぞ。
 そう自分を焚き付けて、今一度ぼくは彼を着る。なんだか今日はみんなに夢を与えられるようにしたい。いつも以上に気合が入っている気がする。ぼくは彼の頭のファスナーを締めて、スキップしながら更衣室を出た。

 #創作大賞2024 #ホラー小説部門

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