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ねずみの中には人がいる.3

「無知との遭遇」

 社員専用口が閉じられる前には既に、ぼくはシゲさんのむなぐらを掴んでいた。
 「おまえ、良い加減にしとけよ、まじで。」
 ドスの効いたぼくの低い声が響いた。はたから見れば、世界的有名なカップルキャラクターが彼女にDVをしているシーンにしか見えない。シゲさんの体は壁に押し付けられ、足元が微かに宙に浮いていた。
 はっとぼくは気づく。スタッフ数名がぼくを後ろから止めようとしていることに。シゲさん以外の人間をまったく意識できなかった。それほどまでにキレてしまっていた。
 「そこまでにしてとけ」
 威厳のある声が聞こえた。この声は、夢の頭脳だ。まぁ威厳があるのは本当に声だけだけどな。ぼくはシゲさんのむなぐらを離した。
 「握手しろ」
 
 は。こいつは、何を言っているんだ?シゲさんとってこと?シゲさんの方を見ると、シゲさんは手を差し出していた。許してやるよ感を出しているのが、無性に腹が立つ。おれはシゲさんの手を払いのけ、その場を立ち去ろうとした。
 「おい、待て」
 「はい。なんですか」
 少し悪態つけて返した。
 「次のイベントで相談がある」
 「次は海のエリアで短いイベントがある予定ですが」
 何か嫌な予感がする。
 「少し変更して、フードコートに行ってほしい」
 「と、いうと?」
 「今、フードコートは大勢の修学旅行生がたくさん来ていて、彼らに内緒でそこに行ってほしい。」
 
 最悪だ。学生たちを喜ばせるサプライズを
サプライズを敢行しろ、というのが夢の頭脳
からの命令だ。
 「サプライズですか?」
 「そうだ、彼らにとっても一生の想い出になる。頼まれてほしい」
 「はぁ…」
  リアルなため息が漏れる。これシフト時間延長確定じゃないか。
 「わかりました。」
 
 ぼくもサラリーマンだ。上司の命令は断ることはできない。夢の頭脳は、テーマパークのブランドイメージの向上しか頭にない。だからこの手のサプライズは運営側の下心によっていつも行われている。うちは地方自治体なんかとよく似ていて、対外的に学生など、若い世代に寄り添っているところを見せたがる。よくいう世間体ってやつ。若い世代を大切にする企業は、社会から良い印象で見られるという宗教。ぼくも、もう少し歳を取るとこういう考え方になってしまうのかな。
 「よろしく頼むよ。あと、彼ともちゃんと和解しておくようにね」
 
 ああ、シゲさんのことか。夢の頭脳はそう言って、足早に去っていった。あれ?シゲさんは?気づいたら、シゲさんどこにもいない。夢の頭脳と話している間に次のイベントにいったのかな。俺は許してないけどな。まぁいつか決着をつけなければいかんな。
 
 さて、お昼をだいぶ過ぎているから、いそいでフードコートに向かわないとね。社員専用口はとても便利。フードコートにもちゃんと繋がっているんだよね。距離は少しあるけど。
 五分ほど社員専用口を小走りで進んで行くと、あったここだ。フードコート直通の出入り口だ。さて、さっそく行くかと思った瞬間、肩を誰かにとんとんされた。
 振り向くと、鳥の彼がいた。
 「ぼくもサプライズしろって…」
 なるほど、彼も夢の頭脳に呼びだされたわけだ。まぁ、一人より、二人の方がいいよな。鳥の彼とぼくのキャラは大の仲良しだ。阿吽の呼吸で一緒にコミカルなコミュニケーションをとれる。鳥の彼とは幸い相性も良い。まあなんとかなるだろう。
 「じゃあ、行こうか。」
 「はい!」
 
 ぼくは、鳥の彼の肩をポンポンと叩き、社員通用口からゆっくり出た。
社員通用口はカーテンに覆われていて、ぼくと鳥の彼の姿はまだ、学生には視認できないはず。
 「ああ!○○○○と○○○○じゃね?!みんな、○○○○と○○○○が変な扉から出てきた!!」

 え?なんで、こんなところに中学生な子が
いるんだ?ぼくらがサプライズされてしまった。とはいえ、ばれてしまったものは、しょうがない。ここは勢いで押し通すしかない。
 ぼくと鳥の彼は、そのままフードコートの中心まで駆け抜け、両手を思いっきり広げて、ようこそと伝えた。
 「わぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 
 フードコート内は学生たちの拍手と歓声とどよめきで大興奮に包まれた。学生たちはすぐにぼくと鳥の彼に周りに集まってきた。すぐに周りは大混雑。学生が集まって揉みくちゃになってしまった。
 しまった。勢いで出てきてしまったが、普通こういうサプライズは交通整理役を果たすスタッフが必要不可欠だ。そのスタッフに声をかける間もなく、ぼくたちは存在をばれてしまい、館内は少しパニックになってしまってる。どうしたものか。

 「…!!」
 体に鈍い衝撃が走った。おしりを今蹴られた気がする。この揉みくちゃな密集に乗じて悪戯好きなガキがなめたまねしてきたらしい。こういうのはたまにある。

 「…!!!」
 まじかよ。今度は下腹部を狙ってきた。誰だよ。視線を左右に移してみた。このテーマパークのキャラは視界が広い。事故が起こらないためだ。すると、すぐに見つかった。
さっき社員専用口付近で最初にぼくらを見つけた中学生が、ぼくの足を踏みつけているじゃないか。
 「はーい。みなさん、落ち着いてー」
 フードコートのスタッフが騒動を落ち着かせようと、集まってきてくれた。助かった。あ、鳥の彼は?
 
 「…」
 鳥の彼は、かなりぐったりしながらも、かろうじて立ってはいた。よかった。ぼくは鳥の彼の背中をポンポンと手のひらで触った。ところで、あの中学生のガキは?一瞬でどこかいったか。
 「ねぇ、ねぇ、○○○○って社員さん?バイト?」
 ガキはぼくの目の前にいた。しかもクソ生意気なことぬかしてやがる。これ以上、ぼくの前に出しゃばるな、消えろ。ぼくはそう願いつつも、体勢を立て直せたので、鳥の彼と即興でショーでもしようと考えた。
 このテーマパークでは、いついかなる時でも、どんな場所でも自由に好きな曲を流すことができる。ぼくは、駆けつけてくれたスタッフに合図をおくる。

「タン・タ・タン」
足でリズムを刻む。そのリズムを聞いて、鳥の彼もグーのジェスチャー。さすが。中の人たちには会話はいらない。すると、フードコート内に軽快なメロディが流れ始めた。スタッフも両手を使って頭の上で、メロディに合わせて手拍子を始める。それを見て、学生も手拍子をまねする。準備は万端。ショーの始まりだ。
 リズムに合わせて、ムーンウォークを披露する鳥の彼。彼の十八番なんだよね。ムーンウォークをしながらぼくのところまでやってくる鳥の彼。ぼくの前まで来たところで逆向きにステップチェンジ。今度はぼくと彼二人でムーンウォークを軽快に決める。ぼくも出来るんだよね。
 続いて、鳥の彼が大きなポケットからソフトボールくらいのボールを次々と、ぼくの方に投げてくる。それをぼくはすぐさまお手玉のようにボールを回していく。
 
 「おおおおお!!!」
 会場のボルテージが上がっていく。ボールはどんどん増えていく。すると、鳥の彼はスタッフから用意された一輪車に乗り始め、フードコート内を走り始める。学生とハイタッチしながら。これが盛り上がるんだよね。
 ぼくはお手玉しているボールを、一輪車に乗っている彼にポンポン投げていく。彼は器用に一輪車に乗りながら、ボールをキャッチしながら、お手玉のように回し始める。会場が拍手に包まれる。
 
 最後は鳥の彼が一輪車に乗りお手玉しながら、寝転んだぼくの上を飛び越える、という演出だ。ぼくは不安そうな挙動で横になる。
 「ドゥルルルルルル…」
 ドラムロールが始まった。会場が緊張に包まれる。その瞬間だった、俺に蹴りを入れたガキがぼくの上に飛び乗ってきた。
 「うえーい。」
 
 え?びっくりしたのはこの後だ。一人が飛び乗ってきたら、他の学生たちも俺の上に飛び乗ってきた。え?どういうこと?鳥の彼も慌ててお手玉をやめて、助けようとこっちに向かってきたが、他の学生に邪魔されている。
 「ねぇ?顔見せて?」
 今、なんて言ったあのガキ?学生たちは数人がかりで、ぼくの顔を剥ごうとしてきた。幸いにも、外から他人が脱がせられない仕様になっているので、大丈夫のはずだが、こいつら正気か?
 「うわー!取れねー顔!!だれか入ってるんでしょ??」
 今、恐怖を感じている。ぼくは全く身動きを取ることができずに、ただ顔を剥がそうと必死になる中学生たちになされるがままだ。
 「やめて」
 「あ、今なんか言った??喋った??」
 あまりの怖さに声が漏れた。
 「おれは聞こえなかったー」
 「なんだ、空耳??てか、顔取れねえじゃん。」
 怒りが、どすぐろい怒りが込み上げていきた。気づいたら、腕を振り解いて、脚を振り回して、中学生を近寄らせないようにした。
 
 ぼくは、ようやく立ち上がることができた。
学生時代にいじめられたとか、そういうことはなかったけど。こういう気持ちなのかな。初めて人に馬乗りされて、身動き取れない状態になって、頭の中まで真っ白になってしまった。
 ぼくたち中の人は、こういうリスクは常について回る。世界的に人気ということは、裏を返せば標的でもある。あのキャラの本性を知りたい。あのキャラをこらしめれば、一躍有名になれるかもしれない。なんて、考えている人は五万といるんだ。ぼくたちは、そんな危険な人物を明確に見分けることはできない。身体検査をしたところで、今回のように馬乗りされたりしたら、意味がないからね。
 
 テーマパークは、スタッフとお客さん互いの信頼関係があって、初めて成り立つんだ。  
よく噂とかで聞いたことがあると思う。
 「あのキャラクターを噴水に落とした学校が翌年から、テーマパーク出禁になった。」
 正直に言うとうちでは、五、六年に一回のペースで起こっている。トシさんも一回やられたことがあるんだ。笑い事でもなんでもない。中の人はこの体で、水の中に入れられると、体が水分を吸収し、重さで立ち上がれなくなる。どうなるか?小学生の肩くらいまで浸かる水深でも、溺れてしまうんだ。下手をしたら死んでしまう。
 どうしてこんなことをするのか、理由を聞くと、
 「舞い上がって調子に乗った」
 「楽しすぎて、目立つことがしたくなって」
 と、だいたい答えると聞く。こんなこと考えたくはないけど、人は気分が良くなると知らない間に、善と悪の境界線が途端に緩くなる。テーマパークって、人をそうさせてしまう危険性を孕んでいると思う。
 ところで、あのガキはどこに行ったのだろう。確かぼくがさっき、足で振り払ったはず。

 フードコート内は、スタッフが何人か、かけつけてくれたおかげで、少し落ち着き始めている。
 あのガキを見つけた。あのガキを含め、ぼくに飛びついてきた数名の学生を、スタッフが注意している。
あ、こっちに気づいた。びっくりした。あのガキは、ぼくに対して笑顔で手を振っている。今、あのガキはどういう気持ちなのか。おそらく、悪いことをしたとか、そんな気持ちはなく、ちょっと悪戯した、くらいにしか感じていないのだろう。  

 うわ、あのガキがこっちに来ようとしている。背筋が固まった。スタッフと二人であのガキはぼくの目の前にやってきた。謝りにでもきたのだろうか。
「ねぇ?そんなに悪いことしたかなぁ?」
絶対に手を出してはいけない。最初にぼくはそう心で誓った。でなければ、ぼくの右手は世界で一番してはいけないことを即座にしてしまっただろう。
 ぼくは彼の顔の中で一度深呼吸をした。落ち着け。このガキは中学生くらいだ。本気になる相手じゃない。ぼくは寸前のところで理性を保つことに成功した。
ぼくは人差し指を立てて左右に振り、ダメだよ、とジェスチャーで優しく伝えた。
「チッ、チッ、チッ、甘いぜ、ってこと?」
まるで伝わっていない。このガキには何を伝えても無駄なんだろう。担当の教員のところに連れて行ってもらう。と、スタッフに視線で合図を送った。その時だった。
「…!!」

 ガキがぼくのスネを蹴ってきた。結構、痛いところに入ってしまった。ぼくは座り込んで悶絶していた。
「めちゃ痛がってる笑笑」
それから、ぼくは立ち上がった瞬間
「パーン!」
そのガキを思いっきり平手打ちした。ぼくが理性を取り戻したのはガキを平手打ちした後だった。やってしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 大きな声で泣きじゃくるガキ。そして、呆然とするスタッフ。ただ、立ちすくむぼく。周囲に視線を向けた、最悪だ。視線の先には、スマホで何やら撮影しているギャラリー。もしかして撮られたのか?
やばい。世界的人気キャラクターが少年を平手打ちした映像がSNSに流失すれば、世界トレンドは間違いないだろう。一生ネタ動画として流用される。このキャラクターのブランドを深く傷つけるかもしれない。でも、悪いのはぼくか?ぼくこそ、もう少しで大怪我するところだったんだぞ。なぜぼくだけがこんな目に遭わなければいけないんだ。

 ここは夢のテーマパークなんかじゃない。ただの地獄だ。もう嫌だ。ここから離れたい。ぼくはゆっくりとフードコートから外へ出た。
出なければよかった。すぐに後悔した。地獄から外に出ようとしたら、そこには別の地獄が待っていた。外には、ぼくがこの世で最も出会ってはいけない人物が目の前を歩いている。
ああ。嘘だっていってくれ。こんなのあんまりだ。そこには、そこには。

「二人いる」

トシさんがいた。正確には、ぼくと全く同じ顔、同じ服装のトシさんだ。
一テーマパーク、一キャラクター。同じ世界にいてはいけない、もう一人のぼくが視線の先にいる。ぼくはその場で固まってしまった。
姿かたち全く同じだが、ぼくには視線の先にいるのがトシさんだとわかる。トシさんはベテラン、キャラの動きに関しては右に出るものがいないくらい完璧。だけど、歩き方のクセが強すぎる。なんて説明したらいいのか、
トシさんはスキップがへた、というかできない。だから、スキップをしようとすると、ステップをうまく踏めず、片方の足を負傷者のごとくひきずっているようにしか見えない。
 
 今まさに、ぼくの視線の先でトシさんは、片足を引きずりながら、こちらに歩いてくる。 
トシさんも、さすがに、こちらに気づいた。でも、今さら方向転換なんてできない。こちらへ、近づいてくる。どんどん近づいてくる。そして、ぼくの目の前にきて、トシさんは立ち止まった。
ぼくは、トシさんにそのまま通りすぎて欲しかった。ぼくのことなんか、存在しないものとして、無視して欲しかった。でも、トシさんはぼくの前で立ち止まった。かえって、決定的な瞬間になってしまっている。
ぼくとトシさんの距離は約、一メートほど。ぼくは何をしたらいいのか分からず、指ひとつ動かすことはできなかった。そして、トシさんも何もすることなく、ただ立ち止まっている。おそらく気持ちはぼくと同じで、何をしたらいいのか分からないのだろう。
 
 そもそも、なぜぼくとトシさんはこうして鉢合わせてしまったのか。原因は色々あるが、たぶん、突発的なスケジュール変更があったからだ。
ぼくは本来、お城でのイベントの後、海のエリアで軽く対応して、トシさんとバトンタッチするはずだった。しかし、ぼくがフードコートで学生へサプライズ対応することになった件が上手くトシさんたちに伝わってなかったのだろう。夢の頭脳、あいつが余計なことをしかれば。
「パシャ、パシャ、パシャ…」
無数のシャッター音が聞こえる。ギャラリーが集まってきた。早くなんとかしなければ、いや、もう手遅れか。ファンも一テーマパーク、一キャラクターのことは知っている。これが、衝撃的な事態なのか、分かっている。
そんなことを考えていたら、トシさんが足が「タン、タン、タン」とリズムを刻むように足踏みをし始めた。トシさん、あんたまさか。続いて、トシさんは頭の上で手拍子を始めた。周囲のギャラリーにも手拍子をするように促した。なんて人だ。トシさんは一世一代の大博打に打って出ようとしている。トシさんはぼくの顔をチラッと見た。
(やるしかねぇ…)

 ぼくにはそう言われた気がした。集まったギャラリーも手拍子を始めた。もう、トシさんはやるきだ。それは、この極限の状況をダンスでうやむやにして切り抜ける。あわよくばギャラリーには、何かのサプライズだと思わせようって魂胆。さすが、あんた最高にぶっ飛んでるぜ。やっぱり、トシさんは生粋のギャンブラーだ。ぼくも覚悟を決めた。
歓声や口笛が聞こえ始めた。ギャラリーのボルテージも上がっている。トシさんが小刻みなステップでタップダンスを踊り始める。熟練の動きだ、曲が無いのに、地面を蹴る音で美しいメロディを奏でてみせた。そして、ぼくの方を見て、両手の人差し指でぼくを示した。ぼくは、ゆっくりとしたストリートダンスのボックスを始める。前後左右に小刻みにステップを踏み始めた。ぼくは、ボックスのステップから、得意なブレイクダンスを披露しようとしたその瞬間、

 (いてっ)
トシさんと肩がぶつかった。変なとこでステップが止まってしまった。
(何やってんのトシさん?)
 ぼくはトシさんに目で伝えた。おそらく、気分が乗ってきたためか、ぼくのダンスに合わせて何かするつもりだったのだろう。また、トシさんとぼくは見つめあった。妙な間が、四、五秒ほど続いた。
ギャラリーがざわざわしている。ここからどうする?どう立て直す?もう一度仕切り直して、ブレイクダンス踊る?いやでも、この空気だしな。ぼくが悩んでいたら、トシさんいきなりが動き出す。ちょっと、トシさん、あんたってひとは。トシさんは、助走をつけて、走りながら大きくジャンプ、体のひねりを加えた側転を披露しようとした。結果、失敗した。手で身体を支えることができず、崩れ落ちる様に地面に落下した。
ギャラリーは失笑。もはや焼石に水だ。ぼくたちが何かしようとすればするほど、事態はどんどん悪化していく。ぼくはトシさんの手を取り、トシさんの身体を起こそうとした。ギャラリーに笑われて、ぼくたちは不機嫌だった。なんとかトシさんを立ち上がらせた時、ぼくの耳元で微かに

「おまえのせいだろ」
と、聞こえた。ここまでなら、まだ我慢できた。トシさんは、相当機嫌が悪いのか、ぼくの肩をこづいた。カチンときた。ぼくは、トシさんの肩をこづき返した。そしたら、トシさんは両腕でぼくのむなぐらを掴んできた。
ぼくもムカついていたので、トシさんのむなぐらを両腕で掴み返し、いつでもやれるぞという態度を示した。すると、トシさんは柔道家のごとく、自分の足をぼくの足を引っかけて、ぼくを地面に押し倒した。ぼくは、負けじと、右手でトシさんの顔を思いっきり殴った。トシさんは、右手でボクサーのごとく、ぼくにリバーブローをかました。すさまじく痛かった。胃の中のものが全て出てきそうだった。スタッフが慌てて、何人もぼくらを止めようと集まってきた。大乱闘だ。

 ギャラリーは、どよめきながら、ただただスマホを片手に世界的なキャラクターが二人で、殴り合っている様子をスマホに記録している。ぼくは頭に血が上り、トシさんを殴り続けていた。
ぼくとトシさんは、スタッフから一旦切り離され、社員専用口に連れ込まれた。社員専用口に連れ込まれるまでのことは、ほとんど覚えていない。もう、何がなんだかわからなくなっている。

 社員専用口に慌てて、担ぎ込まれたぼくとトシさん。ここには、やつもいた。顔が赤く硬直した夢の頭脳だ。怒りで夢の頭脳は、喋る口調が聞いたことが無いくらい早口で、何を言っているのか全く聞き取れない。とはいえ、ただ起こっているのではなく、ぼくらに罵声を浴びせていることだけはわかった。

 テーマパークで絶対使ってはいけない様な言葉ばかりだ。夢の頭脳の怒りのお言葉を聞いているうちに、ぼくはようやく落ち着いてきた。今日は色々ありすぎた。時間に換算すると、二、三時間のことだけど。
ぼくは、二度と中の人にはもどれないだろうな。というか、懲戒免職も免れないだろうな。中の人としては、ある意味、伝説を残したのではないだろうか。少年を平手打ちし、同じキャラクターで鉢合わせして、かつ仲違いして乱闘を起こす。言葉にすると、凄まじい。逆にどうやったら、ぼくは言い逃れられるのだろうか、見当もつかない。

 だからこそ、少し清々しい。最近では一番生きている気がする。ずっと、心を殺し、感情を殺し、無で世界的キャラクターである彼を演じ続けてきた。いつも、早く世界が終わればいいと思って生きてきた。演じるたびに、自分がどんどん、なくなっている気がした。

 この仕事に自分が向いていないのも知っていたけど、この仕事以外、自分に何ができるのかもわからない。だから、結局、中の人を続けるしかなかった人生。これで、よかったのかもしれない。
気づいたら、頭の頭脳の怒りに任せた、罵声や恨み言は終わっていた。トシさんの方をチラッと見る。トシさんは、正真正銘の土下座をしていた。
「本当に申し訳ございません。」
世界的キャラの風貌をした人が、土下座しながら野太い男性の声で必死に謝っている。こんなの子供には絶対見せられない。今、ぼくの目の前で、すべての夢と希望が、音を立てて崩れ去っている。
夢の頭脳も膝から崩れ落ち、土下座しているトシさんの背中を手で叩きながら
「どうすんだよぉぉ!なぁ!なんて説明すんだよ!!!?」
 と少し、涙声が混ざった口調でトシさんを詰め寄っている。トシさんはひたすら、
 「申し訳ござません。申し訳ございません。」
 と、平謝りし続けていた。トシさんには、たしか今年から大学に進学する娘さんがいる。まだまだ稼がなくちゃいけない、って言っていた。トシさんは今、職を失うわけにはいかない。この対応になるのは仕方がない。
 「君もだよ…。どうしてくれるんだ?」
 さぁ、俺の番がきた。とりあえず、頭は下げておくか。
 「一体なぜこんなことに。そもそもどうして鉢合わせなんかしたんだ…。」
 ん?違和感がある。鉢合わせの件よりも前に、一般客に手を出したことを

 咎めないか?問答無用で懲戒免職を言われても不思議じゃない。
 「急なスケジュール変更の情報が他のスタッフに行き届いていなくて、このような事態になりました。」
 ぼくは、とりあえず鉢合わせした件についてだけ回答した。
 「急なスケジュール変更があることは、今日だけじゃないはず。日頃からタイムマネージメントが緩いんじゃないか?」
 夢の頭脳に冷静に詰められる。だが、平手打ちした件は一向に触れてこない。あそこで、スマホで撮っていたような仕草の人もいた。あれがSNSなどで拡散されていたら、今、大変なことになっているはず。
 しかし、夢の頭脳はフードコートでの事件について、何も触れてこない。
 「はぁ…。ここで君たちと会話していても埒が明かない。…はいっ」
 夢の頭脳の携帯がなり、彼は携帯に出た。
 「…はい、はい。メディアへの対応ですね?承知しました。」
 おそらく、かなり上の存在から直々の電話らしい。夢の頭脳が相当畏っている。
 「私は緊急の対応がある。君たちはいつものところで私の指示はあるまで待機だ。」
 そういうと、足早に夢の頭脳は去っていった。いつものところとは、ぼくらの更衣室のことだ。
 夢の頭脳が去った後、残ったスタッフに、フードコートの件について聞いてみた。
「まさか、言ってないの?フードコートのこと」
スタッフから言いづらそうに、まさかの回答が返ってくる。
「あの人は、全部知っているよ。」
衝撃だった。夢の頭脳は、ぼくが学生に馬乗りされたこと、学生を平手打ちしたこと、全てを把握しているらしい。じゃぁ、どういうことなんだ?スタッフをさらに問い詰めた。

すると、
「あの件は、なにもない。なにも無かったことしろ、って言われた。」
 「揉み消したってこと?」
 さすがに無理じゃないか。あのフードコートに何人いたと思っているんだ?どんな手段を使っても痕跡は残るぞ。
 「あのね。あの人は学校側に掛け合って、学生の行為を完全になかったことにしてもいい。という条件を出したらしい。」
 「そんな、ところまで手を回したのか。」
 「ああ。学校側にも世間体がある。有名な私立の学校だったらしいからな。あと、“獏狩”も動いたらしい。」

 「まさか、あいつらまで使ったのか?」
 獏狩は、その名の通り夢を食べる奴らを狩る連中のこと。会社自体は存在を否定しているが、権利関係の問題や、訴訟に発展しそうな事案などで噂を耳にする。いわば夢を貪り食う連中と、秘密裏に交渉したり、いろんな手段を駆使して、問題自体なかったことにするプロ。
 
 ぼくらの会社はキャラクターのイメージが命。誰かがそれを傷つけると、世界的に影響が出てしまう。今回ぼくがやってしまった件もそうだ。それを、強引になかったことにするために獏狩まで使うとは。
 確かに、夢の頭脳はフードコートでは、最初から何もなかったかのように振る舞っていた。まるで、台本から、フードコートということば消えた様な対応だった。そう、こういう何かがなかったことをするのは、うちの会社はとても得意なんだ。
 獏狩のことは気になるが、それよりもまず
トシさんに詫びを入れないといけないな。ぼくはトシさんの元へ近寄っていったら、
 「さっきは、悪かったな」
 トシさんからぼくに向かって手を差し出してきた。ぼくはトシさんをギュッと抱きしめた。
 「トシさん、本当にすみませんでした。」
 トシさんの男気に涙が溢れてきた。手を出したのはぼくの方だったのに。
 
 やっぱり、トシさんが中の人で一番かっこいい。トシさんはぼくの背中をぽんぽんと手を当てた。
 トシさんとぼくは、夢の頭脳からお呼びがかかるまでは、更衣室で一旦待機だ。ぼくとトシさんの代役は、おそらく、今頃ほかの担当が急遽代役で出てくれているのだろう。
 「トシさん、ポーカーでもします?」
 「だな。」
 ぼくとトシさんは、スタッフに世話をかけた謝罪と対応へのお礼をして、二人で更衣室へ向かった。

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