#那須博之
[ロマンポルノ無能助監督日記・第38回] 『濡れて打つ』で監督になったばかりなのに『メイン・テーマ』の助監督かよブツブツ・・・
監督になっても「無能助監督日記」は完結出来ない・・・
助監督を6年7ヶ月やって、『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(84年2月公開)でやっと監督になったばっかりなのに・・30になる手前のギリギリ28歳6ヶ月で・・それがまだ完成0号(1/24 )の前だってのいうのに・・ダビング終わって2日後の84年1月20日、撮影所で森田組『メイン・テーマ』スタッフ顔合わせだとよ、チーフ助監督だとよ、ブツブツ・・・
一
ロマンポルノ無能助監督日記・第35回[那須さん『百合族』で山本奈津子デビュー、金子はビデオ監督後五月みどり『奥様はお固いのがお好き』チーフでホン直して監督昇進来た〜
那須博之監督『セーラー服・百合族』が公開になったのは83/6/24で、5/27に僕はスタッフでも無いのに撮影所オールラッシュに潜りこんで見ている。心配だったのだ。基本、試写室の出入りは社員なら自由だが。
前年の那須さんのデビュー作『ワイセツ家族・母と娘』は会社から散々な評判で、その後の騒動は、第23回「那須夫妻と飛んでカルカッタ」に詳しく書いたように、武田靖制作本部長から「自衛隊なら反逆罪」とま
ロマンポルノ無能助監督日記・第24回[麻吹淳子『ビニール本の女』の頃、押井守さんから「うる星やつら」読んでる?と電話アリ
ちょうど今から40年前になる1981年正月、カルカッタから那須夫妻と帰り、1/6から昨年末まで撮影していた藤井克彦監督『OL縄奴隷』のアフレコを開始、1/19には五反田の東洋現像所(現イマジカ)で0号試写で完成、五反田駅前で監督、児玉高志チーフ、秋山みよスクリプターらと正月気分が残る鍋料理となった。
城戸賞落ちた話はしたろうか・・しなかったろうな。
この作品は、根岸吉太郎監督・風祭ゆき主演『女教
ロマンポルノ無能助監督日記・第23回[那須博之夫妻と飛んでカルカッタ]
1980年が暮れようとしている。
那須博之さんは、この2年前『ハワイアンラブ・危険なハネムーン』(78年林功監督・加山麗子主演、フランキー堺も出ている)にセカンドで就き、ハワイロケに行っていて、その時の面白い話を随分と聞いた。
同じ組でスクリプターを務めた秋山みよさんが「那須は、あれもこれも、だね」と呆れて言っていた。
“あれ”は仕事、“これ”は“性”関連のコトを指す。
その那須さんが「金子くん、
ロマンポルノ無能助監督日記・第6回[『情事の方程式』撮影中・助監督の殺意とは?]
42年前のことを、これだけ詳細に書けるのだから、女優さんの美しき御姿も微細に覚えてるだろう、とか言われるかも知れないが、正直、ハダカを見てエッチなことを考える余裕なんて、無かったデス。
女優さんは、写真が残っているので、それと照らし合わせて映像的に記憶している。
ナマの記憶で覚えているのは、山口美也子さんのシャワーシーンで、テスト(リハーサル)が終わっても、ボーッと突っ立ってたらしいので、
ロマンポルノ無能助監督日記・第4回[根岸組『情事の方程式』で優秀な助監督と思い込みながら初日に忘れ物をする]
僕は、「根岸組」サードに編入されて台本をもらった。
ナゼ映画のタイトル『オリオンの殺意・情事の方程式』じゃなくて、監督の名前に「組」を付けるだけなのか、ヤクザから由来でもあるのかよ、と不思議に思ったが・・・
ひとつの撮影チームには、それぞれの「部」がある。
ロマンポルノの「組」では、「演出部」が、監督、チーフ、セカンドと続き、通常は、助監督が二人しかつかない。
「根岸組」は、セカンド那須博之