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作り手と買い手、理屈と感覚、常識と非常識、のお話。

買い手に作り手の苦労なんて分かって欲しくないの、見られたくない、こんなに苦労してこんな良いものできしましたよ、なんてかっこ悪くない?
バリューがあるかどうかジャッジする中に作り手の生み出す苦しみなんて項目は要らない、
物だけで判断でしょ、

自分はそう思う。

自分は作り手でもあるから買い手になったときにはしげしげと細かいディテールだったり工夫とか何処を拘ってるのかをシニカルな言い方をすれば『盗用』する側として見るけど、

大事にしたいのは初見の3秒くらいで欲しいと思わせる物かどうか。

実用性、機能性、コスパなんかあとで良い。

女の娘を好きになっちゃうのと同じはず。
理由も分からず惹かれてしまうのは人の感受性としてとても素直。

性格が〜、オッパイが〜、この機能が〜、使い勝手が〜、なんて理屈、ウンチクはあとで良くて、と言うかどうでも良い。

自分でもなんでか分からないけどあの娘に惹かれちゃうのをすごく大事にしたい。

理屈ばかりで世の中を見たくない。
訳もわからず惹かれる物も当然、大事にしたいんだけど、その訳もわからない物を見初める自分の感受性も大事なの。

あらかじめネットで下調べして買い物したり旅行行ったり作家の生い立ちとか下調べして鑑賞しに行ったりするじゃん。

そうじゃなくて、
予備知識も入れず計画も立てないでブラブラ素直に赴くままに見つけた何かを衝動買いしたり作家の名前も知らずバックボーンとかどんな苦労してきたかなんても知らず、頭の中がまっさらなままで観たいの。

モナリザ、バンクシー、ベーコン、クリスチャンラッセンw、とかとかもう刷り込まれてるから残念ながらもうそんな眼で観れない。

ある意味では自分の眼を試してる。
知識は幾らでも好奇心で蓄えていけるかもしれないけど感受性ってメソッド、マニュアルじゃないじゃん。

なので自分の娘には頭がまっさらなまま玉石混交に色んな物を観せたり、体験させたりしてみたい。

クリスチャンラッセンのポスターを観せたときは『スゴーイ、キレー!』って言ってた。
嫁は捨てようとしてた、笑

世の中の一般常識、カタにハマった見方しかできなくなるのはどんどん自分を不感症にさせていく。

『普通はこうだよ。』
『常識でかんがえたら〜、』
『あの人はこうしてるのにあなたはなんで〜、』

この3つの問い掛けをされるのがとても嫌だ。
社会人として大事なのは理解できてるので必要最低限の物差しで職場に馴染んでいるつもり。

でもあまりに杓子定規にマニュアル通り、いわれた通りに動くだけだと受身で何も生み出せない。
マクドナルド、サイゼリア。

世間一般の物差しはなんとなくは理解はしてるけど、

あなたの言う普通と常識と誰かとの比較、

があなたは本当に世間一般の物差し分かってるの?
って思う。

私は社会の常識を充分理解してる人間です、なんてオレは死ぬまで使わない言葉だと思う。

オレから誰かに『常識的に考えたらこうじゃん』って押しつけるような事はあんまり言わない。
言いたくない。

どこまでが常識でどこまでが非常識なんて明確な線引きないし時と場合と場所と時代によるし、そんな事をしょっちゅう言ってる人をオレは信用しない。カチコチなカタにハメられた残念な人だ。

長いな〜躁スイッチ入ってる。
作り手と買い手、理屈と感覚、常識と非常識、の話でした。

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