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日々の雑感 day54【「聞く耳」とよく頑張ったねというお話】

直前になった緊急事態宣言と全国的に荒れ模様の天気となったこのGW。

長野のお山では、今年も14件の遭難が発生し6名が命を落とすことになりました。合掌。

「ずっと計画してきた。この休みに・・」と荒天で日本アルプスに挑んでしまうとどうなるか。毎年繰り返される残念な事象です。

山だから、自然だからこそ「計画をやりぬく」という一貫性よりも、状況に適応していく「変化」への力がより求められている筈なのですが・・。

このあたりは山がある地域のPR以上に、こうした人々の考え方(マインドセット)や在り方(Being)そのものが変わっていかないとなかなか結果に結びつかないのではないか・・とも職業的に考えてしまいます。

☆「発信」は聞く耳のある人にしか届かない

命のリスクを侵して失敗した人が、こうした注意や警告をまったく知らなかった、あるいは聞いたこともなかったということはないでしょう。

そして、こうした事故や遭難があるとレッテル貼りのように高齢者層のベテラン登山者達は

「また技術のない若者が」

と主観的で裏付けのない情報を広めてしまいます。
しかし、実際には山岳事故における死者、行方不明者の8割近くが60歳以上という数字(FACT)が出ていて、今回のGWにおける14件でも30代以下は3名のみでした。

こうしたベテラン勢の「俺たちは技術があるから大丈夫」「自分は経験値が高いから問題ない」といった自己正当化の心理が事故を続発させている事は想像に難くありません。

そして、こうした自己正当化状態にある人は「聞く耳」がありません。
どんな情報に触れても、どんな声をかけられても

「俺(私)は大丈夫」

と自分を例外扱いにしてしまうからです

*参考

そして山のお話ではないのですが、似たような考え方(マインドセット)による事例として、うちの経営するまちやどでもたまにこんなことが起こります。

「連れがあとから来ます。近くまで到着次第、迎えに行きます」

と先行してチェックインをされた方。
そんな時に自分は、

「新宿から出る高速バスに乗ってさえ頂ければ問題ありません。JRなら新宿20時の特急あずさでしたらここまでJRで来れます。次の21時の最終のあずさでしたら、高速道路を使って茅野駅に拾いに行ってください」

と必ずお伝えしています。後続の方がやらかしそうなことが想像出来ているからです。しかし、そんなときほど往々にして遅れてくる後続の同行者は、話を聞いてくれません。あるいは先行者の方がその話をきちんと伝えていない事もあります。その結果・・

「東京を22時の新幹線に乗りました。長野駅まで迎えに来て!」

なんてことが起こります。

長野県は広い・・んですよ。

うちから長野駅までは高速道路をフルに使って約1時間半。往復で3時間以上かかります。23時に長野駅に着いた人を迎えに行けば、チェックインは深夜の1時です。

先行者のパートナーに3時間ドライブさせてしまうと、その距離は東京からうちまで走るのと大差ありませんので、22時に一緒に東京を出てもここに着くのは1時で変わらなかった・・ということになります。

先行者の方は一日に6時間も運転する事になるわけで、本当にお疲れ様なことになってしまいます。そう、まるで先に来た意味がなくなってしまうわけです。

「同じ長野県なんだから、とりあえず長野まで行けばいいか」

そんな後続の方の自己正当化の心は「自分の行先をきちんと調べない状態」を作り「人の話を聞かない」という状況を引き起こす。それが毎年のように違う誰かがやらかしているわけです。

悪気がなくても、先行者の方に生じる負担と体調に与える影響は翌日以降の動きにも関わってしまいます。ですので、もちろん「悪気がないからOK!」という話にもならないことは言うまでもないでしょう。

☆目的は何でしたっけ?

何の為の登山でしたっけ?
何の為の旅程でしたっけ?

実はこの自分の行動目的を自分で説明できない。
明確でない人が多いのだと思います。

日本で異常なほどに多い「Peakハンター」と呼ばれる山の登り方をしてきたのもこの世代で、そしてまた実際あった話。僕が若い世代をマーケティングの顧客候補として

「単に頂上を制するというだけではなく、温泉も入りたいし、旅として街や小さな自然も楽しんでいきたい。そんなファン層へのコンテンツを増やしましょう」

という話をしていくと、この世代が立ちはだかってくるわけです。

「山なんて車で登山口まで来て仮眠して、頂上まで行ったらそのまま帰る。それが登山だ。そんな寄り道して遊んでいくやつなんかいないよ」

と判を押したように主張されます。
まあ「あなたはね」なんですが、これも自己正当化や正常性バイアスで「自分の世界があたりまえ(標準)」ということにしたい心の働きです。

そして、こうした発言の奥にも目的があります。

「それを認めると仕事が増えちゃう(したくない、みたくない)」
「俺たちの場には、若者が来てほしくない(ので反抗する)」

といったこともあるでしょうし、山の常識を知らない若造に教えてやろうという良かれという貢献なのかもしれません。

*参考

☆聞く耳を育むことこそ、難しい課題

で、こうした状況下で正論をぶつけても、彼らの自己正当化による考え方を変えていくことは出来ないわけです。

それは、どんなにPRをしても大きく変わりません。毎年同じような事故が繰り返されることが、その事実を証明しているとも言えるでしょう。

そんな中で出来ることは何か?

結構、限られてはいるんですが、その第一として、こんな人達だと認識をしたうえで、こちら側が相手の状況や背景、感情に寄り添う事は不可欠になるでしょう。

日常のストレスや失敗を責める文化。頑張りが報われない会社、社会。その中で日々を暮らし、その日々の中で数少ない達成感や充実感を与えてくれる山という存在とそこにいる時間。

様々な背景が一人一人にあり、それはさながら漫画「岳」に出てくる遭難する登場人物もかくやというところです。

一見、理不尽にも見えますが、こちら側の目的「山で命を失ってほしくない」という事を見据え、こうした悪天候下での見切り発車を止めようと思えば、それでもそこに向き合わなくてはいけないわけです。

ですので、例えばそれでも三歩(タイトル画像 漫画「岳」の主人公)のように

「よく頑張ったね」

そんな一言を言えるかどうか。それが、聞く耳を持たない人の心に届き、その耳を開かせるきっかけになるのかもしれません。

*参考


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