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「いまさらですか?」政治家や官僚組織になぜ私達はイラっとするのか?

日本には情報力軽視、科学的思考方法軽視の風潮があった。
日本の戦略策定は、独自の風土を持つ硬直的な官僚体質の机上でのプランである。

その為に抽象的で、戦略的と言えるグランドデザインを欠くものであった。

つまり、これらの抽象的で粗雑な戦略が相応の成果を上げたように見えるのは、現場における個々の人々がそれぞれの才幹がカバーし、成果をあげてきただけである。

これはどこぞの都知事が以前に愛読と自称していた「失敗の本質」の一部要約したものです。そして、上記要約の解決策としては、

【現場での経験の蓄積が戦略、戦術に反映されるシステムがあれば、環境変化への積極的な対応策が生まれる筈だった】

と触れられています。

☆ 最後は民が泥をかぶる

しかし、当時の日本では現場の要請によるプランの変更は拒否されたし、ゆえにフィードバックは存在すらしなかったと書かれています。

机上のエリートは現場に出る努力をしなかった。組織の中では合理的な議論が通用しなかったし、状況を打開する為の選択肢もなかった(フィードバックを拒否しているので当たり前ですが)。

【ゆえに最後は、現場のものがただ戦うしか選択がなくなっていく】

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となるわけですね。脳科学者の茂木健一郎さんはTwitter

「特に、政府の対応でだいじょうぶかなと思うのは、緊急時対応計画(contingency plan)において、蓋然性の把握と、それに対する定量的な対応のセンスが感じられないことである。善意はあるのだけれども、冷静な計算がない。思いつきはあるけれども、整合性、統合性がない」

「定量的な把握、計画がなく、一種の印象論、ナイーヴな思いつきで政府が動いてしまうというのは、日本の大きな欠点で、それがこの事態で一番露わになってしまっているのかと思う」

「イギリスだけでなく、アメリカでも、患者の拡大のペースを冷静に予想し、そのために必要な病床を着々と用意し始めたり、呼吸器などの増産に直ちにとりかかる冷静な計量主義を見ていると、和牛商品券だ、旅行券だとナイーヴな思いつきを次々と打ち出す日本政府との文化の決定的な差を感じる」

と指摘されていますが、1865年頃に明治維新を迎えた日本が約40年後の日露戦争勝利をピークに劣化していったように、1945年の太平洋戦争終結から約40年後に経済成長のピークを迎え、1990年の消費税導入を契機に一気に劣化していく。

今の時代は、まさにこの「失敗の本質」を繰り返しているなぁ・と思うわけです。そう、私達は政治家や官僚組織といった肩書ではなく

「自称エリートという人々からの報われない尻ぬぐい」

のハラスメントに対し「うんざり」としているのかもしれませんね。


☆ 変化する時代に変化していく

こんな繰り返す人にならない為に。未来の我が子、我が孫達をそうしない為に、私達はどうしたらいいでしょうか?

ここではエイミー・モーリンの著作から学びましょう。

エイミーは「我が子を世界の中心にする」タイプの子供たちが抱える傾向として7つ指摘しています。

①自信過剰で攻撃的
②いくら褒められても満たされない
③人の気持ちを汲み取れない
④常に不満がある
⑤粘り強く頑張れない
⑥周りを不快にする
⑦欲望がすぐ満たされると期待している

では何がこのタイプの人を育てあげてしまったのでしょうか?
その要因として「褒め方」「叱り方」を誤ったことが指摘されています。

アドラーの「褒めない、叱らない」はまさにという所ですが、現在の考え方で言えばフィードバックをきちんとされなかったという事ともいえそうです。

というわけで今日はここまで。次回に続きます!

今週から少し短めにきっていくことにしました。いかがですか?

ではでは!

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