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日々の雑感 day55【ワクチン接種とリフレーミング】

先週は、久々にトーマス・ギロビッチ先生の本を読み返していました。
冒頭でギロビッチ先生はこう語っています(一部編集)。

「部屋の中で最も頭の良い人達。誰に聞いても非常に頭が良く、とても優秀だった。しかし、彼らの驕りや欲望や目先の利益にこだわる性質が、それを台無しにした。そのことから、彼らが決して賢明ではなかったことがはっきりとわかる。道徳的な指針をもっていなかっただけではなく、どういう目的が本当に追及する価値があるのか、どういう手法を用いればその目的を最も上手に追求できるのかを見抜く賢明さも、持ち合わせていなかったのだ」

賢明さと知能の決定的な違いは、賢明さには、人を相手にした時の洞察や実効性が求められるという点だ。知能には、そういうものは求められない

「知能とは論理的に考えて確かな結論を導く。これはまさに賢さの重要な一要素だ。しかし、賢い人はこれだけに留まらない。賢明さには、手に入る情報が目の前の問題を解くには不十分であるとうことを見抜く力も関係してくる。今は正しいことであっても、その先にはまったく違って見えるかもしれないということを理解する力も含まれる」

☆ダニエル・カーネマンの実験

ギロビッチ先生が事例として取り上げていた中で、この note でも何度か参照させて頂いているダニエル・カーネマンの実験は、こんな内容でした。

ある国が珍しい病気の発生に備えて準備をしているとしよう。
この病気によって600人の死者が出ると予想されている。

問い1
・プランAが採用されれば200人が助かると予測される。
・プランBが採用されれば、600人全員が助かる可能性が三分の一、失敗して一人も助からない可能性が三分の二。

皆さんはどちらのプランを選ぶでしょうか?

&カーネマンらは、問い1に向き合っているグループとは別の異なるグループに、問2をまた与えていました。

問2
・プランCが採用されれば、400人は死ぬだろう。
・プランDが採用されれば、誰も死なない可能性が三分の一。600人が死ぬ可能性が三分の二。

さて、先ほどプランAを選択した多数派のあなたは、今回も躊躇なくプランCを選ぶことが出来たでしょうか?

☆リスクと回避フォーカスとフレーミング

カーネマンらの実験で明らかになったのが、意思決定は「フレーミング(視点方向、その人がどの点を見ているか)」によって変化するという事象でした。

最初の問いでは、何度試してもプランAが多数派になりました。
多くの人々が200人生存できるのであれば、全員が死亡するリスクを嫌がった。「誰も助けられない」という可能性に視点をあてて、であれば200人だけでも確実に生き延びた方が良いと判断したわけです。

(これらの問いに正解、不正解はありませんので、念のため)

ところが、問2の場合では、実に78%という多数がプランD(=プランB)を選択した結果になりました。

それはなぜか?

問いの立て方が違ったために、400人を確実に失うというリスク、責任、決断を嫌い、その損失を回避する為により大きなリスクを取るという判断をしてしまったわけです。

共通しているのはいずれも多数派が回避フォーカス(何かを獲得するよりも、危機やリスクを遠ざける事を優先する)の心理的行動下にあるということ。

そのうえで「問い」の見え方が変わった(フレーミングされた)ために、違う結論を下したということでした。

これと同様に医師に対して生存率と死亡率で同じような問いを提示しても、プロの医師たちが同じように回答を変化させたそうです。

☆ワクチン反対派をこうして眺めてみる

具体的な問いがないのでより顕著に見えますが、ワクチン接種に反対する人々の論はほとんどが「死者数」「反応者数」にフォーカスしているように見えますし、個人の生存に主軸が置かれているように感じます。

医療も最後は人の自然治癒力に帰結しますので、その主張自体はフムフムと思います。ただ、冒頭でギロビッチ先生が指摘したように「目的」が違ってしまっているんだなと。

つまり「フレームが違う」と言えるわけです。

わかりやすいところですと、漫画「岳」でこんなシーンがあります。

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万が一を回避しようとする人と主人公・三歩のように99.9%大丈夫と考える人のフレームの違いは明確です。

件のコロナ接種においても、万が一でも100万回接種すれば100回、1億回接種すれば1万のアナフィラキシー・データがあり、数にフォーカスをして同じような危機があるかも・・と考えれば、そこに「回避フォーカス」が発生します。

一方で、今回のワクチンのそもそもでは、自分自身が変異株の媒体となることを抑えるために、それこそ軍事大国における「有事」の対応技術を駆使してこの短期間で、最大限の効果を生み出しうるレベルのワクチンが作られたわけです(確かに筋肉注射25mmは見た目も痛そうなんですが、個人としてはアナフィラキシー発生頻度が一万回で2.47回という他の薬剤と同程度なレベルなら受容していいなと思えます)。

三歩のように「99.9%大丈夫」と考え、自らが変異株の媒体となるリスクを避けようと考えれば接種に対して肯定的な行動をすることになるといえそうです。

☆正解よりも「態度」と「行動」

ですので、どちらが正しいかという論争をして、同調圧力の北風を吹かせようとする事は、おそらく無意味でしょう。

これは、個人の価値観に根差した、個人の選択という自由の権利に根差すものだからです。

ですので「私はこう思うからこう行動する」という表明を尊重し、自身でその行動に責任を取るという事が大事です。

世の中には「このワクチンが人類を選別する陰謀なのだ!」と言う人もいます。なるほど。確かに万が一、そういうこともどこかに可能性としてあるかもしれません。

まあ、もしその時は、その方々が人類の歴史を紡いでいってくれればいいと思います。

しかし一方で、その方々が変異株の媒体となり、今回のコロナの鎮静化を数年、数十年と遅らせるような結果になり、多くの人々の健康を阻害した場合には、やはり相応の責任をとってくれればなと思うわけです。

はい。あくまでも個人の私見ですけどね。

(例えば、東日本大震災で福島のありもしない風評被害を喧伝してきて、その責任から逃げて来たたような輩がまた湧き出てきているようですね。ただ、こういう方々にもそうする背景があり、そのコミュニティがあることを否定はしません。なので、もう迷惑をかけないで、その人たちだけの世界の中にいて下さいねと願うばかり)

ギロビッチ先生の本、おススメです!



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