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合気道ってそもそもなんぞや

「合気道ってなに?」

と聞かれるとどう答えますか。

なかなか難しい問いですよね。

技術面でいえば

・力を使わないで相手を投げる
・相手の力を利用して投げる
・男女関係なくできる武道
・関節を極めるやつ

精神面でいえば

・調和
・礼儀

などでしょうか。

でもこれって他の武道でもそうですよね。

じゃあ合気道じゃなくてもいいじゃない。

近いところだと

少林寺拳法
沖縄空手
中国拳法の内家三拳(太極拳、形意拳、八卦掌)

がパッと思いつきます。

それぞれ技術体系は違くても一個抽象度を上げると

男女関係なくできるし
相手の関節も極めるし
相手の力を利用するし
筋力には依存しないし

「合気道ってそもそもなに?」という答えにはならなそう。

創始者が違う
技術体系が違う

といえばそれまでですが、もっと踏み込んで考えてみたいところ。

ここからは現在の私の仮説なので悪しからず。

そもそも合気道とは大きく分けて二つに分かれます。

それは創始者が違うという点で二つ。

一つは植芝盛平氏が作った「合気道」

もう一つは大日本武徳会で平井稔氏が作った「合気道」

植芝盛平氏が作った合気道は現在まで大きく広がり、養神館合気道、合気会、心身統一合気道と多く派生しています。

では逆に「武徳会の合気道」を知っている方は少数派です。

私も「武徳会の合気道」と知らずに稽古していましたが、「その流派は聞いたことない」とよく言われましたね。

なぜなら「武徳会の合気道」は第二次世界大戦後、GHQにより強制解散、表舞台から姿を消すことになったから。

この「二つの合気道」、創始者は違えども実はその成り立ちに共通点があります。

創始者は合気術だけではなく、武器術も身につけていたということ。

それも踏まえた上で「合気道」を作ったということ。

特に武徳会の合気道は「武器術もできる総合武道」の前提で作られました。

ということは。

「合気道」とは無手でも、武器でも戦うことができる、「総合武道」だということ。

そしてその身体操作の根本には「武器術の理合」が多分に含まれています。

だから基本の構えで私がよく言われたのが「剣を持った時の両手の位置が基本の構えの位置だ」というのはそれが理由でしょう。

同じ持ち方で杖術の稽古もよくしていましたね。

では当時の「武器術」に関して見ていく必要があります。

武器術のうち「剣術」と仮定しましょう。

「剣術」が使われるのは主に「合戦」。

多くの人間が入り乱れる「合戦」では下がれば味方に踏み潰される危険性があります。

ゆえに前に出るしかない。

相手も死に物狂いで走ってきます。

キングダムの両軍の衝突シーンのようなもの。

合気道が「入身」を大事にしているのは、「合戦」で味方に踏み殺されず、かつ敵を倒すため、つまり生き残るため。

戦場では武器は壊れたり、奪われることもあるでしょう。

最初は槍、次は剣、小太刀、最後は無手。

それぞれ別流派を学ぶのは非常に時間と労力がかかります。

だから同じ動きで武器でも無手でも戦える武術としての「合気道」と考えています。

ということは。

現代格闘技の世界で合気道が使えないというのはある意味当然なのです。

集団戦で「下がれば味方に殺される」「止まれば相手に殺される」から「前に出る」「回転でいなす」という武器ありが前提の合気道

「リングの上」で下がれるし、「一対一」「間合いの細かい微調整」ができる前提の現代格闘技

性質があまりに違いますよね。

だからもしかしたら50対50の武器あり合戦形式となったら合気道は強いというか生き残る可能性が高いかもしれません。

だから「合気道」が現代格闘技と無手で一対一で戦うには別系統の技術が必要なのです。

でも西洋格闘技と「合気道」は性質があまりに違うため、安易に取り入れると「合気道」の要素が死にます。

「その動きをするなら合気道じゃなくてもいいじゃん」

となったらおしまい。

そのための技術体系を考えています。

一緒に研究したい方はぜひ稽古にご参加くださいね。

ではでは。

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