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合気道で「調和」「礼節」が身につく理由

「合気道でどうやって戦うのか」

一般的に考えたらちょっと怒られそうな問いではないでしょうか。

私は大学から合気道を始めましたが、今でもこの問いの答えを模索しています。

というのも、私の大学の合気道部は演武大会などの競い合うものは一切なく、あるのは年に一度の明治神宮での奉納演武のみでした。

必然、部員の多くは自分で目標を見つけるしかありません。

・入部したしなるべく来よう
・綺麗な先輩がいるから行こう
・元々やっていた流派の技を別の角度から磨こう

そんな中、私の目的は「合気道が実戦で使えることを証明したい」でした。
(入部したての頃は真ん中の動機でした笑)

武術とは「体格や力、運動神経に関係なく、力の弱い者が強い者に打ち勝つため」のものだし、

合気道も元々武術であるという性質上、実戦で使われてきたもの。

合気道の武術としての原点を追求していきたい、と思ったのです。

この記事でお話したのですが

合気道でよく言われる「調和・礼節」という精神は、実戦の中で合気道を使う内に自然と体感するに至った感覚なのでしょう。

実際に合気道の技を決めようと思ったら「対立心を持たないこと」というのは体感覚でわかるものです。

なぜなら「対立心」を持つということは「敵意」や「闘争心」を持つことになり、それは身体と精神を「闘争状態」に移行させます。

「闘争状態」になれば心拍数が上がるため呼吸も浅くなり、相手の攻撃に素早く反応するために視野は狭くなり、防御反応として背中と肩を丸め急所を守る姿勢になります。

この状態になると、体はどうしても力みやすくなり、ある意味動物的になってしまうということです。

ということは筋力依存になるため、身体能力に勝る相手に打ち勝つことは難しくなるということ。

合気道の技が決まらない原因は「対立心から生まれる力み」が相手に伝わり、抵抗されたり避けられたりと反応されてしまうからです。

合気道なんて投げ技ですしそれはより強く相手に伝わります。

だから「筋力依存」から脱却するために「調和、礼節」という精神を持つことは、体が無用に力むことを防ぐ上で必要になってきます。

他にも当然理由はありますよ。

そもそも敵を作らないようにするために「争わない精神を持つ」など。

どんなに強くでも争いを続ければ恨まれて闇討ちをされたり、身内を狙われかねませんから。

なら争わずに相手と友達になることで味方にしてしまおうということですね。

この二つの要因から「調和」「礼節」が重要だと言われると私は考えています。

ではこの「調和」「礼節」という精神をどう得るのかが最も重要な課題。

それを体感するためには「実戦」に近い形での稽古が必要なのではないか?ということです。

「実戦に近い稽古」とは何か。

相手は避けるし、防ぐし、抵抗するし、反撃してくるし、追撃してくるしと、どんな攻撃をしてくるかわからないということ。

相手が手刀しかしてこないのが分かっているならそりゃあリラックスして捌けますよね。

けど仮に同じ稽古だったとしても、受け流してもタイミングがずれ、相手の体勢を崩しきれずにまた打ち掛かってくる、みたいな稽古が必要なのです。

突きがフェイントで死角からハイキックが飛んできたら自分の体はどんな反応をするのか。

その中で自分の「体」と「心」の状態と向き合っていくことで心身ともに成長していくのではないでしょうか。

もちろん安全には注意して行いますけどね。

だから私は「合気道を実戦で使うには?」という視点で稽古をすることで、一周回って「調和」「礼節」という合気道の精神が身につくだろうと考えています。

ではでは。

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