見出し画像

死角からハイキックされてビビりました

大学に入ってから始めた合気道。

大学卒業後、警察官になり、合気道指導員研修にも行きました。

その中で感じてきた「違和感」。

「この稽古は自分の目的に合っているのか?」

例えば大学時代の合気道をする目的は

「もっと合気道をうまくなりたい」
「合気道で強くなりたい」
「技をちゃんと決められるようになりたい」

という、じっくりと長く深めていくような感じ。

だから「こうしたら技が決まるのでは?」と仮説を立てては稽古で実験を繰り返していました。

だから毎日何も考えずに稽古を続けると思考する暇がないため変化がなく、

1日おきに稽古をするとじっくり考える時間があるため稽古で一気に上達することも。

合気道部の稽古内では解決できない場合は

中国拳法
少林寺拳法
軍隊式格闘技
シラット
システマ
空手
剣術

などの本やYouTubeを読んで家で練習をしたり。

これにより大学4年生になる頃に一気に爆発し、部内でも一目置かれる技術を持つに至りました。

あくまで学生内ではありますけどね。

しかし、大学卒業後、警察になり、合気道の指導員になってから違和感を覚えることが増えました。

警察官としては現場で犯人を取り抑える時に怪我をしないように武術を学びます。

だから私の合気道も「現場で使えること」に意識した稽古内容にしていました。

そう考えると「道」ではなく「術」の方がいいかも。

ただそれに対して「身につけたい!」という人はほとんどいなかったのです。

いたのは後輩で2人ぐらいですね。

その2人は「警察官として現場に出た時に受傷したくないので教えてください!」と休日の午前中に2時間も一緒に稽古をしていました。

その後、お昼を一緒に食べに行くというお決まりの流れ。

だからその2人以外の人と稽古をすると違和感のみ。

ではこの違和感はどこから来るのか?

それこそが「どんな目的を持っているのか」です。

言い方を変えれば「何故それをやるのか」

「武術をする目的は何なのか」

「何故武術を身につけたいのか」

武術は本来、身体能力で劣る人が、身体能力に優れている人間に対して対抗するための工夫を重ねた身体操法だと考えています。

だから根本的に必要なのは

「強くなりたい」
「死にたくない」
「生きたい」
「弱いままでいたくない」

という執念や渇望とも言えるかもしれません。

私の稽古会に継続的に来る方は女性が多いのですが、みなさん心の奥に少なからずこれがあるような気がしています。

それこそが本来の武術を身につける根源的な動機でしょう。

だから根源的な動機を持たないまま稽古をすると、武術的の意味合いから外れていってしまうかもしれません。

その先に辿り着いたのが「競技性」です。

現代において武術の根源的な動機を持つ人は稀ですから、競技性を追求していくことは当然のことでしょう。

ただ競技性が強くなるとルールが出てきます。

そのルールの内容によっては身体能力が高い人が勝ちやすくなったりもするので、私には無理。

運動神経壊滅ですもん。

中高と体育の成績2の私にはルールで縛られた競技の中でやっていくのは本当に無理。

身体能力では完全に弱者。

だからこそ「武術」にどハマりしているのでしょうね。

だから重要なのは

「どんな目的でその武術(武道)をするのか」

そして

「目的に合った稽古をしている場所を見つける」

という2点。

それができないとその違和感を抱えながら稽古をしていくのでしんどくなりました。

だから自分が満足する稽古をしたいなら自分がそんな場所を作ればいいじゃない。

最近の稽古では合気道経験者の人や空手経験者の人がいたり。

お二人とも女性です。

この間は組手をしていたら空手経験者の方に死角からハイキックされてマジでビビりましたし、学びになりました。

お互いに学びがある稽古会。

縦ではなく、横。

トップダウンではなく、円。

そんな緩さもある場所にしていこうと思うところ。

では!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?