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『年収が2倍になると人は何%幸福度が増すのか?』 の問いで語られるストーリーの裏に見落とされがちな点

いくらお金を持っていれば人は幸福になれるのか、そして実際に自分の年収が上がったとき幸福度はどれくらい高まるのか?というのは永遠の問いかと思います。

一般的に言われている研究結果は次のとおりです。
カナダのブリティッシュコロンビア大学のエリザベス・ダン准教授とアメリカのハーバードビジネススクールのマイケル・ノートン教授の共同研究によると、年収が2倍になったときの幸福度の上昇率は、9%なのだそうです。

おそらくこれを聞いた人の多くは、思ったより低い!と思ったのではないでしょうか。私も同様の感覚を持ちました。

多くの場合、この類の話が使われるのはこんな文脈ではないでしょうか。

『一般的に多くの人はお金が自分の幸福に寄与する度合いを高く見積もっているので、お金があれば自分はもっと幸せになれると思っている。しかし、年収を増やそうということは、それ相応の時間的・エネルギー的コストを支払っているため犠牲にしているものが多く、必ずしも幸せには繋がらない。また、お金によって金額の高いモノを買うことができても、さらに高いものが欲しくなるなど、その欲求は満たされることがないため、モノやお金は人を幸せにしない。人が幸福を感じる瞬間を振り返ると、チームで勝利を勝ちとった部活の思い出や、大切な人と旅行した思い出など、お金では買えないかけがえのない経験だ』

そうすると、この後に来るメッセージとしては、「人はお金があれば幸せになれるわけではない。幸せとはお金では買えないかけがえのないものである」という着地になることが多いのではないでしょうか。

私はこの既定路線のストーリーについて、1つ重要な点が見落とされがちであると思います。それは、”お金では買えない経験や体験”を得るためにはお金が必要であるという点が考慮されているのか?という点です。

確かに、人が最終的に幸福を感じる瞬間が、上記で書いたような経験や体験といったかけがえのないものであることには完全に同意します。しかしそのような、自分を幸福にするための経験や体験をデザインしようとすると、多くの場合お金が必須のツールとなります。もう少し正確にいうと、お金というツールを元手にそれを効果的に活用することで、自分の幸福度を高めるための経験や体験をデザインすることが十分に可能であり、その元手は使い方を間違えなければ多いにこしたことがないと私は考えています。

経験や体験に重きを置いている人であれば、一流に触れる経験のためにお金を使うこともできますし、移動コストに対してお金を使えば、時間をお金で買うこともできます。自分が共感する何かを成し遂げようとしている人に投資をして、一緒に夢を叶えることもできるかもしれません。

お金があれば即ち幸福になれると言っているわけではありません。お金が増えれば増えるほど幸福度が増すと言っているわけでもありません。
お金=ツールと書いたのが私が重要だと考えている点です。お金は価値交換のための1つのツールに過ぎないとすると、大切なのはお金というツールをいかに効果的に自分の真の幸福につながることに交換できるかということだと思います。

ここまで書いてきましたが、つまるところ、その人にとっての「幸福とは何か」という問いに帰結すると思います。その人が何を真の幸福と定義するかによって、ツールとして必要なお金の量は変わってくると思います。

小さな家具を1つ組み立てるのには手動のドライバーで十分ですが、家を建てようとしたら大型の電動ドライバーがなければ歯が立ちません。

自分が一人で消費や浪費で得られる幸福を限度とすれば、ある程度のお金があれば十分でしょう。(一般的に年収800万円を超えると、幸福度が低減すると言われているのはこのためです)
しかし、お金を使ってもっと魅力的でワクワクすることができる可能性を「ある程度のお金」で制限してしまうのは勿体無い気がしてならないのです。

実は偉そうに語りながら、私もかつては、どちらかというとお金はそれなりあれは十分でしょうと思っていました。
しかしここ数年、お金について真剣に考えた時に、ツールとしてのお金を効果的に使うことで、知らない世界を見に行ったり新たな挑戦のための元手としたり、もっとワクワクとしたことができるのではないかと考えると、お金を作ることに貪欲になることは全くおかしなことではないと思い始めました。

せっかくの人生なので、家具を作るのもいいけれど、せっかくなら家を建てたいと思うわけです。

それではまた。

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