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居場所とはなにか?

こどもたちのためにどういう居場所を作るべきか。そしてどんな居場所にしていきたいか。

「辛いな」と思ったときにふと思い出せる場所。

私は昨年の7月に足立区に駄菓子屋を学生の仲間と一緒に立ち上げました。もう一年が経ちます。多くの方のご支援があり、そしてこどもたちが来てくれる場所になりました。本当にありがたいことです。

そんな駄菓子屋に毎日のようにいて、どういう居場所であるべきかということを本当によく考えるようになりました。

まず大前提として、私が運営している駄菓子屋で大事にしていることをあげます。
・こどもたちが自分の意志で来られるということ
・何をしてもいいし何をしなくてもいい「ただいるだけでいい」場所であること
・一定の距離感をもって話すことができる関係性を保つこと
・バックグラウンドなど誰でも来られること。そして誰が来ても否定しないような文化がこどもたちの間にもメンバーの間にも根付いていること
・こどもたちが主役。学生はサポートをする立場であること

今回は、「誰でも来られる」ということを掘り下げて考えていきたいと思います。

「誰でも」の意味。
それは二つあると考えています。
一つは、文字通り、貧困家庭の子も、裕福な家庭の子も、外国ルーツの子もどんな子もふらっと来ることができる場所。
もう一つは、いろいろな関わり方があっていい場所。毎日来たっていいし、週に一回くる、本当に気が向いたときにだけくる。月に一回だけくる。などなど。。

どんな関わり方でも認められる、そして常連の子たちだけが大事にされる環境ではない場所。どんな子が久しぶりに来ても、そこはオープンに入りやすい場所。ふと、あのお兄さんは元気にしているかな??会いたいなと思ったときに立ち寄れる場所でありたいなと思います。

いつでもどんな時でも相談ができたりすることがとても大きな要因だと思います。どうしても人間は深く入り込めば入り込むほど人間関係という大きな問題にぶち当たりますから、そういうときに話せる人、吐き出せる人、これがいないとどんどん自分の中に負の感情を溜めていってしまいます。
悩みなど大半が人間関係のもので、それで辛い感情になる人もとても多いのではないかと思うのです。

自分も割と自己肯定感がこの一年間であがりましたが、それでも無性に誰でもいいから今の苦しさを話したくなる時があります。
「誰に相談しようか、、、誰だったら電話出てくれるかな、、」

でも、いろいろな考えが頭の中を渦巻きます。
「今忙しいだろうな、、」
「こんなに急に電話したいっていったら引かれるかな、、」
「このことを相談したら変に思われるかも、馬鹿にされるかもしれない」
「いきなり電話するなんて失礼だよな、」
などなど。結局電話できずにYoutubeを身漁ってひとまず心の安寧を求めます。。
結果的に、僕にはまだそれ以外にたくさんの人が支えてくれているから、なんとかなることが多いですが、そういう居場所がない子たちはどうでしょうか。それは小さなこどもたちのみならず、若者たちもそうではないかと思います。

そういう時、どんな居場所が必要なのか。
「ただその存在を認めてくれる人」「絶対に話を聴き続けてくれる人」「場合によっては改善策まで提示してくれる人」
自分が求めていることに対して全力で向き合ってくれる人を誰もが求めているのではないかと感じます。

それは誰が当てはまるかわかりません。自分のことをもとめてくれる人もいれば、自分が話しずらいがために、その対象にならないこともあります。
話しずらいというのは、性格だけではなく、立場や関係性に大きく依存しますから、一概にこうとは言い切れるものではないかなと思います。

でも、これだけは確かだと思うことがあります。「ただただ自分のことを全肯定してくれる人」これを誰もが求めているということです。
そしてそれがいつでもどんな時でもしんどいときに求められること。これが「居場所」なのではないでしょうか。

人間、「辛い」と思ったときに一番「居場所」を求めます。ここでいう「居場所」というのは物理的な場所ではなく、心理的な居場所、もっとわかりやすく言うならば「人」を指します。そういった辛いとき、何も考えないけれどふと頭に浮かぶ人。「ああ、あのときたくさん話をきいてくれたなぁ、ただただ肯定してくれたお兄さんやお姉さんがいたなぁ。」この感覚を通常時に与えてあげられるかどうかが大切です。それを日常的に作ることが、いざ「辛い」となったときに居場所になりうるのです。

こどもたちがふとそう思ったとき、ぱっと思いつく存在になれるように。そのために日々こどもたちと遊ぶのです。その日々の積み重ねがあることで、辛いと感じたときの選択肢になると思っています。

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