見出し画像

なぜノキアは倒産の危機から復活できたのか?

ノキアという企業があります。ほんの10数年前までは、世界最強の携帯電話メーカーで、「北欧の巨人」、「フィンランドの奇跡」とも呼ばれていました。ガラケー時代の覇者だったのです。

しかし、スマホシフトに失敗したノキアは、あっという間に倒産の危機に追い込まれます。復活のためにノキアが採った秘策は「本業の売却」でした。今回はノキアの復活ストーリーについてまとめてみます。

4年で時価総額の90%が消失

ノキアとアップルの時価総額

上記はノキアとアップルの時価総額の推移を示したグラフです。iPhoneが発売された直後の2008年、両社の時価総額は拮抗していました。ところが、スマホシフトの影響によりその後数年で、ノキアの時価総額は急落します。

わずか数年の間に、ノキアの時価総額の90%が消失したのです。

世間ではしきりにノキアの倒産危機が報じられました。なぜこれだけの世界的大企業がたった数年で衰退してしまったのでしょうか。結論として、携帯電話市場の競争のルールが変わったことが原因でした。

スマホがもたらしたゲームチェンジ

ノキアの失敗

従来の携帯電話市場は、優れたデバイスを製造すれば勝ちというシンプルなルールでした。2008年当時、ノキアはマーケットシェア40%超を握るマーケットリーダーでした。規模を活かして更にデバイスを進化させ、他の追随を許さない圧倒的な存在になっていたのです。

ところが、スマホの登場によりゲームチェンジが起こりました。競争力の源泉はハードウェアからソフトウェアに移ったのです。もはや優秀なデバイスは、競争優位をもたらさなくなったのです。

プラットフォームはデバイスの奴隷?

スマホの登場により、どんなに良いデバイスがあったとしても、面白いアプリが揃っていなければ消費者からは選ばれなくなったというわけです。そこを見誤ったのがノキアが凋落した理由でした。

ノキアのリスト・シラスマ会長は、『NOKIA 復活の軌跡』の中で次のように語ります。

ノキアは依然としてOSをモバイル世界の主ではなくデバイスの奴隷だと考えていた。ソフトウェアの上位にハードウェアを位置づけることは、シンプルな携帯電話であれば適切なアプローチだ。しかし、スマートフォン時代になって、状況は変わった。今や、ソフトウェア、特にOSというプラットフォームが競争力を規定するようになっていたのだ。

携帯電話メーカーの王者ノキアには、ハードウェアの専門家が大勢いました。しかし、アプリとソフトウェアの世界で必要な専門知識を備えたエンジニアが決定的に不足していたのです。

本業の携帯電話事業をマイクロソフトに売却

携帯・スマホメーカーの利益シェアの推移

上記は携帯電話メーカーの利益ベースのマーケットシェアを示したグラフです。ハイエンド市場を押さえたアップルが圧倒的なポジションを確立していったことがよく分かります。

スマホ登場によるゲームチェンジで「負け組」に転落したノキアは、復活の道を探ります。独自OSの開発や、マイクロソフトとの提携によるウィンドウズフォンの発売にも着手したもののなかなか芽が出ない状況が続きます。

これを受けノキアのシラスマ会長は、ついに本業の売却を検討し始めます。

われわれが自信を持って発売した新製品「ルミア920」の売り上げが、目標数値に達する前に減り始めた。私はスマホビジネスはもううまくいかないと悟り、その瞬間にマイクロソフトへの事業売却が最優先事項に変わった。

マイクロソフトへの携帯電話事業の売却は波乱続きでした。買収金額を巡って両社に大きな隔たりが生じたり、トップ同士で合意した買収契約の内容がマイクロソフト側の取締役会で否決されたりと多くの困難がありました。

それでも粘り強く交渉を続け、2014年の4月に、遂に携帯電話事業の売却が完了します。そして本業を失ったノキアは、通信機器ビジネスに注力することを決めます。

通信機器ビジネスで業績回復

ノキアのセグメント別売上シェア

ノキアは、いまや売上の8割を通信機器ビジネスから上げています。かつては売上の9割を携帯電話事業が占めていたことを考えると、隔世の感があります。事業ポートフォリオが完全に入れ替わったわけです。

ノキアは、いまや5G時代のキープレイヤーと称されるまでになりました。

企業の再建の為には本業の売却をもいとわないという姿勢は、多くの日本企業にとっても学ぶ部分が多く、まさにコーポレートトランスフォーメーション(CX)の典型的な事例と言えます。

今回は以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?