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自分のくらしを"くらしてみる"

わたしたちのサイトでは、
色んな地域にくらす方に、その人目線の写真を撮ってもらい、その写真をもとに記事化することで、サイトを訪れた人に"くらしを疑似体験"してもらうという試みをしている。

詳しくは↓ 

 色んな地域、職業の方に協力頂いて記事にしているのだが、私たちメンバー自身のくらしも同じように記事化して公開するようにしている。
これは、ひとつにはメンバーの自己紹介的な意味合い
そしてもうひとつは、写真撮影から記事公開までにどんなことが起こりうるかを自分たちで実際に体験してみるという実証実験的な意味合いがある。

協力して頂いた方々に、
"自分のくらしを客観視してみて、いろんなことに気付いた"
とよく言われるのだけど、わたしたち自身も同じように、それぞれに思ってもなかった発見があった。
今回は、僕katoottoが記事を書くなかで考えたことを記してみたいと思う。



青っぽいサムネイル

僕たちのサイトでは、協力頂く方にある程度自由にくらしの写真を撮ってもらっている。そうすることで、写真全体にその人の個性や地域性が自然と表れれば面白いと思ったからだ。
実際、写真を現像するとこういうサムネイルが付いてくるのだけど、その色合いがそれぞれ違って見るたびに面白い。


僕も撮影をしている期間中、あまり考えずにくらしの中でふと気になったものを写したのだが、写真を現像してみるとサムネイルがなぜか青っぽい。そして、メンバーにくらしのどんな場面の写真かを説明しながら、自分がやたらと空に執着していることに気が付いた。



自分的スタンダード空間 

考えるとそれは、くらしのなかでの"ふとした"が、空がみえる瞬間に偏っているということ。

通勤の途中の建物の間からみえる空。
乗り換えの二子玉川の駅からみえる空。
地下鉄を降りて、会社最寄駅の地上に出たときに見えるビルの隙間の空。

日常のなかの様々なタイミングで、空をみて何かを感じながらくらしているということ。

この理由はいうまでもなく、通勤の地下鉄での満員電車からの解放感からだと思うのだが、
もうひとつ考えられるのは、自分の生まれ育った街との比較のなかで風景を認識しているということだ。函館については前に少し書いたけれど、僕の実家は函館の中でも街の周縁部にあって、山に接しているようなところだったので、高い建物もなく、いつも大きく空が見えていた。

サイトをやっていてもよく思うのだけど、生まれ育った環境が自分のスタンダードになっていて、
当たり前だったものが、当たり前に享受できなくなるということで、ストレスを感じるということが割合多い。
僕自身は、狭い空間にストレスを感じやすいのだけど、それを知り合いに言ったところ、彼は団地で生まれ育って狭い空間に慣れているせいか、特にストレスを感じないと言っていて、なるほどと思ったことがある。


意外に楽しんでいる

そしてもうひとつ、自分のくらしを記事にしてみて気付いたことは、意外に今のくらしを楽しんでいるということ。そもそも僕自身の東京でのくらしへの違和感がきっかけとなってこのサイトをはじめたのだけど、自分のくらしをメンバーに説明しているときにメンバーに、"楽しそうなくらしだね”と言われ、僕は今のくらしに窮屈さしか感じないと思っていたので不思議な感じがした。
これは、現状にはネガティブに感じやすいけれど、俯瞰したり、あとで振り返ってみると実はよかったと思うような心情的な問題があると思う。
確かに函館にくらしているときには、それはそれでまた別の違和感を感じながらくらしていたことを思い出した。


選択の重要性

もう少し空間的にくらしを捉えてみると、
この時点で僕自身が東京でのくらし方を習得しはじめていたという風にも考えられると思う。このサイトをやっていて東京にくらしている方にも何人か登場してもらったのだが、東京には本当に色んな表情がある。少し歩くとまったく別の街のように表情がガラッと変わるという、空間の急激な変化が東京の一つの特徴だと思う。

東京に慣れていない頃はよくわからなかったけど、
東京に長くいる人は、自然とそういう風に自分の心地よくいられる東京を選択しながら、くらしている感じがする。

これはもっと具体的に考えると、どこかに行く時のルートの選択、街に出たときに入る店の選択、または住む家の立地や空間の選択が、自分のくらしのかたちに大きく影響を与えるということだ。
そしてそれは、大抵お金を支払えば良い空間が得られるという、ある意味ではとてもわかりやすいシステムになっているということ。
とすると、やはり東京は個人主義的な空間の使われ方が多くて、地方と比べると、そういうところが東京というか都会の特徴であるかもしれないと、自分のくらしを眺めながら感じた。


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