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素晴らしき社員旅行(短編小説;6,500文字)

「みんなで《社員旅行》に行こう!」
 不思議なほど明るい声で言ったのは、社長だった。
 けれど、それを聞いた社員の顔はこわばったままだった。いや、一層・・こわばった、というのが正確な表現だろう。
 なぜなら、彼はその提案の直前、急遽集められた全社員を前に、こう告げていたからだ。
「昨年来、会社の資金繰りはかなり厳しくなっていたが、このままでは間違いなく潰れる。そこで、倒産に先回りして廃業することにした」
 社長は『先回り』の部分で、なぜか少し胸を張ったように見えた。

「明日朝10時に、全社員を講堂に集めておいてくれ」
 社長から指示を受けたのは、昨夜遅くだった。理由を聞いても教えてくれない。
 翌朝、部下全員に連絡したが、何のためです、と聞かれても、さあな、としか言いようがなかった。
 そもそも講堂って一体どこなんです、聞いたことも見たこともありませんが、と尋ねた者もいた。
「……さあな」
 しかし、俺はこの会社でただひとりの中間管理職だ。伝言を正確に実行するのが役目である。『パイプ役』という言葉があるが、パイプは中空だ。社長の言葉をそのまま伝えるしかない。

 社員旅行に行こう! ── 社長が言うや否や、
「そんな金がどこにあるのよ!」
 金切り声で叫んだのは、専務だった。専務といっても社長の奥さんだ。けれど、経理、というよりはゼニ勘定を、裏も表も全て取り仕切っているのはこの専務なので、社員の顔はさらにこわばった、いや、半数近くは蒼ざめた。
 社長の気紛れな朝令暮改は話半分に聞く習慣が身についている一同だったが、経理のおかみさんが言うんだから、相当悪いんだろうな ── 誰しもがそう思った。
まかさんかい! 俺にいい考えがあるんだ!」 
 社長は専務に向かって強がってみせた。
(この男に経営を任せたためにこうなった……)
 俺は思ったが、もちろん口には出さなかった。
 しかし、
「あんたに社長を任せたから、こうなったんじゃないの!」
 専務は容赦無かった。
「おお!」
 社員一同、畏敬いけいをこめてこのオバハンの横顔を見た。
(……オバハンが社長だったら、もう少しなんとかなったかもしれん)

「ウチ、本当に、そんなに ── 悪いの?」
 呑気のんきな声で尋ねたのは、常務だった。常務といっても、社長と専務オバハンの間に生まれた今年30になるドラ息子である。
 町の青年会議所に入り浸って酒を飲むことだけを楽しみに生きている御曹司の、あまりにも素朴なこの質問に、社員だけでなく、社長も専務オバハンも、悲し気に互いの顔を見合わせた。
(なるほど……『現在』だけでなく、『将来』に対する悲観も、会社整理の要因らしい)
 これで、誰もが納得した。

 俺が『開発部長』兼・『製造部長』兼・『品質保証部長』を務める全安ぜんあん工業は、典型的な零細同族企業で、経営陣は家族3人、従業員が13人、俺以外は全員ヒラ社員だ。
 会社というのは、いかに小さくとも、責任や権限を分担しないと回っていかない。
「誰か、課長になりたい者はいるか? 部長でもいいぞ!」
 ある時、社長が社員全員を集め、バナナのたたき売りのように言い放ったが、前に進み出る者はいなかった。
「誰でもいいんだぞ!」
 と続けたが、互いに顔を見合わせ、肩をすくめただけだった。
「みんな、欲がないなあ!」
 呆れたように社長がこぼしたが、もちろんそうではない。
 ただひとりの中間管理職である俺が、社長の命を受けてひとりずつ口説いた時も、誰ひとり役職になど関心を示さなかった。
「役職手当ったって、スズメの涙でしょ? 責任だけ押し付けられちゃ、迷惑ですよ」
「部長みたいに残業手当も出ないで夜遅くまで働かされたり、得意先回りさせられるのなんかごめんです」
「部長を見てたら、とてもとても‥‥」
 憐れむように俺を見て、首を横に振るのだった。

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