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『特別のひと』

NHKに受信料を払う価値があるかどうかは、どれほどその局発の番組を観ているか ── といっても、おそらく『量』ではなく『質』として ── つまり、どれくらい楽しめているかに依存するのでしょう。
私にとって受信料を払う価値があると感じる番組があるとすれば、その筆頭が、以前、ほぼ毎回心を動かされるため録画した番組を消すことができない、と書いた『映像の世紀 バタフライエフェクト』です。
家族的には異論もあるでしょうが、個人的には、大河ドラマや朝ドラより大きなポイントを稼いでいます。

昨年暮れ(12/30)に録画した『ビートルズとロックの革命』を年が明けてから観ていました。

このシリーズがビートルズを登場させるのは、タイトルに入っていない回も含めて3度目か4度目になるけれど、この4人が(ブライアン・エプスタインも含めれば5人が)いかに世界に ── 音楽だけでなく、文化、政治、個人の価値観や生き方にまで ── 影響を与えたことをまとめた総集編的な回だった。
もちろん、観終わった後も録画は消していない。

初めてビートルズを聴いた時の衝撃について、そして、その衝撃がいかに自分の人生を変えたかについて、ミック・ジャガー、ブルース・スプリングスティーン、スティングなど多くのアーティストが語った。
米国南部でのコンサートで人種差別前提の観客席設置を拒否したことが差別撤廃に与えた影響についても綴られた。
旧ソ連が支配する地域へのビートルズ・ミュージックの浸透が、体制変革に向かうバタフライ風となったことにも触れられた。

この番組を観ながら、浮かんだフレーズが、

《特別のひと》

この言葉は通常、
『自分にとってとても大切なひと』
に使われることが多いと思う。

── かけがえのない恋人だったり、
── 尊敬する恩師だったり、
── 実際に自分を育ててくれた人だったり。

でも、その時思ったのは、

『大切な人』ではないけれど、その人のある行為が自分の人生にとってとても重要だったこと

が過去にあった時、その人を

《特別のひと》

ととらえることもある、ということでした。

まあ、禅問答みたいなことばかり書いていても進まないので、その時に想った対象を具体的に言うと、

初めて『ビートルズ』を紹介してくれたひと ── です。

中学2年でした。
誰しもクラス替えごとに『当たり/外れ』で一喜一憂する ── それは必ずしも環境のせいばかりではなく、自分自身の気質の変化や適応力にも依存したりするのですが。
この学年は個人的にはかなりHappyな1年で、それはおそらく、仲がいい(いじられることも多かったけれど)女の子がクラスに何人かいたことが関係していると思う。

昔のことなのではっきりとは憶えていないけれど、休み時間にビートルズの解散が話題になっていた時。
ある女の子が、
「え、タニくん、聴いたことないの? すっごくいいよ! レコード貸してあげようか?」
と言った。
その年の3月に発売された日本盤シングル『レット・イット・ビー』を彼女に借り、さらに前年発売の『ゲット・バック』を借りた(いずれもジャケット上の記述)。
この年、ビートルズは実質的に解散した。

これをきっかけにビートルズのアルバムを買い始めた。
やがてアコースティック・ギターとエレキベースも手に入れ、楽譜を見ながら好きな曲をたどり始めた。
ほとんど忘れているけれど、『Let it be』のピアノ伴奏と『All my loving』のベースコードなら今でも弾ける。

『Let it be』『Get back』── 2枚のドーナツ盤を貸してくれた同級生は、今ももちろん、名前も顔も、それこそ体形だって明確に憶えている ── 私の人生にとって、やはり『特別の人』だった。

誰にでも、人生に何人か『特別の人』がいるはず。

私の場合は、中学1年の国語授業で課題に『創作民話』を出し、できあがった作品をほめてくれた先生もそのひとり:

昨年の秋、中学2年の同級生♀と偶然再会し、クラスメイトの何人かについて、想い出や、その後どうしているかなどの話題になった。
その時にやはり、『Let it be』と『Get back』を貸してくれた例の女の子を話題に出し、
「だから、彼女はボクにとって『重要人物』なんだ」
と表現した。

でもやはり、『ビートルズとロックの革命』を観た後ならばこう言いたい:

「彼女はボクにとって『特別のひと』なんだ」

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高校時代の『特別のひと』は……

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