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守りの対話~サードスペースとしての寺、カフェ~オープンダイアローグから創造する新しい医療(5)

 こんにちは、天体観測して撮った写真が綺麗過ぎて合成を疑われた研修医ShunIshikawaです。

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※本編とはなんの関係もありません。シェアしたかっただけです。

さて、オープンダイアローグに関する連載も5回目になりました。

第一回はオープンダイアローグとはそもそも何かというお話でした。

第二回は、救急科での経験からオープンダイアローグのニーズは救急医療においてもありそうだというお話をしました。

第三回は、また基本に戻って、そもそも対話ってなんだろうという話を深めていきました。

第四回は、対話の場、対話が出来るコミュニティはたくさんあった方が良い。その一例として春日部のサブスク農園Coltivateを紹介しました。

そして、第五回は、前回紹介しきれなかった、対話の場、対話が出来るコミュニティとしてのお寺、カフェの魅力についてお話ししていきます。

 サードスペース、寺社仏閣の魅力、カフェについては、以前も記事にしましたが、長いし難しいと評判だったので、改めてコンパクトに書き直して行こうと思います。趣旨はほぼ同様です。

こんな人に読んでもらいたい

★オープンダイアローグの実践の事例について一緒に考えてくれる人
★これからコミュニティ形成や居場所づくりをしようと考えている人
★寺として新たな活動を始めていきたいと考えている住職さん
★カフェのイベントやコミュニティ形成を考えているオーナーさん

★新しい医療のかたちを一緒に考えてくれる人

サードスペースとしてのお寺の魅力

 連載中くり返しくり返しお話している内容で恐縮ですが、職場や家庭以外にも複数のコミュニティ、居場所、対話が出来る環境があることは豊かに生きていく、心穏やかに生きていく上で大切なポイントになると考えています。そういった居場所として、地域のお寺が魅力的なのではないかというお話を進めていきます。

癒やしの場の力

 皆さんはお寺や神社にどんな印象を持っているでしょうか。初詣や旅行、観光などでお寺や神社に訪れるという方は少なくないように思います。パワースポットという言葉がありますが、そういった聖域には何となく気持ちがスッキリしたり、身体が軽くなるような力があるような気がします。

 そんな場の力について、稲葉俊郎先生という軽井沢病院総合診療科医長でありながら能などの伝統芸能、芸術にも精通していらっしゃる方の書籍「いのちはのちのいのちへ」より引用します。


 もともと、寺社仏閣が経っている場所は、植物や木が生き生きとした生命力に満ちた場を発見したことに始まったのだろうし、場を守り、場を保ち伝えるために鎮守の森として大切にしてきた場が神社・寺などの聖域と呼ばれ、受け継がれてきた。
 自然の力は私たちの「からだ」や「こころ」、「いのち」の力を呼びさまして、眠れる無意識を活性化させる。自然が持つ奥深い力の働きの一環として、体や心はゆるみ、和らぎ、伸びやかになり、大いなる生命に守られているようで安心する。
 稲葉俊郎,新しい医療のかたち いのちは のちの いのちへ,アノニマススタジオ,2020

 作中では、稲葉俊郎先生はこのような「自然に体や心がゆるんでしまう場」として、温泉、銭湯、寺を例示しています。このように、場所自体に癒やしの効果があるというのはお寺の特徴的な魅力です。

地元社会に根付く居場所としてのお寺

 旅行などで寺や神社をふらっと訪れることこそあれど、地元のお寺に通う習慣がある方は年配の方ではあるかもしれませんが、20代の僕の周囲では残念ながらまだまだ一般的ではありません。少しハードルを感じるという方も少なくないかと思います。

 まず紹介したいのは、学生時代に医療と宗教と題した勉強会(医師と様々な宗教者をお呼びして医療について対話するイベント)を実施した北海道のとあるお寺さんです。

 そちらのお寺さんは大きな談話室があり、お寺でありながら地元のコミュニティスペースとしても機能していました。時に講話を聴いたり、お勤め(お経を聴くこと一緒に唱えること)もしながら、地元の檀家さん達が自由に出入りし、お茶を飲み、談笑し、それぞれが差し入れをしてくださったり、掃除などもしてくれていたりと非常にオープンな場所でした。こちらのお寺の場合、ご住職の人柄による部分が大きいようにも思いますが、自然と人々が集うため、人口が決して多いとは言えない北海道の町でありながら、孤立感、孤独感の少ない温かさがありました。お寺に集まる方々に実際に伺うと、集まってくる理由は様々で友達に会いに、元気な顔を見せたい、こうして集まってお話するのが生きがいなどのようでした。思ったほど信仰心はそこまで関与しておらず、また排他的な雰囲気はなく、実際のハードルはそこまで高くないのかもとも感じました。

 やはり、通う場所があるという事自体に意味があるように思われます。前回紹介した畑にも通じますが、お話をするもよし、お祈りしにくるも良し、掃除などを手伝うも良しといった、関わり方の余白が多いのも魅力で好きな時に来て、好きな時に帰っていくゆったりとした居場所でした。

 地域のお寺さんも規模や運営方針にもよるとは思いますが、このように完全オープンでなくとも、もし持て余しているスペースがあるのであれば居場所として開放していただけたらありがたいなぁと思う次第です。

お寺だけでなく地元も盛り上げるお寺 むかわ町法城寺

 上記のイベントに参加してくださった住職さんのお寺、むかわ町法城寺も、地域のコミュニティとして、地元を地域を活性化するコアとして機能しています。
(※ずっと訪れたいと思っていながらコロナ禍により訪問が延期したままになってしまっているのでTwitter等の発信からの参照になります。)

 むかわ町法城寺住職舛田那由他さんのTweetを拝見する限り、法城寺ではプロサックス奏者による演奏会、テントサウナ、バーベキュー、コーヒーセミナー、バーベキューなど様々なイベントを開催しているようです。

 その他にもキッチンカーが来たり、卓球が出来たり、トランポリンがあったり…寺とは。と考え込んでしまうようなラインナップです。

 法城寺を訪れた際は、どういった思いでこのような活動をしているのか、実際の町の方々の反響などをうかがってみたいところです。対話の場としての意図があるかはわかりませんが、こういった場があることで学校や職場、家庭以外にも居場所として、普段とは違った繋がりや新たな刺激を得られる場所として機能しており地域の方々の日々が豊かになっていることは間違いないように思います。

 このように新たな活動をしているお寺さんが増えて、コミュニティースペースとしての間口がもう少し広まってくれたらと願っています。実際現在は、全国各地で、お寺の大きな居間を使ってヨガ教室をしたり、ワークスペースとして活用してもらうような活動も増えているようではあります。
 寺子屋ブッダはそういったプラットフォームとして地域の人々と地域のお寺を繋ぐような活動をされているようで注目しています。こういった活動がより活発になっていくことを願っています。

オープンダイアローグ×宗教の教え

 対話の多様性として、僧侶の方、仏教や神道、キリスト教の教えというスパイスは非常に興味深く、対話を深めるに当たって新たな視点や示唆を与えてくれる可能性を秘めています。

 オープンダイアローグの原則としての説得しない、否定しない、強要しないという原則がしっかり働いていれば信仰の強要や特定の思想への誘導など宗教に対する忌避、ネガティブな側面はきちんとコントロールされうると思います。どうしてもカルト宗教、新興宗教やマルチ商法など信仰心を利用したネガティブな事件があったことから宗教そのものに対する恐怖感、タブー感が根強い人々が多いように思います。だからといってタブー視して触れないで生きるにはもったいないたくさんの思考の積み重ね、豊かに生きる上で有用な教えが無数にあります。引用クリシェではありますが、かの有名なアインシュタインの名言として「科学なき宗教は盲目であり、宗教なき科学は不具である」というものがありますが、現代日本人は不具、言葉の通り、完全にはなにか具(そな)わっていない人ばかりだと感じています。

 僕は僧侶の方、牧師さんなどとお話するのが割と好きなので、色々対話を重ねてきましたが、新たな気づきを得られることが多く、とにかく話していて楽しい方が多いです。対話が仕事みたいな側面もありますしね。お話上手な方が多いです。声も良いし。そんな宗教者の方々の対話力が現代社会に大きなニーズがあること、ぜひそのニーズに応えてほしいということはくり返し宗教者の方々にはお伝えしたいと考えています。


カフェから文化を育む

 さて続いて、カフェで対話の場をつくっている方々についてご紹介します。西国分寺駅にあるクルミドコーヒーは食べログなどでも上位常連の人気店ですが、お洒落でコーヒーもお菓子も美味しいカフェというだけでなく、様々なイベントや地域を巻き込んだ取り組みをしている特徴があります。

 その中の1つに「朝もや」というテーマトークを交えた哲学に関する対話型の長期に渡って実施されているイベントがあります。下記公式の説明文です。


クルミドの朝モヤとは、月に2~3回、日曜日の朝9~11時 珈琲を片手になにやら始まる会。
「正解」のない問いについて、自分や他人の声に耳を傾け、言葉を交わす場です。会が終わった後も、そこでのやりとりについて考え続けてしまったり何かふとした瞬間に、「はっ!そういえばあれってこれと関係あるかも…」などとひらめいたり。会の最中もその後も「モヤモヤ」するということで、いつの頃からか「クルミドの朝」改め「クルミドの朝モヤ」と呼ばれるようになりました。
参照:クルミドコーヒー


 僕も実際に参加しましたが、職場でもプライベートでもない場で、立場や職種を超えて色々な方と話をするというのは非常に新鮮で、心地よいものでした。日曜日の朝というなかなか寝ていたい頃合いではありますが、コロナ以前はカフェが超満員になるほど、人々が集まり対話に耳を傾けていたようです。

 それほどに、人々は対話を求めているのでしょう。また、対話と居場所はセットのようで、人々は対話を求めていると同時に、通う場所があることを求めてもいるように感じました。他の参加者さんから、この集まりがあったから仕事を頑張れたとか成長出来たといった話も聴きました。

 また、良いグルーヴ感、良い対話が生まれる秘訣はなんだろう?とその場にいる方々と考えた結果、1つは、適切なグラウンドルール。たとえば、否定や批判をしないとか、話は最後まで聴くとか、説得しない、何かを変えようとしない。やはりここでも、オープンダイアローグに通ずる、ポリフォニーを尊重するルールが採用されていました。もう1つが、良い場所で対話をするということ。前述の場の力にも通じますが、クルミドコーヒーは、木の温かみのある内装で、入った瞬間に気持ちが和らぐ素敵なカフェでした。

 詳しくはクルミドコーヒーのオーナー影山知明さんの著書、ゆっくりいそげに譲りますが、欧米ではカフェが文化を成熟させる場として機能していました。文化の成熟を支えたのはカフェでの対話。欧米ではカフェがそんな文化的な社会基盤としても機能していたようです。

 畑での対話から生まれたアイディアが交錯して様々なチャレンジに繋がったように、良き対話は次の行動への勇気、エネルギー、アイディアを生みます。そういったエネルギーやアイディアが積み重なっていくことで文化が育まれていくのでしょう。

 また、また畑のGive and Give的な精神にも通ずるペイ・フォワードの取り組みもあるようです。見知らぬ誰かに手紙を添えてコーヒーを一杯おごる「お手紙コーヒー」というもの。地域や人と人を繋ぐ工夫を凝らした取り組みが人々を癒やしています。

畑、寺、カフェ…新たな可能性を秘めた場所は次々と…
サードスペース×オープンダイアローグ

 大切なのは場所と対話のグラウンドルール。オープンダイアローグの原則、ポリフォニーの思想に基づいていれば、実践する形は自由自在なのかもと思います。対話の場としては、病院はあまり相応しくないくらいに思います。病院は治療の場ではありますが、あまり病院で癒やされると感じる人はいないですよね、残念ながら。

 ここまでの連載で自分の思考が整理されて気づいたのは、サードスペース、つまり日常的に属している家庭や職場、学校以外の場所のコミュニティを持つことの良さ、豊かさという話と、オープンダイアローグの原理原則、ポリフォニーの思想による癒やしの効果、生きやすさという話は厳密には別の論理体系の別の話ですよね。ですが、僕の知っている豊かなコミュニティはどこもオープンダイアローグ的な思想のもと運営されているという事に気づきました。サードスペースがオープンダイアローグ的な思想のもと運営されていると、相乗効果が得られて非常に豊かなコミュニティになる、ということは言えます。

 今回は、これまで畑、寺、カフェが僕にとっては良い場所だったので紹介しました。それ以外にも、ぱっと浮かぶだけでも海の家や山小屋、楽器のセッションや道場、バーや銭湯などなど様々な場の利を活かしたコミュニティ、対話の場はつくれそうな気がしています。そして、そういったポリフォニーの思想に基づく対話ができる場所は、きっとそこに通う人々の人生を豊かにして、困難を乗り越える力を与えてくれるはずです。

まとめ

 今回は対話の場としてのお寺、カフェの紹介をしました。お寺が対話の場として魅力的な理由として、①場所自体に癒やしの効果があること、②地元に根付いていて関わり方の余白が広いこと、③宗教的側面から新たな視点が与えられ対話が深まる、といった事を興味深い活動をしているお寺さんの事例をあげながら提示しました。

 カフェについては、欧米はカフェでの対話から生まれたエネルギーで文化が育まれていったという話をクルミドコーヒーの試みを取り上げながら紹介しました。

 いずれの場所においても、良い対話が生まれるには、場所が良いこと、グラウンドルールがしっかりと機能していることがあげられるとして、良き対話は次の行動への勇気、エネルギー、アイディアを生むという話をしました。厳密にはサードスペースの良さとオープンダイアローグの原則の話は別の論理体系ですが、サードスペースがオープンダイアローグ的な思想のもと運営されていると、相乗効果が得られて非常に豊かなコミュニティになるということは言えそうだと結論づけました。この原理原則に基づけば、僕が紹介した、畑、寺、カフェでなくとも、銭湯や海の家、バーなどなど、様々な場所で豊かなコミュニティがつくれそう。そして、そこに通う人々の人生を豊かにして、困難を乗り越える力を与えてくれるはずとまとめました。

 皆さんのコミュニティが豊かになりますように。みなさんが良きコミュニティに出会い、また自らが良きコミュニティを創造していくことを願って今回の話を締めくくりとさせていただきます。

 次回第6回は地域医療の場での救急精神医学としてオープンダイアローグは活躍出来るんじゃないかという話、実際に地域医療の場でなんちゃってオープンダイアローグを僕が実践してみた効果と反省の話をしてみようと思います。少しまた医療のニッチな話になりますがお付き合いいただけたら幸いです。それではここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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