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会話と対話の違いって?ポリフォニーという哲学

こんにちは、ハンドパン叩く研修医ShunIshikawaです。オープンダイアローグについての連載3回目となります。ここまでの連載はいかがでしたか。

第1回:オープンダイアローグから想像する新しい医療(1)オープンダイアローグとは。

第2回:攻めの対話~救急医療で感じた対話の場のニーズ~オープンダイアローグから想像する新しい医療(2)


初回は、そもそもオープンダイアローグとはという話。続いて、もう問題が生じてしまっている状況に積極的にアプローチしていくオープンダイアローグのニーズについて。
 そして、今回は「対話」そのものについて少し掘り下げてみます。


あなたにはゆっくり対話が出来る場所はありますか?

 

 皆さんはゆっくり対話が出来るような場をご存知ですか?またそういった場で対話をする習慣はありますか?

 初回にも引用しましたが、オープンダイアローグは、現在精神疾患に限らず会社、組織、家族等あらゆる場面において個々の生き方やその環境に置いての過ごし方をスムーズにする目的で利用され始めています。※参照(wikipedia:オープン・ダイアローグより)

 対話の場があることで、様々な衝突が減ったり、問題解決に繋がり、豊かに暮らすことが出来るようになります。ところで、対話の場というのは、普段誰かと話すところがあるってこと?と思われるかもしれません。まずは、普通の会話と対話の違いについて考えてみようと思います。


会話と対話の違いはどこにある?


そもそも会話と対話の違いってどこにあるの?普通に話すのと、オープンダイアローグ的に話すのって何が違うの?という疑問を持つ方もいると思います。
 以前紹介したオープンダイアローグの7つの原則の他に、オープンダイアローグの対話実践の12の基本要素というものがあります。詳細は、オープンダイアローグ 対話実践のガイドラインより参照いただけたらと思います。

 ここでは考え方のエッセンスだけを抽出してしまうと、つまるところ下記の3つに集約されるように思います。

1.相手のことを尊重する気持ちで接する=リスペクト
2.様々なものの見方を共有する=ポリフォニー
3.今まさに起きていることに焦点を当てる=今、ここ


※私の解釈なので、ポイントはそこじゃない!など誤りがあるようでしたらご指摘いただけると幸いです。

 ポリフォニーという言葉は聞き慣れない方もいるかもしれません。多声性と日本語訳されています。元々は音楽用語ですが、対話はモノフォニー、シンフォニーといった1つの音、調和した音である必要はなく、ポリフォニー、つまりそれぞれが違ったまま混じらずに並列していても成り立つ音楽のようであって良いという説明がされます。

★あなたとわたしの世界はどれ程違っているのかを発見していく
★否定はもちろん、説得や、議論、説明はしない。
★正しさや客観性よりも
主観を共有する

 こういった、それぞれがありのままでありながら、その違いを共有するようなコミュニケーションを対話とここでは定義します。

 改めて、こういった対話が出来る場は皆さんの日常の中にありますでしょうか?人によっては、家族やパートナーと話す時はこんな感じに出来ているなとか、職場のチームはまさにこんな雰囲気だ、趣味や習い事の場だとこんな感じだなぁなど思い当たる部分があるかもしれません。

 逆に、自分のコミュニケーションが否定やアドバイスや説得、議論、説明、同調を強要するような傾向がある方は、上記のようなコミュニケーションを心がけると周囲との関わり方が一変するかもしれません。

 もちろんこれは本来の原則から対話の核となる部分の中でも実践しやすく分かりやすい要素をピックアップしているので、他にも重要な要素はたくさんあります。たとえば、原則の6.不確実性に耐える。7.対話主義というのも、対話の方針を決めていく上では重要です。問題解決のために何かプランを立てる必要はなく、会話に集中すればいい、対話を続けることを目的として、結論を急がないというのもオープンダイアローグ独特な要素な気がします。ベースになる考え方から興味を持っていただき実践するに当たっては更に深く一緒に学んでくださると嬉しいです。


あなたと私は絶対に相容れない


 オープンダイアローグでは、他者の視点と自分の視点は絶対に相容れないことが強調されます。つまり、わからないのが前提、わかり得ないのが前提になります。わかるわかる!一緒だね!といった共感や意気投合することがコミュニケーションだと思っている方からすると、意外に思われるかもしれません。
 
 共感、意気投合するようなコミュニケーションはシンフォニー的といいましょうか、同調出来る間は心地よい、ハーモニーが整っている時だけは心地よい世界観ではないでしょうか。それは一見整っているようで、違いが生まれた時に違いを認めないという発想に繋がる恐れがあります、また、同調を強要する、どちらかが正しさを押し付けるようなコミュニケーションに陥るリスクがあります。

 一方、コミュニケーションでよくあるのが、会話のようで二人でモノローグ、自分語りをしているというパターンです。

A:私この前○○に行ってさ、△△みたいなことがあったんだよね
B:そうなんだ、○○といえば私は✕✕なんだけど
A:うんうん、で、△△もだけど□□も最高だったんだよね
B:□□なら、私は◆◆だったから…(以下永遠に続く)


 結構見に覚えがある方もいるのではないかと思います。会話なようで、それぞれが自分にまつわる事柄しか話していない。相手の話の筋はあまり関係がなく続いてしまう井戸端会議的な会話です。これはモノフォニー、モノローグですね。 


 ですが、ポリフォニー的な世界観では、相容れないがゆえに、他者の視点は自分の視点と同じくらい尊重されるべき、ととらえます。自分とは違う他者の他者性を尊重する、違いを知ることがお互いの理解を深めることに繋がります。みんな違ってみんな良いというやつですね。共感しすぎるが故に同調する訳でもなく、主観的になり過ぎて自分語りに終始するでもない、ダイアローグは絶妙な塩梅がポイントになっています。

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​Photo by Jan Kopřiva on Unsplash


なぜ人は対話で癒やされるのだろうか?


 上記のようなグラウンドルールが設けられている場での対話の経験がある人からすると身に覚えがあるかもしれませんが、こうした対話は非常に心地よいです。この心地よさを言葉で表現するのは難しいのですが、否定されない、決めつけられないことで、ありのままの自分を受け入れてもらえる安心感、他者との違いから新たな発見が得られる面白さなどでしょうか。発言を受け入れてもらえることで、自発的に発想がどんどん生まれてワクワクしてくることもあります。自由な発想から話し合っていくうちに新しく何かを始めたくなったり、困難に立ち向かっていく力が自然と湧いてきます。
 たとえ対立している相手であっても、相手の考えを掘り下げ、「どうしてそう考えるのか?」などを理解していくことで、相手に対する不安や批判する気持ちが解消されていきます。

 精神科治療で行われるオープンダイアローグでも、治療のための戦略的な介入、教育で「変えようとする」「治そうとする」事を止めて、対話を続けて、広げて、深めていった結果、対話の副産物として病状が良くなるという逆説的な成果を上げており、不思議な感じがしますが、対話には治癒力があることは確かなようです。

日常に対話の場を

 家庭や職場のコミュニケーションが対話的、オープンダイアローグ的ならば最高ですが、そういった対話が出来る場は多ければ多いほど日常は豊かになり、問題に追い込まれにくくなるように思います。

 以前の僕のnoteにも同様の記載がありますが、解決までいくかはともかく、悩みを共有し対話出来る場が現代ではそもそも少ないのかもしれません。

 習い事や趣味、ボランティアもしくは地域の活動など上手く人間関係をつくれる人なら別ですが、都市部に住んでいると、助けを求められる場所として浮かぶところが正直あまりありませんそもそも職場と家の往復でほぼ日常が完結してしまうという方は多いのではないでしょうか。職場の問題や家庭の問題など、悩みの中には外部の介入を必要とするものもあるかと思いますが、そもそも問題に気づけるネットワークが必要であると感じています。  

 オープンダイアローグの日本の第一人者でもある森川すいめい先生が自殺希少地域を訪れたフィールドワークをまとめた「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」に詳しいですが、必ずしもネットワークは蜜である必要はなくむしろ数が多い方が良さそうです。

 現在、地域での居場所づくり、コミュニティ形成といった動きは様々な文脈で行われており、面白い活動をされている方が全国各地にいらっしゃいます。そろそろ今回は終わりとして、次回は、家庭や職場、学校以外の第三の居場所を持つことについて説明していきたいと思います。
 第三の居場所、対話の場として畑やお寺、カフェなどが今後活躍していくかもしれない…そんな話を続けていきます。


まとめ

今回は、オープンダイアローグにおける対話とはなんぞやという部分を深めていきました。会話と対話の違いとして下記のエッセンスを紹介しました。

1.相手のことを尊重する気持ちで接する=リスペクト
2.様々なものの見方を共有する=ポリフォニー
3.今まさに起きていることに焦点を当てる=今、ここ

ポそれぞれが同調せずとも違ったまま混じり合う音楽のような在り方をポリフォニーと表現しました。それぞれがありのままでありながら、その違いを共有するようなコミュニケーションを対話として、実際に話す上で気をつけるポイントとしては、以下のものをあげました。

★あなたとわたしの世界はどれ程違っているのかを発見していく
★否定はもちろん、説得や、議論、説明はしない。
★正しさや客観性よりも
主観を共有する

 そして、オープンダイアローグでは、他者の視点と自分の視点は絶対に相容れないことが強調されます。ポリフォニー的な世界観では、相容れないがゆえに、他者の視点は自分の視点と同じくらい尊重されるべき、ととらえます。

なぜ、対話によって人が癒やされるのかは不思議な部分もありますが、ありのままの自分を受け入れてもらえる安心感、他者との違いから新たな発見が得られる面白さがあったり、対立していても相手の考えを掘り下げ理解していくことで、相手に対する不安や批判する気持ちが解消されていったりするといった効果はあるように思います。

そういった対話が出来る場は多ければ多いほど日常は豊かになります。ただ悩みを共有し対話出来る場が現代ではそもそも少ないのかもしれませんそんな中、第三の居場所をつくる様々な活動が日本各地で行われています。その中でも、対話の場としての畑、寺、カフェという一風変わったコミュニティを次回はご紹介します。

それでは、今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

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