Shun

土台。

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伊勢クリエイターズワーケーションに選出されました

一年ぶりくらいにnoteを更新します。 今月12日~25日に伊勢市が開催する伊勢クリエーターズワ―ケーションに参加します。 このプロジェクトはさまざまな分野のクリエイターに伊勢市内で過ごしてもらい、 伊勢に影響を受け創作活動に専念してもらうという内容です。 この応募には全国から1271人もの応募があり、 その中の100名の参加枠に自分が入りました。 ワ―ケーションに選出されたのは大変ありがたいことで嬉しい驚きでした。 しかし別の参加者を見た限り、著名な方や大きな

    • 2019.2.12

      「人間の存在認識」を問いかける 「記憶に留める」という行為

      有料
      300
      • 2019.2.11

        NさんIさんに対する質問で 「地球上で最後の一人になった時、それでも写真を撮り続けるのか?」ということを聞いていたそうだが、それはその人が本当に『写真』に対して向き合っているかどうかが分かる良い質問だなと思った。 本当に向き合っているならば「撮り放題じゃん!」みたいにテンションの上がる様子を見せ、 そうでもない場合はごまかすような返答を返してくる。

        有料
        300
        • 2018.12.22

          終わる場所によって価値が変わる物語に人生を落とし込みたくない、咲かなかった花を笑いたくない、トライ&エラーというまとまりをすべて肯定したい、エラーだけを取り上げてバッドエンドなんて、そんなはずはない、絶対にない。私が強い言葉を使うのは、少なくとも私に見えている世界は確かにそうだからだ。

          有料
          300

        伊勢クリエイターズワーケーションに選出されました

          2018.12.17

          空き地 or 駐車場シリーズについて

          有料
          300

          2018.12.17

          2018.11.23

          展示は「他人の作品を見に行くもの」、 「それは自分に関係無い」、 「距離があるものである」 というように考える人は少なからずいるだろう。 それが写真だと「紙」といった平面になってしまうわけだから、 さらにその感覚は増すだろう。 その2次元から3次元の距離を破壊する行為に面白さを感じてる。

          有料
          300

          2018.11.23

          2018.7.23

          撮り手の存在がストリートビューのように不在になっている写真を集めて作品にできそう。 撮影者が撮らない事は客観性の1つの極限じゃなかろうか それでも「写真を選ぶ」という点で意思が介入してしまうが、 それでも撮ることに関しては1つの限界かと。 そういう点でジョン・ケージの4分33秒は、 自分で会場や場所を選ぶことはあるが 自分で楽器を弾くわけでもなく、 他人の音がそのまま音楽になるわけだから極限の客観的音楽だと思う。

          有料
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          2018.7.23

          2018.6.8

          写真についてここのところ思うのは、 シャッターを切るということは単純作業であるということ。 となると、シャッターを切るのは誰でもよくて、 大切なのはシャッターを切るまでとシャッターを切ったあとの部分ではないか。 前後にある哲学・テーマ・反省・反復・経験、記憶などの積み重ねにより発現する写真が大切なのではないだろうか? そのためのインプットであり、いろいろな作品や情報などに触れ、 それを自分なりの解釈でアウトプットすると作品になるのではないだろうか。

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          2018.6.8

          MEETの意図

          このシリーズを撮り始めた最初は物語のような連続性はなく、 無意識に選んだ日常の切り抜きをおこなっていた。 この無意識に数が増えることで何重にもループを繰り返し、自動的に法則性ができた。 そこには一枚一枚に物語があり、どれも同じようで若干の違いがある。 それを考えた時この写真群は、無意識のようで無意識ではないというのを確信させた。 MEETはそんな自分の中にある「間」のような連続性の塊を可視化にしたものだ。

          MEETの意図

          2018.4.25

          事件事故シリーズの更新

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          300

          2018.4.25

          2018.2.11

          世のメディアには、やらせや再現ドラマ、劇的なニュース番組、防犯カメラや車載カメラ、 空撮などリアルな映像がリアルタイムの溢れ、 視聴者は椅子に座ったままパソコンやスマートフォンなどからそれらを観て 少なからぬ影響を受けている。

          有料
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          2018.2.11

          2018.1.5

          有料
          300

          事件事故

          ネットワークが人間の意識の深くまで根を張りつつある。 仮想空間に散らばる写真は1秒また1秒と時が進む度に、 大量の情報による波によって流されている。 日々の行動範囲を超えた大量の情報は、 自分自身の存在価値を大きくぶらす。 誰しもの全ての感覚が、 体験した気になって通りすぎてしまう。 だからこそもう一度、写真の存在が曖昧な今、 写真に触れた者にとっての基本的な問題を、 もう一度考えるべき時代に立たされているのではないか。 忘れられた現実を、もう一度再確認するための濁流。

          事件事故

          ゴミ

          ホラーゲームは高画質なリアリティに富んだ表現より、 グラフィックが粗くて判然としない「なにか」が追いかけてきたりする方がかなり怖い。 高画質なデジタルカメラの普及と同時に心霊写真はぱったりと居なくなった。 バイオハザード、SIREN、ナナシノゲエム…など 「不気味さ」 ハイデガーが提唱する不気味の定義として ・『対象性のなさ』 ・『対象が認識できないにも関わらず存在を感じること』 ・『その存在理由が不明であること』 アニミズム →超越的なもの、「崇高」なものを捉えようと

          Redevelopment

          東京の至る所で行われている都市の再開発。 2020年、東京オリンピックの開催も決まり、 その勢いはますます加速しているのが肌で感じられる。 生き物のように形を変えつづける東京は、 破壊と再生を繰り返している。 そこに寄生し、不安定に共生する人間たちを、 私は記録し続ける。 マグナムフォトは1947年、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモアらが創設した。 それまでは作品が掲載される際、写真家の意向にかかわらず、むやみに写真をト

          Redevelopment

          MEET

          自分にとって写真とは発見したモノの記録である。 その発見したモノ、 三次元の中に存在する様々な形や素材の重なり合いと、 流れては消えてしまう瞬間的な何かを、 写真という平面、 二次元の中へ描き込むことに興味を持ち撮り続けている。 好奇心と興味の赴くまま この行為を繰り返すことにより、 積み上がったネガの山から自然と法則性が生まれた。 ここは立体であるが平面でもあり、 現実と非現実の入り混じったような視覚世界の記録である。 この繋がりやすすぎる時代は、 かえって「つながりにく