2018.7.23

撮り手の存在がストリートビューのように不在になっている写真を集めて作品にできそう。
撮影者が撮らない事は客観性の1つの極限じゃなかろうか
それでも「写真を選ぶ」という点で意思が介入してしまうが、
それでも撮ることに関しては1つの限界かと。
そういう点でジョン・ケージの4分33秒は、
自分で会場や場所を選ぶことはあるが
自分で楽器を弾くわけでもなく、
他人の音がそのまま音楽になるわけだから極限の客観的音楽だと思う。

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