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ラザニア

 よく思い出す光景がある。リビングの大きな机、椅子に座る幼い姉、鍋敷きの上の丸い耐熱容器に入ったラザニア、いつもと何も変わらないのに嘘くさいほど暖色の明かり。家に居るのは姉と私の二人きりだが、心細いとか、不安とか、そういう感情を抱く必要はない。母がいない理由も、父がいない理由も、兄がいない理由もわかっているし、すぐに帰ってくる。父は仕事で、母は兄を塾まで車で迎えに行っているのだ。私たちの分の出来たての夕食を用意して出かけた母は30分もしないできっと帰ってくるし、何も考えないで食べながら待っていればいい。
 私の母は料理が上手で、本当に何でも美味しいのだが、ラザニアは特に好きなものの一つだ。ホワイトソースとミートソースの絶妙な塩加減がたまらなくて、こうして書いている今でも鮮明に思い出すことができる。
 ただ、あの思い出には味がない、それどころか、あの光景の後に続くようなラザニアを食べた記憶が無いのだ。二人分には大きすぎるお皿に、どれくらい残っていたのかとか。思い出す光景には母がいないのだからもう食べ始めていてもおかしくないのに、姉の手は膝の上にある。

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