見出し画像

あまりにも緻密すぎる佐藤氏の京都での学びの記録。学習意欲を刺激されたい人は手にするべし。【佐藤優『同志社大学神学部』光文社】

正直な話、この本は読みにくい。

まず、章立てが一切ない。348ページとかなり分量は多いが、目次もなく物語がいきなりはじまり、終わるまでノンストップで駆け抜けてゆく。それに本作で扱われる神学の話や、その当時の学生闘争の話も、非常に難解かつマニアックで、予備知識なしではいったい何のことかさっぱりわからない。

しかしこの本には、仮にそれらを読み飛ばしてもなお、ある魅力がある。

この本を簡単に説明すれば、埼玉の浦和高校を卒業した著者の佐藤氏が、いろいろあって関東ではなく京都の同志社大学神学部へ進学し、外務省入省をとある料亭で祝われるまでの6年間を描いた記録である。

この本の見どころは、その6年間の記録が、たとえ40年近い前の実話だとしてもあまりに「細かすぎる」ところだと思う。それは、この時代の京都の街の描写にとどまらない。

四条の行きつけのロシア料理屋で仲間とウオトカを嗜み、河原町三条のバーで喧々諤々の神学議論を繰り広げる。さらに、どうしても欲しい本があって、少し離れた河原町今出川の古本屋に立ち寄ってそれを手に入れたあと、すぐそばの喫茶店で珈琲を飲みながら熟読する。そのときの珈琲の味まで鮮明にしっかりと綴られている。

そして、教授とのやり取りにしても、前述した河原町三条のバーでの議論にしても、おそらく一字一句まったく同じではないだろうが、かなりリアルな会話の中身が記録されている。録音でもしたのだろうか?と勘ぐるほどの精緻さだ。

佐藤氏は別の著書(何かは忘れてしまいました)で「京都にいた間は酒を飲むとき以外は基本、勉強していた」と述べている。実際、その勉強量は目を見張るものがある。いつ、どこで、どんなことを学習していたのか。神学研究はもちろん外務省入省に向け自分に何が足りていないのか、何をすればいいのか、自己分析を積み重ねた圧倒的な勉強量の記録は、これが本来の「大学生」の姿であることに気づかせてくれるには十分だ。

自分が学生のころはここまでの勉強に対する気迫はなかった。読後、「ああ、やっぱり佐藤さんのようにちゃんと大学で勉強しておけばよかったな」と、今更後悔してしまった。このとことん濃すぎる348ページの分厚い本を開けば、きっと佐藤氏が学習意欲を刺激してくれるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?