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苦痛な乗りもののヨロコビ タイ🇹🇭・パキスタン🇵🇰

タイ北部チェンライからチェンセン、チェンコンを経由して、ラオス北部の古都・ルアンプラバンへ――。2008年、仕事でタイ・ミャンマー・ラオスの3カ国国境付近、いわゆる「ゴールデン・トライアングル」を巡る取材旅行でのことだった。

チェンライから直行できる空の便はなく、「さて、どう行くのが早いだろう」と地図を見ながら思案した。すると、ここゴールデン・トライアングルとルアンプラバンは、インドシナ半島を悠々滔々と流れるメコン川でうまい具合につながっているではないか!

「川下りの船旅もいいなぁ~」と軽い気持ちでこのルートを選んだ。

――これが、悲劇の始まりだった。

チェンコンの川辺から対岸の街、ファイサーイに渡ってラオスに入国した。ここからルアンプラバン行きの船が出ているという。スズキ製の高級タクシー(軽トラの荷台ともいう)に乗って船着き場へ。チケット売り場のオヤジさんに聞くと、「ルアンプラバン? ああ、スピードボートだと3時間くらいだぜ。楽勝楽勝!」と軽やかなお返事。

ちなみにスローボートもあって、こちらは2日間かかるという。「その差は何なのだ…」と思ったが、出発まであまり時間がないと促されたので即座にスピードボート一択。チケット代は1人1300バーツ(当時で約4000円)だ。

スピードボートは、大型改造エンジンにスクリューの付いた長いパイプを直結した、いわゆるロングテール(尾長)ボートである。ただ、バンコクの都心を流れるチャオプラヤ川で見かけるような大きさでなく、船幅が1メートルほどの狭さで細長い。

その舳先へさきに荷物を積んで、中央に6人が乗る仕様になっているのだが、その座席がもの凄く狭いのだ。幅が1メートルで奥行きがせいぜい70センチ。そこをご丁寧に板で囲ってある。その長方形の木箱が3つ並んでいて、その中に大人2人ずつ、計6人が並んで乗る構造だ。

 木箱に入り込むと、当然ながら脚を伸ばす余地はまったくなく、膝を抱えて胸に付けて座る。体育座りの超窮屈型だ。

「これで3時間か…」とうなだれていると、先客として自分の前にチョー窮屈座りをしているフィンランド人とエストニア人のカップル(2人ともデカイ)が「なんか……乗り込んでから言われたんだけど、たっぷり6時間はかかるそうよ」と青い顔をしている。

チケット売り場のオヤジめ! ウソでも客を乗せたかったのか、それとも「つらいことはおおっぴらにしない」というラオス人的な優しさなのか――。とにかくオヤジ以外の誰に聞いても「まぁ6時間はかかるぜ~」とニヤニヤしている。

(写真はイメージです)

覚悟を決めて乗り込んだ。船が岸を離れた。改造エンジンの小刻みながら激烈な振動がたちまち乗客の体力を奪っていく。さらに、時折出くわす急流の「瀬」を乗り越えるようとすると、船がズドンと大きくジャンプするのだ。

超窮屈な体育座りを続ける我々のお尻はあっという間に感覚を失っていく。これから6時間は我慢が必要だというのに……5分でお尻は自分の体とは別の物体のようになっていた。

 船は時速80キロ以上の猛スピードで川面を飛ぶように滑走する。危なくて立ち上がることもできない。乗船時に渡されて頭に被ったスピード対策用のフルフェイス・ヘルメットは、確かに欠かせないアイテムだ。でも被ると息苦しいうえに、ラオス山中でも容赦ない炎天下の日差しが照りつけるので、暑苦しいったらない。

 途中、船で暮らす家族がやっている船上レストランで30分のランチ休憩があった。ちなみに水道はなく、スコールの雨を貯めたドラム缶の中の水で調理していた。誰もが言葉少なく、ほとんど飯を食べなかった。

 本当にまるまる6時間余りをかけて、ルアンプラバンに着いた。降りでも開放感はなく、拷問を受けた囚人のように何も考えられず放心状態だった。木箱に入ったまま激しく揺さぶられ、あちこち傷んだメロン……になった気分だ。体のどこかから汁がしみ出ているように思えた。

 なかなか苦しくも思い出深い旅だったが、こういう苦しさは後々まで心に残るのではなかろうか。極めてつらい乗り物の思い出は「乗り越えた感」が途方もない印象を人格にまで刻み込む。

1990年代初めに中国・上海からトルコのイスタンブールまで陸路で旅をした時のこと。パキスタンの山中にあるギルギットという町から、トヨタ「ハイエース」に16人乗って15時間移動したことがあった。

休憩中に外に出てタバコでも吸おうものなら「そのタバコの灯りが山賊に見つかったら、どうするんだボケッ!」と運転手に怒られる旅だった。狭い車中では、後ろに座った少年が車酔いでゲロゲロ状態になっていた。

そこで日本から持ってきたビタミンE錠を「これは日本最高級の酔い止めだ」と飲ませたら、信じ込んだのか見事に車酔いが止まった。同乗していた少年のお爺さんらしき人に感謝されたのも良い思い出だ。

アラフィフとなった今、これから何度こうした“壮絶系”の乗り物に出会えるだろうか。当時のような体力と無謀さはなくなったが、それでも乗り物の苦痛に耐えるのは旅の醍醐味ではないかと思う。

豊かになると失われるものの最たるものかもしれない。「いやぁ酷かった」と苦痛自慢をするほどトシをとったということなのか、それともただのマゾなのか――。

ただ、「旅する気合いだけは失いたくない」と改めて思わせる船旅だった。

(初出:2008年5月15日。タイのフリーペーパー「web」掲載の記事を加筆修正)


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