見出し画像

【映画評】「哀れなるものたち」自己決定と私たちのからだ

※ネタバレしてます。ご注意ください。以下の画像以降から始まります。

 当方30代ノンバイナリー。シス男性のパートナーがいる。相手から望まれていることもあり、「子どもを産むかどうか」を年がら年中考えざるを得ない。私のトランスジェンダー的性別違和は女性器やホルモンによる体の変化に対するところが多く、妊娠による女性の体内の変貌を過度に恐れている状況である。(ちなみに生理はピルで止め1年以上来ておらず、毎日ナベシャツを着用中)

 そんな私が変だなと思っていることのひとつに、この国で妊娠した場合、中絶するのに配偶者の同意がいるということがある。リスクを負って妊娠するのは、うちの場合私のからだなのに、中絶することを私の意思だけで決められない??そんなことある??とずっと思っていた。

 先日以下の記事を見て驚愕したのだけれど、中絶に配偶者の同意を必要としているのは、日本を含め、トルコ、モロッコ、シリア、サウジアラビア、クウェート、イエメン、アラブ首長国連邦、台湾、インドネシア、赤道ギニア共和国の11ヵ国・地域のみらしい。これを見る限りかなりの少数派。「……すごいメンバーの中に日本入っているね???」ということに本当に驚いてしまった。自分のからだのことくらい、自分で決めさせてほしい。

「哀れなるものたち」という映画からは、私の身体は私のものだという力強いメッセージを受け取った。

 ある事情で追い込まれて自殺した主人公の妊婦ベラ(エマ・ストーン)の死体を、天才外科医のゴッド(ウィレム・デフォー)が、お腹の赤ん坊の脳を移植することで蘇生。この時点でかなり奇怪だし、なんてひどい扱いを……と思ったけれど、その後のベラの成長は本当に目を見張るもので、未知なる冒険を経て、まさに自分のからだを自分で取り戻していく物語である。

 序盤で、セックスやセルフプレジャーに夢中になるベラ。「そういうものが好きな女性ははしたない」みたいな価値観をベラは持っていないから(頭には幼児の脳が入っているから社会規範を知らない)開放的に性を楽しむベラ。自分のからだでこんなにプレジャーを感じられるんだ、という事実をただ純粋に楽しんでいるようで観ていて気持ちがいい。

 その後、THEマッチョイズムおじ弁護士のダンカン・ウェダーバーン(マーク・ラファロ)と一緒に冒険に出るのだが、このダンカンの言動や行動が、まぁいかに男性が女性のことをいつもどうみなしているかがわかって皮肉的でおもしろい。「バービー」が描いた男性像とはまたちょっと違う、クソ権力男の塊という感じ。

 最初は赤ん坊の脳みそゆえに幼児のような行動をとっていたベラだけれど、だんだん言葉を覚え、成長し、冒険の途中クルーズ船で出会ったマダム(ハンナ・シグラ)に「本を読むこと」を教えてもらったり、貧富の差を知ったりなどどんどん知識と経験を蓄えていく。
 それに対して「きみのかわいい喋り方が失われていく」などと「ウゲ〜〜〜」となるようなことをおじさんダンカンは言ってきたりするけれど、ベラはおかまいなしに成長してく。

 途中で一文無しになったベラとダンカンは、クルーズ船から降ろされパリで放浪する。ベラはそこで初めて、自分の力でお金を稼ぐ。娼婦の館に勤めはじめたのだ。自分の体を使って金を稼ぐ。

 無論、「娼婦の仕事は女がする仕事の中で最低な仕事だ!」と顔真っ赤にしてダンカンはカンカンに怒るんだけど、それは単に男社会が植え付けてきた価値観であって、ベラは「?」という感じで無視する。自分のからだを使って、自分の意思で仕事を選び、自分の力でお金を稼ぐベラ。娼婦館では、客と対等にセックスをしようと工夫したり、客が女の子を選ぶシステムに対して「これって女の子側も選んじゃいけないの?」と疑問をぶつけたりして、彼女のクレバーな面がどんどん見えてくる。やがて、医者を目指すためにベラは勉強を始める。かっこよすぎる。

 先日こんなうれしいニュースがあった。女性たちが自分の体のことを自分で決めていける権利を勝ち取り憲法に明記させた。

首都パリのエッフェル塔は改正案可決を祝って点灯され、「私の身体、私の選択」というメッセージが映された。

上記記事より

 世界でできることなのだったら、きっと日本でも近く自分のからだの自己決定権が取り戻せる日が来るかもしれない。希望だけは抱いていたい。

***


 「哀れなるものたち」の原作は1992年の同名小説が原作らしく、90年代にこんな小説があったなんて!という驚きがある。女性の自由意志、抑圧からの解放など多岐にわたる現代的なテーマがある一方で、表題である「哀れなるものたち(Poor Things)」が意味するところは、きっとラストシーンのベラの行動にも言えるのだと思う。
 解放され自分らしくのびのびと知識をつけ生きていき医師となった女性。現代社会から見れば、これからの時代を代表する女性の生き方として写り、私のようなマイノリティでさえエンパワメントしてくれるが、結局は気に入らない者(元夫であるブレシントン)の脳にヤギの脳みそを植え付け、飼いならす、という脅威にもなり得る、というメッセージにもみえる。
 妊娠中自殺を選ぶほどベラを追い詰めていた元夫のブレシントン(ブレシンドンがどんな酷い仕打ちをベラにしていたのかは一切描かれないけど、それゆえ観客が想像するしかなくそれがマジで怖い)その悪役が最後にヤギみたく四つん這いで葉っぱを食べる姿はある意味すっきり爽快だったが、結局は勧善懲悪の域を出ない。力を持ったベラは、ゴッドと同じことをしてしまう。皮肉だ。誰しもが、哀れなるものたちになりうる可能性があるのかもしれない。




この記事が参加している募集

映画感想文

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!