見出し画像

死にたいと思ったら警察に連行された話①

 落とし物以外で交番を訪れてしまった。

 今年はなかなか梅雨が明けない。もう7月に入ったというのに。梅雨なんてじめじめしたものは6月に置いてきてくれればよかったのに。その日も例によって空は暗く、じとじと雨が降っていた。
 天候の悪さは精神に影響する。これは自分自身でも体感していることだし、雨の日の低気圧に苦しめられている人もたくさん知っている。『うつヌケ』の田中圭一も著書の中で天気が悪いと体調が悪くなると言っていたから、嘘じゃないだろう。
 晴れの日なら全く気にも留めないささいなことも、雨や曇の日に起こっただけで一気に一大事になる。今回のできごともそうだ。

※私は、境界性パーソナリティ障害という病気を持っています。自分自身の心の状況を整理するためにnoteを書いています。

■AM 11:00 死にたくなって自分を追い込む


 朝から死にたい気持ちになっていた私は、仕事も手につかなかったので、とりあえず外に出ることにした。気分を変えれば死にたくなくなるかも、原稿も書けるかもしれないと思い、近所の喫茶店に入った。
 当時抱えていた原稿は、明確な締切日は教えられず、個人裁量で進めてほしいと言われていた。締切がないから「今日」怒られるわけではない。気楽に進めればいい案件のはずなのに、こういったものこそ、私をじわじわと追い詰めてくる。
 「仕事しなくていいの?」「今進めないとあとできついよ」「締め切り日がないとはいえ、先方は早く原稿がほしいのかもね」「午前中一秒も仕事してないなんてやばいね」ーもうひとりの私が次々と私にプレッシャーを掛けてくる。脳内で響き渡る責め文句。
 私はしばしば”勝手に自分を追い込んでつらくなる”というなんとも理不尽でドMなゲームを自分自身に仕掛けてしまう。

■AM 11:30 喫茶店で再起を図る


 一番安いコーヒーを頼んで、席についた。とりあえずパソコンを机の上に出してみたはいいものの、開いて電源を入れることはできなかった。メールチェックが怖い。もしメールを開いて、嫌な文面を見てしまったら…? 「やらなければならない仕事」「仕事をしない自分」、もうぜんぶいやだ。自分で自分の不安を煽り、そのままいたずらに時間が過ぎていった。

  もし、あのときに戻れるのなら。「まあいっか、そういう日もあるよね」と自分に声をかけてあげたいと思う。「仕事ができない日があったっていいじゃないか、たぶん雨のせいだし」「とりあえず今日は休んでいいじゃん」「まぁ怒られたって死にはしないんだから大丈夫だよ」とたくさん声をかけてあげたい。心の中で。

 でも、それができないのだ。セルフ拷問のように自分を脳内で責め続けた。そして、抱え込んだ大きなストレスは、コーヒーを飲んでも小さくならず、私は夫に「死にたい」とLINEしていた。それも、何度も、何度も。

■PM 12:00 夫に「死にたい」とLINEする


  「死にたい」とどれだけ夫にLINEしただろうか。
    やっと既読がついたタイミングで「これから死ぬから」と夫にLINEした。

 喫茶店を出て本屋に来た。雨の日なのに、店の外には漫画雑誌や幼児向け雑誌が陳列されており、湿気で紙が湿ってきている。本が濡れないギリギリのラインに屋根があり、私はそこに立って売り物の本を眺めた。購買意欲を掻き立てるようにと作られたエンタメ感の強いキャッチコピーを見つめても、全く気は紛れない。
 私は店の中には入らず、「歩道橋から落ちて死のうと思う」とさらに夫にLINEした。本気かどうかなんてわからない。ただ、心配してほしかったのだと思う。

 「ちょっとそこで待ってて」というLINEから5分後、夫が雨の中走ってやってきた。着くなり「どうしてこんなことLINEするの」と私に詰め寄った。

 「僕が仕事中だってことわかっているよね?」
「今、リモートワークだからすぐ来られたけど、もし会社に行ってたら本当に死んでたの?」とすごい剣幕で私に怒った。

 こんなはずじゃなかったのに。
 心配してほしかっただけなのに、と私は惨めな気持ちになった。「君が死んだら悲しむ人がたくさんいるよ」と夫は言った。

 ポケットの携帯が震えた。友達から電話がかかってきた画面を私は無表情で見つめる。ああ、また夫が私の友達に連絡したのだろう、「心配だから電話をかけてやって」と。
 病気の特性上、最も身近な相手の夫に対して攻撃が集中していってしまうため、担当医から「彼以外の人にも連絡して助けを求める練習をしよう」という話をされていた。でも、私は、私の友達に対して「こんな私のことを友達と思ってくれているなんて申し訳ない」と思っているため、なかなか友達を頼ることができない。そんな私の気持ちを察して、夫は私が暴走するたび、先回りして私の友達に連絡を入れてくれる。

 しかし、私はそれを、疎ましく思った。「どうして無駄な心配をかけるの。もし友達に私が嫌われたらどうすればいいの」と夫をなじった。
 できるだけ誰にも迷惑をかけたくないくせに、迷惑行為をしている自分に腹が立った。そして、みんなに迷惑をかけて夫にも叱られてこんな私は、やはりもう死ぬしか選択肢はないと思った。

■PM 12:15 夫と揉めてたら警官が来る


  「脅しじゃない、本当に死ぬから」といい、本屋を出て歩道橋に向かって私は歩いた。夫は怒って追いかけてきて、半ば強引に「じゃあまずはそのパソコンをぶっ壊してみろ」「服もぜんぶここで脱いでしまえ」と言った。

 「本当に死にたいんだったら、君の仕事上のデータがすべて入ったパソコンももういらないし、服を脱いで裸になったって、もうこの世に恥ずかしいことはないってことだよね?」そう言って、私の服を夫は引っ張った。かばんを私から取り上げようとした。それを私は必死に振り切った。

 そんな押し問答をしていたとき、横断歩道を挟んで向かい側にいた若い警官が声をかけてきた。

「大丈夫ですか? ちょっと交番で話を聞きましょうか」
 ついに、と思った。この前読んだ本にも書いてあった、精神疾患患者が警察にお世話になるシーンが。このまま私は転落する人生を歩むのだろうか…など考えていたら声は出ず、涙が出てきた。情けない。
 「すみません、死にたくなった死のうとしていました」と私は情けなさすぎる状況と警官にぼそっと伝えた。

 私と夫が揉めているのを見た若い警官はきっと、女性が男性に暴力を振るわれている、と思ったのかもしれない。たしかに今日の夫は怒っていたけど、私を心配するがゆえということを私は理解している。
 男女のひと悶着は、男性が悪い立場に立たされがちだ。DVしているのは夫じゃない、むしろ私のほうなのに。そして、またそんな状況が情けなくて涙が出てきた。

■PM 12:25 警察のお世話になる


  交番まで警官と一緒に歩いた道は、周囲の人々に注目されているように感じた。ジロジロ見られても、恥ずかしくても、もう何でもよかった。
 たぶん見つけてもらえたことに安心してるんだろうな。このまま本当に歩道橋から落ちて死んだら私はどうするつもりだったんだ。まだ涙が止まらなくなってきた。
 もしかしたら。今回警察にお世話になったことをきっかけに事態が急転するかもしれない。自殺を止めてもらえたことをがいい方向に動くよう。

 あるきながら、若い警官にこう言われた。

「もし、生活で困っていることがあったらなんですけど、もしよかったら警察署に『生活安全課』っていう部署があるんですね。そこで困っていることの相談もできたりするので」

 ああ、それはとてもグッドアイデアかもしれない。
 生きづらい今を相談できる相手が増えるのはとっても嬉しい。今、夫や友達など周囲と、主治医やカウンセラーの知恵も借りながら病気を治そうと思っているけれど、それ以外で、安心して相談できる人が、しかも警察という国の公共機関の中にできたら心強い。涙は止まらないが、淡い期待を私は抱く。
 「助けて、と誰かに頼る練習をしなさい」主治医に言われていたことを思い出し、若い警官の提案に私は小さくうなずいた。

■PM 12:30 交番に到着する


 雨は少し弱まってきたが、湿度はものすごく高い。空は相変わらず暗い。
 初めて交番に入ったのは、小学生のときだった。友達と落とし物を拾い交番に届けた私は、「イイコトをした」という高揚感に包まれた。どんな落とし物だったかは忘れてしまったが、善意ある行動をしている自分を誇らしく思い、家に帰って母に自慢気に報告もした。

 交番は悪い人が逮捕されるところ、交番はみんなの安全を守るおまわりさんがいるところ、交番は落とし物を届けるところ、交番は私みたいないい子とは一生縁がないところ。
 いいや、交番は雨の日に死にたいと騒ぎ夫を困らせる女がいくところだ。

 すべりの悪いガラス扉をがらりと開けると、中には大柄の男性警官がいた。私は交番の中で若い警官と、夫は交番の外で大柄の警官とそれぞれ話をすることになった。


(続く)



今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!