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幸せを感じるための初めの一歩

「わかったから、許して!」
私は出せる限りの大きな声で叫んだ。しかし、実際には声にならなかった。
布団の上からぐっと体を押さえつけられ、苦しかった。
 
「お願い、お願い……」
と、やっと小さな声で言うことができた。しかし、押さえつけている力から逃れようと、手や足を動かすこともできなかった。私は 古いテラスハウスの2階の寝室で、目も開けられず、苦しさと恐怖に耐えていた。
 
やっと、押さえつけられていた力が消え、自由になった時、体がガタガタと震えだした。
 ほんの短い時間の出来事だったと思う。
 
そのあと、ベッドから起き上がることもできず、布団の中で震える体を抱え込むように丸くなり、目をつぶってじっとしていた。朝方になってやっとウトウトと眠ることができ、そして、天窓から入る強い光で目が覚めた。
 
夜中のあれは何だったのだろうか……。
何か、霊? 幽霊?
今まで、霊的な何かをまったく感じたこともく、金縛りとかにも無縁の人生だ。感じなくていいのであれば、そういうものはできれば遠慮したい。そうずっと思っていた。
 
数日後、寝ている部屋の扉は開けてあった。部屋につながる廊下から、ひたひたと何かが近づいてくる気配がする。私はハッと目を覚ました。
 
「お願い、私、どこにも行くところがないの。共存しよう。一緒に暮らそう。邪魔はしないから! 」
とっさに大きな声で叫んだ。
 
残念ながら予定なく夫と別居をすることになり、実家に身を寄せたものの、居心地が悪かった。実家にずっといることは出来ない。そんな中で、格安で知り合いから借りた家だ。本当に他にどこにも行くところはない。
 
気持ちが通じたのか、スーッとその気配は消えていった。
 
私が初めて「ソレ」に出会ったのは、今から十数年ほど前、古いテラスハウスに引っ越してきてちょうど一ヶ月くらい経った夜だった。この古い家に、「何か」がいるのだろうか。そういえば、かなりの間、借り手がなかったと言っていたなぁ……。そんなことを思いながらも、ここから出るわけにもいかず、日々の暮らしを続けるだけだった。
 
「共存」を申し入れて以来、私は家で「ソレ」と直接対面することはなかった。しかし、心のどこかで、いつも「共存」している気持ちを忘れなかった。だから必ず家に入る前には「帰ってきました」と、インターホンを鳴らす。
 
「ソレ」に直接対面することはなかったものの、寝室にいる時、「隣の部屋にいるな」とか、お風呂から出てきた時、「ダイニングスペースにいるな」など、感じることはあった。そいう時は、その部屋には入らず、静かに自分を見つめて過ごすしかなかった。
 
それにしても、今まで何も感じたことがないのに、何で急に「ソレ」を感じるようになったのだろう。霊感が強くなった? まさか、そんなこともあるはずもない。そんな能力、全然歓迎できない、そう思った。
 
この時の私は、生まれて初めての一人暮らしを経験していた。そして、夫と別居なんていう、あまり普通ではない状況。仕事上は何も変わらず過ごすことができていたが、自分のものはほとんどが夫の元にある。家財道具も少なく、中途半端に大きな家を一人では持て余していた。
 
何もかもが初めての経験、状況の中で、自分が気付かぬうちに相当のストレスを感じていたのかもしれない。
 
そう、だから、今は思う。「ソレ」の正体は「不安」だったのだと。
「ソレ」は何か霊的なものではなく、自分の心の中にあった「不安」。
その「不安」が私の体に影響を与え、感覚を過敏にし、何かを感じさせてしまっていた。
 
その証拠に、だんだん生活が整ってきて、落ち着きを取り戻して行くと、「ソレ」を感じることはなくなっていった。そのうち「ソレ」の存在が消えていった。
 
「わかったから、許して!」と叫んだのは、今まで「不安」の存在を無視してきたことを、自分自身に謝っていたのではないか。
「不安」は認めたくない、でも、認めざるをえないほど大きくなっていた。
「不安」を認めたくない私の心がもう限界に達しようとしている。そんな中で、「不安」の存在を認めるから「許してほしい、解放して!」と、私の無意識のあらわれだったのではないだろうか。
 
大きな声で「共存しよう。一緒に暮らそう」叫んだ夜、自分の「不安」と「共存し、受け入れる」と宣言した。そして一つの覚悟ができたのだった。
 
一旦、自分の弱い部分を認めてしまってからは、「ソレ」を受け入れながらその家で静かに自分自身を見つめて生活をした。そして、自分でできることをコツコツと整えていく中で「不安」を消してきたのだ。
 
その後2年ほどその家に暮らしたが、結局大声で叫んで以来、「ソレ」には直接出会うことはなかった。
 
何年も経ってから、友人に「ソレ」に会った話をしたことがある。
 「私、霊感ないけど、一度だけ会ったことがあるんだよね」なんて、とてもお気楽な話として。あの時本当はどれだけ不安だったのか、隠すように……。
 
それから今も私の一人暮らしは続いている。そして、人生経験もさらに積んで、いろいろな物事に対応できるようになった。引越しも2度ほど経験した。しかし、新しい家に移っても、あの時のように「ソレ」には出会ってない。
 
人生には「ソレ」がつきものだとよく言われる。だからまたいつか「ソレ」がやってくるかもしれない。でも、何度でも「共存しよう!」と言える。無理に拭いさる必要はない。
 
共存できたら「ソレ」はもう「不安」ではなくなる。共存するということはあるがままの自分を受け入れるということだ。
私はその覚悟がいつでもできている。全てを受け入れてしまえば、何も怖いものはない。

特別な自信があるとか、そういうことではない。ただ、あるがままの自分を受け入れているという、その状態があるだけなのだ。

そして、それが幸せであるための初めの一歩であることも、私は知っている。十数年の月日が、そのことを静かに私に教えてくれたのだった。





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