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〇〇にとって最適

英語で文章を書かなければいけない機会がたまに訪れるのだが、英語がそこまで得意でない私はその大半をコンピュータの自動翻訳に頼ることが多い。

特にある程度長い文章になる場合は最初に日本語で文章を書き、それを英語に翻訳していくことになる。最近の自動翻訳は数年前に比べて格段に精度が上がっているように感じるものの、やはり日本語で自由に書いた文章をそのまま翻訳にかけ、いきなり理想通りというわけにはいかないことがまだまだ多い。

この時、思い通りでない翻訳結果を修正するには、翻訳結果を直接英語で修正する方法も1つだが、別の方法として『対応する部分の日本語を修正する』こともできる。つまり、思い通りのニュアンスの翻訳結果を得るために、最初に書いた日本語側を改変してしまうのである。

ここでこの文章のタイトルである「◯◯にとって最適」という話に繋がる。今回で言えば、一度書いた日本語を「自動翻訳にとって最適な日本語」に書き換えるというプロセスが発生している。この作業をしている時、私は『日本語と翻訳ソフト間』の翻訳をしているような不思議な気分になるのだ(実はこの作業が、意外と嫌いではなかったりする)。

「〇〇にとって最適」という意識を持って日常を見渡してみると、自分の立場や視点からではただ不思議であったりあるいは不便だとさえ感じていたようなものの中にも、意外なものに最適化された結果そのような姿やルールに至ったものが隠れているかもしれない。


遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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