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張り紙の中の店主

大学生の頃から、友人と降りた事のない適当な駅で降り、一通り散歩をして、最終的には多分この駅にしかないであろうこぢんまりとした居酒屋でお酒を飲んで解散、という遊び方をよくしていた。
食べログは開かず、「店の名前」「看板のフォント」「メニューの書き方」から友人のフィーリングに任せてお店に入るので、満足度には毎回ばらつきがある。偶然出会った満足度が高いお店には、通うとまではいかないが2.3回リピートして行くこともあった。

数年前のある日の休日、私はその「満足度が高いお店」に出会った。
満足度とは、ご飯が美味しい、お酒の種類がそれなりにある、そしてもう一つが「味のある店員さんがいる」という要素で、そこはその要素が高得点の居酒屋であった。

特に店主のおじさんがとても温かい人だった。
はじめは険しい表情でフライパンを振っていて、髭も濃いので厳つい印象でだったが、「このお店いつからあるんですか?」という質問をすると仏のような笑顔に変わり、気さくに答えてくれた。その後は店主の方から、別の店舗もある話や料理の話など雑談をしてもらえた。ギリギリ聞き取れる酒焼けしたハスキーボイスだった。

途中私はトイレに行くと、このような張り紙が貼ってあった。

ご来店ありがとうございます
当店では、皆様に最高の状態で料理をお届けするためその場で調理を行っています。また、少ないスタッフで運営をしています。そのため時間帯によっては、お待たせしてしまう可能性もあります。ごめんなさい。
他にも何か気になったことがございましたら店主までなんでもお申し付けください!
店主

居酒屋のトイレで何かしら張り紙が貼られているのはあるあるである。今日のおすすめメニュー、トイレに関する注意書き、達筆で書かれた誰向けかわからない教訓...など多々見かける。
普段はなんとなく読んで記憶に残ることはない。しかし、最後に「店主」と書かれていたので、さっきまで雑談していたおじさんのしゃがれ声で文章が再生され、印象に残った。

張り紙に書かれていた料理の提供時間について気になることもなく、お腹が満たされた私は幸せな気持ちで店を出た。

それから時が経ち、再びその店を訪れることがあった。私はそのお店のことを忘れかけていたが、友人に「あの店主の店」と言われてすぐに店の内装まで思い出した。

しかし、お店に入るとあの店主はいなかったのだ。
カウンターから厨房が丸見えタイプのお店なのでいないことは明らかだった。よくよく話を聞くと店主は女性の方に引き継がれていた。料理の味は変わらず美味しかったが、少し寂しい気持ちになった。

トイレに入ると、あの日と同じ貼り紙はまだ貼ってあった。相変わらず少数スタッフで回しているため、この張り紙を更新する必要はないのだろう。しかし、ここで妙な感覚に陥った。

私は張り紙の文章を前任のおじさん店主のしゃがれ声で脳内再生したが、今日初めて来店した人には女性店主の声で再生されているかもしれない。
前回読んだ時はおじさんが一生懸命書いた文章と思い込んでいたが、店主がコロコロ変わるという事実を知って、ここで書かれている「店主」とは代表者の言葉にした方が説得力が増す、というただのフォーマットにすぎないことに気づいてしまった。出会った時間軸によって発話者が変わってしまう構造を持った文章である。

似たようなことで、漫画もアニメを見たことがあれば、キャラクターの台詞を声優の声で再生しながら読む。しかし、途中で声優が変わってしまった場合、アニメを見ていた時期によって再生される声が異なり、人によって漫画を読む体験に微妙な差が生まれてしまうことがある。

お店にはもう姿はないが、私には張り紙の中におじさん店主が存在し続けている。この不思議な感覚とこの店をおじさん店主時代から知っているという少しの優越感に浸りながら、瓶ビールをぐびぐびやった。

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